外島保養院入院者の見た中島町界隈(11) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


テーマ:

今回も前回に引き続き、
 7月22日(日)、西淀川図書館での郷土史講演会
 「室戸台風以前の中島周辺の世界」の
講演準備を兼ねて
《外島保養院入院者の見た中島町界隈》を
覚書を記します。


テキストは
*『風と海の中』です。
  *『風と海の中』:
  『風と海の中―邑久光明園入園者八十年の歩み』
  1997年第2版発行、邑久光明園入園者自治会
   第1版1989年

 

前回、脱走した入院者が
ステテコ姿で
風に吹かれながら
布屋町へ通じる堤防を歩いていて
発見されたという記事を
取り上げました。
すわ退院処分という場面です。
テキストの続きを引きます。

 

◆いうまでもなく3名は
 逃走者として戒規に従って
 退院処分を言い渡された。
 ところが院長の村田は
 自治会のこの決定を拒否した。
 「ステテコ姿で彼らがどこまで行けると思う。
 せいぜいが布屋の畑あたりまでではないか。
 逃走とは違う、
 一寸院外に出ただけだ」。
 村田はこう言い切って3名を処分しなかった。
 自治会はしぶしぶ院長に従った。

 

風来坊のなりで
どこまで行けるのでしょう。
村田正太院長は
「布屋の畑あたり」までだと
言い切り、処分しませんでした。
英断というべきでしょう。

前掲「昭和九年室戸台風前の中島町略図」に
照らしましても
「布屋」には人家、三社神社が
描かれていますが、
外島保養院入院者との間は
黄色く塗られているだけで
畑地です。

 

院長の発言は
外島保養院が置かれている
地理的条件を弁えたものなんでしょう。
外島保養院入院者の環境は、
中島町から遠く離れ
布屋町には松並木の堤防が通じるだけの
閑散とした場所でした。

 

この堤防の松は
*『隔離から解放へ』には
「6人の入院者の命を救った堤防の大松」として
室戸台風直後の写真が掲載されております。
 *『隔離から解放へ』:
 『邑久光明園創立百周年記念誌「隔離から解放へ」
  ―久光明園入園者百年の歩み―』
 2009年、国立療養所邑久光明園入園者自治会編集、
 山陽新聞社発行

 

奇しくも入院者は
収容施設を隔てる
堤防に植わった松によじ登って
水禍から一命をとりとめたのでした。
この松並木は
中島町の五社神社まで続くもので、
「昭和九年室戸台風前の中島町略図」には
「俗に千両の松と呼ぶ」と書き込まれています。

 

写真図 「昭和九年室戸台風前の中島町略図」

 

外島保養院入院者にとって
中島町は
如何なる場所だったのでしょう。

 

この地域の
同時代史を編みたい意欲に駆られます。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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