晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


テーマ:

 

今回も大阪府立中之島図書館所蔵『浪華奇談』を
取りあげます。
本ブログは、該書についての
拙稿「翻刻『浪華奇談』怪異之部」(『大阪府立図書館紀要』第36号
2007(平成19)年3月31日発行)に基づき、
適宜、加筆、削除しています。
「拙稿」につきましては、以下のアドレスで確認ください。
   ↓ここをクリック
https://www.library.pref.osaka.jp/uploaded/attachment/475.pdf

 

今回も「天狗清兵衛」の続きです。

仏事を営むわが家を飛行する場面で
前回、終わりました。
仏事の訳は、
いずれ解き明かすことにしまして、
本文を続けます。

 

◇さしたり
 扨て三年歴て
 いとま遣はす間、
 『家へ帰るべし』と有りて
 金比羅の木像をたまわり、
 又眼病の灸穴(きゅうけつ)を教受せり。

 

三年間、天狗道に励んだところで、
暇乞いをするというのでしょう。
三年の年季奉公といったところでしょう。
まず、一つのポイントは、
「金比羅の木像」です。
それは、金剛坊宥盛自身が
慶長11年に自らの姿を刻んで木像です。

 

民俗学者・*宮本袈裟雄は、次のように記述しています。
  *宮本袈裟雄:1989年11月「修験道と山の怪-天狗」
       『歴史読本』臨時増刊
●金比羅大権現自体が天竺などから
 飛来した神であると説かれる場合もあり、
 中興の祖とされ、
 慶長18年(1613)に没した金剛坊宥盛は
 いわゆる天狗として祀られているが、
 彼が慶長11年に自らの姿を木像に刻んだ台座に
 「入天狗道沙門金剛坊形像」と刻している。

 

「金剛坊」はきっと名の知れた天狗に違いありません。
*天狗番付があります。
  *天狗番付:知切光蔵、1975年『天狗の研究』大陸書房、
       日本天狗総覧
●横綱 京都 愛宕山栄術太郎(中略)
(西)前頭(三枚目) 香川 象頭山金剛坊

 

「金剛坊」は前頭三枚目でした。
そういった「金比羅の木像」の
もちろんレプリカですが、
それを土産物として帰宅するのです。
後生大事に、
神棚に上げて信仰するのでしょう。
そればかりか、「眼病の灸穴」といった秘術を
授かったのです。

 

天狗から灸の秘術を授かったという話は、
大正11(1922)年10月発行*「土の鈴」15号にも
次のとおり、載っています。
  *「土の鈴」15号:松谷みよ子、1985年『現代民話考Ⅰ』
          立風書房,第二章 天狗
●石川県。祖母(当年76歳)が処女の頃
 小立野の馬坂に天狗の灸とて恐しげな老爺が居た。
 若年の頃天狗に伴れ行かれ
 点灸の技を授けられたとか云うので有名であったと申します。
 /文・山本鹿洲「続天狗物語」。
 出典・*「土の鈴」15号(土の鈴会)

 

慥かに
「天狗に伴れ行かれ
 点灸の技を授けられた」と記述されています。
「土の鈴」15号発行の1922年を
「当年」として起算しますと、
「祖母(当年76歳)」が処女の頃は、
15歳として1862年頃、文久年間頃の話です。
老爺の「若年の頃」は、老爺を仮に
70歳として50年前、20歳としますと、
1810年頃、文化年間になります。
生年が安永3 (1774)年の
『浪華奇談』の著者・小倉敬典が
30歳代の話になります。

 

今日でも鍼灸院に「天狗堂」を名乗るところが
多く見られます。
天狗による秘術を
伝承するものもありましょう。

 

以下、天狗清兵衛が再び、天空飛行に出ます。
天狗との出会いの場所が、ここでは記されています。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員 田野 登

 

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