晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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先達て2018年1月14日(日)、
市岡高校20期生(1968年卒)の懇親会
世話人会メンバーが
同窓会会館に集まりました。


写真図1 同窓会館と旧正門

その終了後、I君と校舎内に
よすがとなるモノを探し歩きました。
校歌の石碑がありました。

 

写真図2 校歌の石碑裏面

碑銘は以下のとおりです。
 祝改築/第三十五期卒業記念
     第四十二期卒業記念
 平成二年六月建之

建立が「平成二(1990)年」なら
ボクはすでに昭和61(1986)年に

四條畷高校に転勤していて
覚えがありません。
表面の歌詞を読みましょう。

 

写真図3 市岡高校校歌歌碑 

碑銘は以下のとおりです。

 

大阪府立市岡高等学校
   一柳安次郎 作詞
校歌 
      大橋純二郞 作曲
東太湖の水受けて
溶々西に二十余里
流れて止まぬ澱江の
波路の末の澪標
努力の潮我が領と
いそしむ健児千五百

 

同窓会の折、校歌斉唱の度に
最後の「いそしむ健児千五百」のところで、
ちょっとした問題が生たものです。
「健児」も旧制中学やあるまいし、
それもさることながら・・・・。   
「千五百」が各自、在校者数がバラバラなので
すったもんだするのです。
それも長い歴史を誇る
市岡を物語るものや言うて
戯れあうものでした。
ちなみに20期生は団塊の世代の最後で
「千六百五十」のはずです。

 

歌詞中の「澱江」は
淀川を漢語で表現したものです。
「太湖」はもちろん琵琶湖ですが、

明治15年の「琵琶湖汽船開業」の新聞広告に
「太湖汽船会社」を見る以外、あまり熟していません。

 

「溶々」は*『広辞苑』に載ってます。
 *『広辞苑』:新村出編2008年『広辞苑第6版』岩波書店
◇水の広々として静かに流れるさま。

 

「澪標」は「みおつくし」と読みます。
大阪市の市章と同じです。
これまた『広辞苑』を引きます。
◇(「水脈みおの串」の意)
 通行する船に、
 通りやすい深い水脈を知らせるために立てた杭。
 歌で多く「身を尽くし」にかけて使われる。

 

市岡の「澪標」は、
昼なお薄暗かった
旧校舎の中庭の水辺に挿してありました。
白いペンキを塗られた木の串でした。
まさに波路の末の奇観になぞらえ、
築港にほど近い新興の地にあって
水都大阪の繁栄を象徴するものだったのでしょう。

いずれ同窓会紙誌『澪標』を検索し、
本校における「澪標」の謂われを
確かめることにします。

 

その旧校舎の中庭の「澪標園」の石碑が
校舎の片隅に保存されていました。

写真図4 「澪標園」の石碑

市岡卒業50年、今春、招かれて
新しく旅立つ70期生を送る番になります。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員 田野 登

 

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