大阪福島「野田城」の空間(6) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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前回、「出発点の「新家」に戻って
*「享和元年蛭児之宮神祭取締リ請印形帳」を
仔細に読むことを宣言しました。
  *「享和元年蛭児之宮神祭取締リ請印形帳」
  :野村豊、1958年『漁村の研究-近世大阪の漁村-』三省堂
      「エビス陳情書1801」と略記。

 

◇往古海辺ニ而野田川と申、
 則当村新家ニ船方問屋跡も有之、

 

まず「野田川」に注目します。
如何なる場所を流路としたのでしょうか?

写真図 「難波往古図」
      玉置豊次郎 1980年『大阪建設史夜話』(大阪都市協会)
      第一図 「難波往古図」河州雲茎寺什物
      大阪府立中之島図書館所蔵

「難波往古図」の「往古」は、
近世からみての「往古」であって
想像図であります。

 

往古図の読み方につきましては、
《「海老洲」の載る地図  2016-09-01 17:28:32》に
書き写し間違いや
書写段階での書き加えもあると指摘しました。

じじつ、「難波往古図」の中央やや上の
右から左に「野田郷」があり、その左(西)に
「野里」とあります。
これは、明らかに「里」は「田」の誤記です。
「野里」の左下に
右から左に「野々川」が見えます。
これは「野た川」、「野田川」を指すと解釈します。

 

「難波往古図」という想像図では、
堂嶋、福嶋に「野田郷」が東から西に
地続きで描かれています。
「野田川」を挟んで洲が見えます。

 

「野田川」の末は海です。

「エビス陳情書1801」にある
「往古海辺ニ而野田川・・・」と
矛盾はしません。
文も図も
近世人の想像する、
往古の「野田川」です。

 

その水辺の集落に
享和元(1801)年に船方問屋の「跡」が
有るというのです。

芦間から往時の新家が見え始めます。

 

次回、「船方問屋跡」を記憶にとどめ、
「エビス陳情書1801」の続きを
読みます。

 

たった今、阪俗研の会友で
通算20号を刊行した『福島てんこもり』編集長
樋口 文さんから
野田村の貴重な資料が届きました。
ボクの探索した野田川跡との照合が
急がれます。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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