『江戸知識人と地図』に学ぶ(1) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

近世大阪の地誌や絵地図を
史料として読んでいて
どうしても腑に落ちないところがあります。
並河誠所による『五畿内志』(『摂津志』)に
もそれがみられます。
そこで*『江戸知識人と地図』に当たりました。
*『江戸知識人と地図』
  :上杉和央2010年『江戸知識人と地図』
   京都大学学術出版会

 

該書は冒頭《序章 知識人たちの森へいざなう地図》に
書物と地図を「情報媒体」として括って述べます。
◇書物や地図といった情報媒体と人間との関係には、
人間(作者)の持つ知識を書物内や地図上に情報として表現する過程
―書物ないし地図の「作成/作製」―と、
そこに記された情報を人間(読者)が「知識」として吸収する過程
―書物ないし地図の「受容」という大きな側面を確認することができる。

 

書物と地図は
たしかに相互に連関しているものです。
地図は書物情報を図像化したものであり、
書物は傍らの地図に基づく記述であったりもします。
近世といった、歴史認識に気づき始める時代、
その時代に見えていたものが、
両者に共有されることは当然のことであります。

いっぽうで、今日から見て、理解しがたい解釈が
当時、書物をそのまま受容した地図に
反映されていたりもします。

 

この「理解しがたい解釈」が
ボクの理解不足によるものなのか、
当時の知識人に共通する

バイアス「歪み」によるものなのかが
問題です。

 

この地図作製と地誌記述の

関係につきましては、

該書の《第三部 地図と一八世紀の社会、
第六章 地図貸借から見える知識人社会》に
『摂津志』編者・並河誠所の地図作製のことが
記されています。


◇『五畿内志』作成にあたり、
 誠所は老中水野忠邦に

 「壱国宛之絵図」の借用を願い出ていた。
 しかし、地図がなくとも地誌編纂は可能である旨が
 老中から確認された上で却下されるということがあった。
 実際の巡視で地図を校合しつつ作製した背景には、
 このように事前に入手できなかった事情があったのだが、
 地誌編纂には

 必ずしも必要ないと自覚していたにもかかわらず、
 誠所は畿内各国の地図を作製していったことになる。

 

「実際の巡視で地図を校合しつつ作製」する営為は
実証的と評価される反面、危険な側面もあります。
下手をしますと、地誌編纂により得た知見で以て
地図を書き換えたり、
逆に地図を読み誤って

地誌を記述したりする可能性もあります。
 

地図の図像と地誌の記述に矛盾が見られないのは
当然で
辻褄合わせ、こじつけをしてしまっていることもあり得ます。

問題は調査のありかたです。
 

次回は、気になる誠所の「廻村調査」を取り上げます。

 

究会代表 田野 登