地域史における外島保養院 | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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「疎外」という言葉を
易々と使ってはなるまい。
地域史における外島保養院の
記述を検証してみたいと思います。

 

「外島保養院」の正式名称は
 「第三区二府十一県立外島保養院」です。
大阪府立でも、大阪市立でもありません。

 

*『西淀川区史』では、
《第4章 昭和・平成期のあゆみ》に
「外島保養院」の文字が見えます。
創設された明治期ではありません。
「室戸台風襲来」の項です。

*『西淀川区勢』からの
小さいポイントの引用文
196文字中に次の記述があります。
  *『西淀川区勢』
  :『市域編入十周年記念 西淀川区勢』
  1935年4月、大阪市西淀川区役所発行

 

◇隣接外島保養院も亦
 全滅の悲惨事を見るに至っ《ママ》た

 

22字です。
「全滅の悲惨事」とあるだけです。

そもそも外島保養院は「隣接」なのですネ。
外島保養院入院者は、
大阪市西淀川区住民にとって
「隣人」という関係なのです。

 

また『西淀川区史』に《第5章 災害と公害》が
設けられ
「昭和9年の室戸台風」の記事があります。
しかし、
そこには「外島保養院」の文字は見えません。

西淀川区の死亡・行方不明が243人とあります。

 

外島保養院の死者は
何名だったのでしょう?
外島保養院紀念碑には次の記述があります。

 

◇・・・・昭和九年九月二十一日
 室戸台風ノ襲来ニヨリ
 施設ハ壊滅流失 
 患者百七十三名職員三名職員家族十一名ガ
 死亡スル
 大惨事トナリ
 生存患者四百十六名ハ
 全国六施設ニ分散委託・・・・

 

患者、職員、職員家族187名の死亡が
刻まれています。
西淀川区の死亡・行方不明243人に
この人数が含まれているとしますと、
77%に上ります。

 

ところで
『西淀川区史』が引用した『西淀川区勢』の
《編入前の各町村概観》の「川北村」は
次の記述で結ばれています。

◇・・・・彼の有名な
 第三区二府十一県立外島保養院は
 西端海岸に設置せられてゐが、
 村とは直接何等関係はない。

 

今回、
1996(平成8)年3月発行の『西淀川区史』を
1935(昭和10)年4月発行の
『市域編入十周年記念 西淀川区勢』の
記述に溯って検証しました。
編集姿勢に

60年以前との間に

違いが見られましょうか?

 

制度上の「疎外」は
歴史の記述にも
当然、及んでいるのでしょう。
「らい予防法」が廃止されたのは
1996(平成8)年4月のことです。

 

次回は、川北村全体の視点で
地域史を読みます。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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