薮入りの時空間(6) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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前回、古地図「増修大坂指掌図」寛政9(1797)年に
照らして見ました。


すると《①やぶ入や浪花を出て長柄川》の句は、
すぐ右手(東方)に淀川を臨み、
今し方、歩んできだ一里ばかりの道のりの
南に続く浪花の町とも
おさらばするといった感慨を
「長柄川」を
目にした光景として

詠んだものと解釈されます。
北長柄村の毛馬渡し場からの

物思いに耽る眺めなのです。

 

渡し場は境界です。
そこで浪花の町への思いを振り切って
すかさず

《②春風や堤長うして家遠し》は、
視線を45度東に転じます。
北東を向きます。
この句の「堤」は淀川堤であって、
長柄川堤ではありません。
対岸の北長柄から毛馬に蜿々と続く
淀川堤を詠んだ句と解釈されます。
「堤」が故郷の家に蜿々と連なるさまを
中七に据え
遠く霞む「家」への接近を想起させます。

再び錦絵「浪花百景 毛馬」の光景を
引き合いに出します。
写真図 「浪花百景 毛馬」
     大阪府立中之島図書館所蔵

この絵は毛馬渡の
北長柄村の渡船場を出で立つ光景です。
手前の姐さん被りの女性は
南方の浪花を振り返っています。
この視線を90度左に振れば
馬堤曲の薮入り娘の
「堤長うして家遠し」の眼差しと重なります。

 

薮入り娘が目にしたのは
棒杭の打たれた堤が続く汀であり、
前方の茶店の背後に
群がる毛馬の集落であり、
故園の家が描かれているか否かは
定かではありません。
時代を降って『大川便覧』天保10(1839)年、
明治41(1909)年実測図などに
手がかりを求める他、ありません。
虚構の世界といえば、
それまでのことなんですが・・・・。

 

次回は、毛馬村が
如何に表象されているのかを
俳詩に図像を交えて考えてみます。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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