「牛の薮入り」は田植え前か後か?(4) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


テーマ:

ここで一息いれましょう。
皆さんは、「梅田の牛の藪入り」という言葉に
いかなる情景を想像しますか?

 

*『上方』5号の表紙絵に
「梅田道牛の薮入」が載っています。
    *『上方』5号:上方郷土研究会『上方』
          1931年5月号
写真図 『上方』5号の表紙絵「梅田道牛の薮入」
         芳豊画

この錦絵の原図につき*「錦絵にみる大阪の風景」に
記事があります。
  *「錦絵にみる大阪の風景」:「おおさかeコレクション」
  e-library2.gprime.jp/lib_pref_osaka/da/detail?tilcod...

 

作品名 は「花暦浪花自慢」で、
絵師の「芳豊」については「画家解説」に
次の記述があります。

 

◇芳豊 よしとよ 生没年不詳
 上原氏、通称兵蔵、芳豊、含粋亭、北粋と称し、
 歌川姓を名乗った。大坂の人。
 歌川国芳の門人。
 役者絵のほか風俗、風景も描き、
 挿絵もあるが、詳細は不明。

 

『上方』5号表紙絵は
「花暦浪花自慢」からの転載であります。

表紙絵の説明は、
以下のとおりで、昭和初期の梅田の光景を踏まえ、
往時の行事を説明しています。
多分に「花暦浪花自慢」の原画を
下敷きに記述した可能性が考えられます。

 

◇今は絶えたが、明治初年の頃まで、
 北の梅田堤といへば

 *現在の梅田停車場(初代より東へ移転)より
 北の方向に堤があつた。
 春は一面に菜の花が咲き、
 げんげ、たんぽゝの摘草に賑ふた。
 この梅田堤の辺りで
 五月五日(旧暦の端午の節供)に
 付近の百姓が集り、
 飼牛を野面に放して
 終日遊ばしてやる行事があつた。
 これを牛の藪入と称した。
 当日は朝から業を休み、飼牛を装飾して、
 先づ角を紅白の布で巻き、
 頭上を躑躅、菖蒲、牡丹その他の

 時候花で飾つてやり、
 牛の背には模様のある綺麗な敷物をかけ、
 牛を終日自由に解放して労り慰めてやる。
 又飼主の家では節供に当るので,粽を沢山造り、
 当日集まつて来た見物人の群へ撒くと、
 人々は争つて、

 子供の疱瘡除けの呪禁としたといふ。

 

「牛の藪入」と称したのは
「五月五日(旧暦の端午の節供)」の行事です。

次回は、
そもそも「薮入り」が行われた
時季について再考することにします。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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