晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


テーマ:

 

*橋 昇氏の「〈戦争の記憶〉学童疎開と空襲体験」で
記された吉野町三丁目の「六道の辻」を
古地図で読図しました。
    *橋 昇氏:2013年10月『福島区歴史研究会会報』創刊号

 

*「最新大大阪市街地図」昭和12(1937)年の
此花区吉野二丁目が
西の吉野三丁目と接する場所から
北西から南東に伸びる街路が表記されています。
 *「最新大大阪市街地図」:「最新大大阪市街地図」
                           昭和12(1937)年、和楽路屋発行
             『大阪春秋』130号付録
この交叉点が「六道の辻」です。

写真図1 「最新大大阪市街地図」昭和12(1937)年

南西には学校の表記があります。
昭和12(1937)年当時、この学校は、
*HP「なにわふくしま資料館」によりますと、
「新家国民学校」の前身の「大阪市第四西野田尋常小学校」です。
   *HP「なにわふくしま資料館」
  :http://osaka-web-museum.na.coocan.jp/school-sinke.htm
場所は現在の大阪市立野田中学校で、
昭和12(1937)年当時、新家一丁目です。
その西の新家二丁目には寺が表記されています。
この寺は南徳寺です。
現在は「南徳寺新家墓地」だけ残っています。

 

地図上では「六道の辻」の位置する
五叉路から東と西では街区の表記には
粗密の相違が見られます。
やはり、「六道の辻」を南北に走る道路が
境界線のように見えます。

 

この付近を*昭和3(1928)年「最新大大阪市街全圖図」と
照合しました。
  *昭和3(1928)年「最新大大阪市街全圖図」
      :日文研所蔵地図
   http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/2462729-o.html
たしかに寺、学校の北東に
五叉路が見えます。
それは「六道の辻」でしょう。

 

さらに溯って
*明治44(1911)年「實地踏測大阪市街全圖」に
照らしました。
   *明治44(1911)年「實地踏測大阪市街全圖」
      :日文研所蔵地図    
    http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_1156.html
すると、寺の東部には池が表記されています。
現在の新家公園、野田中学校は、
その池を埋め立てた土地と
部分的には重なります。

 

新家公園、野田中学校の北東に位置する
「六道の辻」はといいますと、
まだ全く街区の表記は見られません。

ということは、ここの「六道の辻」は、
大正年間に、西野田吉野町が
市街地化する中で敷設された街路ということになります。

 

この「六道の辻」は、街並みの変化が
著しい中で生き延びていました。
次回は、「六道の辻」の戦時中と
現在の写真に沿いながら
記述します。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員 田野 登

 

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