市岡高校「澪標」のこと(5) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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いよいよ「澪標園」です。
『市岡五十年史』1951年、玉田義美編纂兼発行の
掲載写真はこれです。

写真図1  「澪標園」
    キャプションは「澪標園(昭和六年)」
    大阪府立中之島図書館所蔵使用許可済み

「昭和六年」といえば、
ボクが生まれる、およそ20年前で、
入学する34年前です。
入学当時、いまだこの写真の面影を
残していました。

 

東からのアングルです。
手前は花壇。
その先には築山が見えます。
築山には石碑があり、
水が廻っていた記憶があります。

 

『市岡五十年史』の記事を抜きます。
◇次に*昭和6(1931)年
 創立三十周年記念事業として
 澪標園の築造と
 体育館の新築とが実施せられた。

 

「次に」とありますのは、
新校舎竣工に引き続き
昭和2(1927)年5月29日の
プール竣工に続いてのことです。
「澪標園の築造」とありますが、
これは二代目でした。

 

引用文を続けます。
 ◇嘗て創立十周年記念として
 澪標園が造られたのであるけれども、
 不幸にしてそれは
 火災に続く校舎新築の為、
 記念館を残す他、
 全く跡かたも無くなっていた。
 今こゝに第二代の澪標園が新築されたのである。

 

「火災に続く校舎新築」は、
前号に記しました。

 

今思えば、在学当時、
古びた校舎や中庭は、
昭和初期につくられた、
二代目の施設だったのです。

 

引用文を続けます。
 ◇場所は南北両館の中庭約200坪、
 即ち職員テニスコートのあった土地、
 職員室の北側に当る。
 中央に築山を築いて、
 その三方に泉水をめぐらし、
 山の頂に初代澪標園の記念碑が建てられた。
 これだけの形は殆んど十周年の時と同じであるが、
 その東に洋式の花壇が続いてゐる。
 灘山本村日の出花壇の設計で600円を要した。
 これで予て校の内外から要望せられていた
 緑化が幾分実現した訳である。

 

「中央に築山を築いて、
 その三方に泉水をめぐらし、
 山の頂に初代澪標園の記念碑が建てられた」のは、
創立十周年の時と、ほぼ同じだとあります。
創立十周年の時とは、1911年、明治44年です。
今も校舎の片隅に残る
「初代澪標園の記念碑」の碑文を
読みたい思いに駆られます。

写真図2 初代澪標園の記念碑

市岡高校20期生は
今春、卒業50年を迎え、
卒業式に招待され
引き続き懇親会を開きます。

 

同窓会からの郵便物が
届かなかった方々も
  ↓ここをクリック
https://www.reihyo.com/
市岡高校同窓会HP「澪標」の
「20期生の懇親会のお知らせ」

 

私たち懇親会世話人一同、
一人でも多くの方々と再会できることを
楽しみにしております。

 

究会代表
 『大阪春秋』編集委員 田野 登

 

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