市岡新田@春麗ら(3) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

いよいよ尻無川コースです。
このコースは
弁天町駅から南に歩き
みなと通、昔の市電築港線の
市岡高校まで出ます。
写真図1 市岡高校の同窓会館



三本線の市岡は
野球で有名だっただけでは
ありませんでした。
ボクの母校であって
最初の勤務先でして
今日、複雑な思いがします。


昔の正門の門柱の前では
港区一面が焼け野原になった
空襲の話を写真・画像を用いて話します。


このコースはまっすぐみなと通を西に行き
安治川コースで紹介した
磯路桜通り、市岡パラダイス跡を経て
夕凪の交差点から
南へ尻無河畔の甚兵衛渡船場に向かいます。
その間、臨港貨物線の廃線跡を跨ぎます。
写真図2 臨港貨物線の廃線跡


廃線跡は、どこもおもしろいですネ。
右手にコンテナが寄せ集められています。
この線路の先(西)には昭和の初めには
浪速駅が設けられ
ずっと先には住友の赤レンガ倉庫の方まで
線路が続いていました。
大阪港が物流の拠点であった
「古き良き大大阪時代」のことを
写真と地図で偲びます。


甚兵衛渡船場に着きました。
珍しく貨物船が停泊してます。
「泉翔丸」と書かれています。
写真図3 甚兵衛渡船場付近の貨物船


*インターネットで検索しました。
 *
http://www.geocities.jp/btfpb672/sensyo.html

船籍・住所は徳島県阿南市とあります。
積み荷は一般貨物・石灰とあります。
この尻無川に舟運がいまだ息づいているのです。


甚兵衛渡船場は
この日も多くの自転車に乗った市民を
対岸に送り届けています。
渡船場のある光景もまた
絵になりますネ。
この地もまた
『摂津名所図会』や
「浪花百景」の画題となる名所でありました。
本番ではご覧にいれます。
工場街になる以前の
市岡新田の水辺の風景をお目に掛けましょう。


この後の尻無河畔の堤防上の道路には
次々と奇観というべき光景が展開します。
ただし、ここからが難所です。
疲れも加わって、危険箇所です。
奇観に目を奪われておれば
事故に遭わないようにしましょう。

健脚の山下悦司さんとは
一列縦隊で歩きました。

これは、当日の参加者の皆さんの体調とも相談して
コース選択せざるを得ない
まことに魅力的なコースです。


帰り道は堤防を下りて
南市岡商店街に向かいます。
この時、先ほど跨いだ臨港貨物線廃線跡の
土手とクロスします。
写真図4 
港貨物線廃線跡の土手



終着地点の弁天町駅まではあとわずかです。
ORC200のビルがすぐそこに見えています。


大阪あそ歩の市岡の二つの
安治川・尻無川コースは
市岡新田をグルッと一回りするものです。
お気に召すところからご参加ください。
参加申込みは
4月6日実施の尻無川コースは
   ↓ここをクリック
https://www.osaka-asobo.jp/course293.html

4月8日実施の安治川コースはコース
   ↓ここをクリック
https://www.osaka-asobo.jp/course154.html


リピーター歓迎します。
話題はいつも更新しています。
その時、その場で
「見えないモノはお見せします」の
心構えは変わりません。


究会代表 田野 登