晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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先週の日曜日に2018年1月7日、
住吉大社に初詣をした際、
目に止まった風景の続きです。

 

前回、初辰まいりの中心的な神社である
楠珺社の祭神の「宇迦魂命」について
稲荷か否かと振りかざしましたが、
一寸、控えておきます。
楠珺社の祭祀の経緯と絡めて
準備が整い別の標題で臨むことにします。

 

この日の探索のつづきですが、
楠珺社を後にして
「住吉っさん」と云えば船の神さんという訳で
船玉神社に向かいました。

弥次喜多道中記を書いた十返舎一九による
『万祥廻船往来』は、ルビの振られた版本ですが、
その一節に
「住吉大明神舟玉神と為りて
神風盛んに船舶を守護したまひ・・・」とあり、
住吉っさんがフナダマさんになったというのです。

 

現在の船玉神社につきましては、*住吉大社の公式HPに
次の記事があります。
  *住吉大社の公式HP:
 「境内をめぐる」の摂社の「船玉神社」
http://www.sumiyoshitaisha.net/grounds/sessya.html#anchor02
◇船や飛行機の安全を守る神様
 船玉神社は、延喜式にも記載された古社で、
 船の守護神として信仰を集めてきました。
 船玉(船魂)とは、船舶そのものの神霊で、
 住吉大神とは表裏一体の関係として尊崇され、
 時には住吉大神の荒魂とされることもあります。(以下略)

 

第四本宮の築地を南に出ますと
閑散としています。
写真図1 船玉神社

石柱が立っています。
「創業百周年記念/奉献
 大阪商船三井船舶株式会社
 昭和五十九年四月一日」と刻まれています。
この「大阪商船三井船舶」って今も存在しているのかな?
その現在を確かめたくて

*ウィキペディア「商船三井」に当たりました。
  *ウィキペディア「商船三井」:ja.wikipedia.org/wiki/商船三井
  最終更新 2017年12月31日 (日) 14:21

 

◇1999年(平成11年)4月 -
 大阪商船三井船舶とナビックスラインが合併、
 株式会社商船三井となる。
 本社・子会社の国内定航船を統合し、
 株式会社エム・オー・エル・ジャパン
 (現・株式会社MOL JAPAN)が発足。

 

やっぱり「大阪商船」の名も消えているのでした。
創業百周年の後、15年で社名から無くなっているのです。
「水都」の栄光は過去のことなのでしょうか?

 

ユニークな扉絵を撮りました。

写真図2 船玉神社扉絵

和船に双発機に
海に空に安全祈願がされていたのでしょう。

 

賽銭箱の左に釣り針を納める箱があります。
平成25(2013)年正月に探訪した際には
見られなかった風景です。
船玉さんの新たな展開なのでしょうか?
第一本宮左手のお札授与所に「釣人守」もあったかな?

 

この後、太鼓橋を渡って下向しました。
その際、たくさん建ち並ぶ露店でめについたのが、
「住吉踊り」の縁起物を商う店です。
写真図3 「住吉踊り」の縁起物を商う店

子どもの頃、

お祖母ちゃんに連れられてお参りした時、
買うて帰り天井からぶら下げていました。

 

今思えば
「住吉踊り」の縁起物の大きな傘は
折口信夫の小説「身毒丸」の田楽法師の踊りの
一節と重なります。
◇彼は、一丈もある長柄の花傘を手に支へて、
 音頭をとつた。
「彼」とは「身毒丸」で
 「住吉の神宮寺に附属してゐる田楽法師の
 瓜生野といふ座に養はれた子方」です。

 

「住吉大社初詣風景」もあらぬ方向に
傾き始めましたので、
これでおしまいにします。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員 田野 登

 

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