外島保養院入院者の見た中島町界隈(9) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


テーマ:

今回も前回に引き続き、
 7月22日(日)、西淀川図書館での郷土史講演会
 「室戸台風以前の中島周辺の世界」の
講演準備を兼ねて
《外島保養院入院者の見た中島町界隈》を
覚書を記します。


テキストは
*『風と海の中』です。
  *『風と海の中』:
  『風と海の中―邑久光明園入園者八十年の歩み』
  1997年第2版発行、邑久光明園入園者自治会
   第1版1989年

 

テキストにありました、
手塚某氏と外島保養院の一行が
大阪市に向かって向かった時の
城島橋の場所は、
前掲の「昭和九年室戸台風前の中島町略図」では、
「中島橋」と表記される橋で、
中島と西島を結ぶ橋です。

 

中島のカミ(上:北部)に描かれ、
了願寺の上流で
元学校、阿部屋敷より下流に描かれています。

テキストの「城島橋」は、
中島町の集落の出入口の一つです。

 

外島からは
湾曲する布屋の堤防を集落を抜けて
神崎川に沿って北進するコースです。
このコースなら、中島町南部の
神崎川沿岸の集落を
堂々と通過します。

 

手塚氏のことを
テキストは「頼母しい有為の人物」と
評しています。
この時の「病友」送別は、
入院者による旗や幟を仕立ての
示威行進です。
最後は橋の袂で万歳三唱をして
一同、意気揚々と
気勢を挙げて引き上げたのです。

 

入院者一同の一連の行動は、
隔離収容政策を遂行する
当局に向けての
はっきりとした
入院者による
拒否の意思表示であったのでしょう。

 

次回は、この事件の16年後の
昭和3年4月21日「見張所撤廃」に
まつわる出来事を取り上げます。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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