中之島蔵屋敷からの大阪検定2級問題(4) | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

前回、「鶴の松」とも「蛸の松」とも
称された松が伝説化したのの
管見によるところの初出は以下の記事です。


●今を去ること三百年の昔、
 慶長年中福島正則の其の所領安芸国へ入らんとするや
 伏見より二株の松を携へ大阪に来たりて
 之れを自邸の側に移植せり、
 即此の二樹是れなり。
 (亀の松一に亀形松といふ)
 前者は其の枝状鶴の
 将に飛揚せんとするに似たるを以つて
 此の名を得、
 現に工業学校内に繁茂して
 千載の齢を擅にせんとするものゝ如し。
 後者は常安町堂嶋河岸に在り
 枝椏長く四方に垂れて
 其の形恰も蛸の游泳せるに似たるを以つて
 世俗改めて蛸の松と称し、
 後、浅野侯の手に帰し
 旧幕の頃其の藩地より特に扶持米拾石を宛てゝ
 保護培養せしめしが、
 維新の後に至りて保管あらざりしかば
 近年市費を以つて肥料を施し保護し来たりしに
 其の効空しうして終に枯死するに至れり。
 名木の一を失ふ、洵に惜むべき哉。


出典は、明治36(1903)年出版『大阪府誌』第5巻です。
多少、長い話ですが、要は
福島正則が
二株の松を
自邸の側に移植したという話です。
二株のうちの片方は鶴の松
もう片方は蛸の松と読み取ることができます。
名称はあやふやな感がします。

こうなれば福島正則が自邸に植えたのは
鶴の松と蛸の松ということになります。

初代長谷川貞信錦絵の画賛と
名称は、いずれも鶴の松と蛸の松ということで
一致します。

ここでボクが確認したいと思いますのは
検定問題の答ではありません。

答えろと言われればボクは
相手を忖度して「蛸の松」にします。
なぜなら「蛸の松」が後世、流布しているからです。
もしかしたら出題者は、後世に流布した方にしか
目を遣っていなかったかも知れないのです。
明治36(1903)年出版『大阪府誌』を読んで
ご存じであって
選択肢に鶴と蛸を並べるとは
『大阪府誌』を読んで知っている受験者を
却って迷わせることになります。
それはないでしょうとボクは思います。


ボクがここで確認したいことは
後世「蛸の松」が伝説として成立していることの方です。
民俗学者の*柳田国男のことばを引用します。
*柳田国男のことば:柳田國男1964年「伝説」『定本柳田國男集』第26所載
    (初出1932~1940年新潮社版『日本文学大辞典』)
●多くの伝説は、必ずしも最初から、
 その英雄のために語られたものではなく、
 英雄は単に或る種の伝説の古さ尊さを確保すべく、
 次々に招き請ぜられるのが普通であつたからである。


後世「蛸の松」も始めは奇観の松でした。
せいぜい、見立てられて鶴と云い亀と云い
最後は蛸に落ち着くことになります。
この段階なら「伝説」ではありません。


太閤に仕えた戦国武将「福島正則」が
要請されて始めて伝説化したのです。
彼の末路はともかく
大阪では十分に英雄たりえます。
伝説には
昔々から語られていたと
思い込ませる仕掛けがあります。


次回は初出の出典を検証する中で
伝説が発生するきっかけについて考えます。


究会代表 田野 登