晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


テーマ:

 

本日、2017年9月24日「なにわの宮リレーウォーク」
「旧街道を歩く ③大和田街道」の
ガイドをしました。

JR福島駅から福島→鷺洲→海老江→大開
野田新橋筋商店街入口で野田担当に
バトンタッチをしました。

先発は福島区歴史研究会幹事長の末廣訂氏で
ボクは第2班で25名の参加者を
約2時間ほどでガイドしました。
コースは、
いつもの大阪あそ歩の海老江・鷺洲コースの
逆回りですので
難なくこなしましたと言いたいところですが、
下見の時、聖天さんで時間を取りすぎ
主催者から注文がつきましたので、
あそ歩の時と比べて多少、端折りました。

売れても売らない「占い」商店街では、
南の方に見える福島公園が
五百羅漢のお寺・妙徳寺の跡とて
写真・錦絵を使って、今回は説明をしました。
聖天さんでは、今回「田蓑の島」の話はしませんでした。
何でって、時間が押しているせいでですが、
今度、大阪あそ歩のセミナーで中之島図書館で
歌枕・田蓑の島と浦江村をたっぷり話します。

鷺洲の聖天通り商店街では、
その名も聖天キネマで見た、山本五十六の映画のことを
チラッと話しました。

海老江に向かう途次、塩野義研究所、大日本住友製薬の
跡地の現況を案内しました。
高層マンションと商業施設が、これから建ちます。

海老江では、末廣 訂さんからいただいた、
大きな楠の前のお屋敷の写真をご覧にいれました。
現在、駐車場になっております。
今回、南桂寺に立ち寄り、俳人・松瀬青々のお墓と
郭公塚を見学しました。
郭公塚は、ホトトギスを祀る墓です。
八坂神社に詣で、
国道線を渡り、石畳路地を
静かに通りました。

この先、「梅田街道・大和田街道道標」から大きく逸れます。
石畳路地の詳しい話は、
海老江七丁目の公園でしました。
もう目の前は、阪神本線を挟んで
大開です。

松下幸之助記念碑のある大開公園では、
西野田工科高校から、
海老江の辺りが池沼があったことを
元禄年間刊『摂陽群談』の尼ヶ淵の伝説の記事から
説明しました。
聖徳太子の時代、廃仏毀釈で尼さん三人を池に沈めたとのこと。
それが祟ってか雨夜に火の玉が出るとの話。
元禄年間当時から作り話やと気づいていたようです。
この話は民俗学者・柳田国男も
伝説として取り上げております。
それにしても松下幸之助操業の地が「大開」とは
験のええ話ですが、
参加者から「その時代、土地も安かったのでしょう」との発言。
なるほど、さようでございましょう。

野田阪神では、昭和30年代、ナショナルの広告塔が
確かに建ってました。
通天閣が日立電気に対し、
幸之助操業の地の地元、
野田阪神にはナショナルの広告塔が
小さく聳えてました。
ボクが小学生だった頃です。
それが昭和45年の万博の頃には
無くなってました。
その時代、地下鉄千日前線「野田阪神」ができました。
もちろん、当時の写真で実証しました。

後は野田藤の野田へバトンタッチをしました。
以上、駆け足で2時間のガイドの要約です。
福島区歴史研究会から頼まれての仕事を終えて
ホッとしました。
今回、主催者側から配付された地図をアップできずに
お許し下さい。
無断転載はいけませんので勘弁ください。

ご参加の方々のご感想を
ブログトップの「阪俗研」

mailto:tano@folklore-osaka.org

までお寄せください。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員  田野 登

 

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

田夫野人(田野 登)さんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。