「牛の薮入り」は田植え前か後か?(3) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


テーマ:

前回は、「藪」を草深き田舎と解して
野道で行われる「牛駆け」を「牛の薮入り」と
浜松歌国が記したことに
端を発する名称との解釈を記しました。
文化5(1808)年序『摂陽落穂集』の
記事により、広まった名称でした。
 
補足しますと
郷土誌『上方』29号、1933年5月号に
北河内の池田川村(寝屋川市)の同じ趣旨の年中行事の
記事を載せています。
◇・・・此の里にも古き時代より毎年五月五日に
 牛駈けといふ行事あり(以下略)

 

「牛駈け」は「牛駆け」であって
農民たちが話す「うしかけ」という言葉が
一般的には、用いられていたと考えられます。

「牛駆け」を「牛の薮入り」と名づける発想は、
当事者である農民にはなかった訳で
そもそも浜松歌国とは、いかなる人物でしょう。
*「コトバンク」から引用します。
 *「コトバンク」:kotobank.jp/word/浜松歌国-1101998
     デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

 

◇1776-1827 江戸時代後期の歌舞伎作者,随筆家。
 安永5年生まれ。生家は大坂の木綿問屋。
 歌舞伎作者としてよりも
 大坂に関する
 文芸,演芸,風俗などの考証随筆にすぐれた。(中略)

  著作に「摂陽落穂集」「摂陽奇観」「南水漫遊」など。

 

狂言作者なのです。
ちなみに『広辞苑』にも
「江戸後期の随筆家・歌舞伎作者」とあり、
「摂陽奇観」を挙げていますが、
いずれにも歌舞伎脚本の作品名は
挙げられていません。

「摂陽奇観」など、
大阪の近世を編年体で記す価値のある
書物を著した町人学者が
大阪北郊町地接続村での
農耕儀礼を「牛の薮入り」として
「再発見」したのでした。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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