水都大阪の異界を覗きます(6) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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今回も前回に引き続き
20年ほど前に書いた*拙稿を
 テキストとして話を進めます。
  *拙稿:「水都の異界を覗く」『まほら』20号、
      1999年7月、旅の文化研究所

テキストは、本町の曲がりの地蔵尊まで
辿り着きました。


◇説明板には、昔、この曲がりは渦をなし、
 年々入水する者が絶えなかった。
 それで水難除けの地蔵尊を祀り供養したとある。

 

写真図 曲がり地蔵尊祠

今回の再訪では、
この説明板が記された年月日を
「平成九年七月吉日」と知りましたので、
『まほら』記事取材は平成11年ですので
同じ説明板です。
『まほら』記事の要約を原文に置き換えます。

 

◆曲がり地蔵尊の由来は、
 太閤の時代にさかのぼる。
 太閤が東横堀川を掘り割った当時、
 この地にあった浄国寺(永禄八年開基)をさけ、
 川筋を曲げたため、
 俗称「曲がり」が発生した。
 この「曲がり」のため流水は
 岸に当たり渦をなし、
 年々入水する者が絶えなかったという。
 ここに町民相謀り、
 水難除の地蔵尊を祀り、
 供養したのが始まりと言われる。・・・・

 

東横堀川開削を「太閤の時代」とありますのは、
『角川日本地名大辞典 27大阪府』1978年にある
「文禄3年」「天正13年」開削との記述があり、
いずれであれ、豊臣秀吉が生存中であって矛盾はありません。
「曲がり」の発生、
入水者が絶えなかったことについては、
確かめようがありません。

 

この件について、テキストは、
この水難事故について、
巷間の俗説を引いています。
テキストに戻ります。
◇この水難をガタロの仕業だとする説もある。
 大阪版の河童である。
 「ガタロが棲んでいるから、
 あの浜で遊んではならないと、
 きびしく止められた」
 (牧村史陽1974年
 『大阪ことば事典』講談社学術文庫)とある。
 生業のガタロは、
 川の浅瀬で金気を漁る廃品回収業者であった。

 

『大阪ことば事典』の引用は
「ガタロ」の項からですが、
「曲がり」にも同様の記事が見えます。
◆・・・水流の関係で、
 常に渦を巻いていて、
 そこにガタロが棲んでいるといわれて
 恐れられたものである。

 

『大阪ことば事典』の記述は、
伝承に基づくものであります。
その伝承は
「曲がりにはガタロが棲んでいる」といった
シンプルなもので、
何故、浜で遊んではならないのか、
何故、恐れられたのかが分かりません。
また、説明板にある
「入水する者が絶えなかった」とする記事も
見当たりません。

 

今回、柳田国男の「河童駒引」を読み返しました。
大阪での巷間俗説を柳田記述に照らすことにします。
「阪俗」を民俗記事に位置づけたいのです。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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