待望のNHKの土曜ドラマ「夫婦善哉」が始まりました。
原作にない味が出ております。
道頓堀界隈の賑わい。
その中にジャズ・トランペットの音色。
それに大道の三味線弾き。
何でもありの近代都市・大阪が表現されています。
華やいだ街角に翳りが感じられるのです。
原作に乏しいモダン都市大阪の相貌がちらつきます。
最初の場面は、道頓堀の華やぎから一転して
原作と同じく、蝶子の実家の
天麩羅屋から始まります。
貧しくても、めげることなく、
したたかに生きる家族が表現されています。
原作、テレビドラマとは別に
本ブログでは、ここまでを序言とします。
目を柳吉・蝶子に向けてみます。
柳吉役のそっけなさ、すげない表情に、クールでニヒルな感じが漂います。
その割に、原作・柳吉に感じた屈折やくぐもった凄さが感じられません。
原作の柳吉に感じた灰汁が抜かれているのは、いささか拍子抜けです。
蝶子への愛情表現も、こんなもんなのでしょうか。
大阪のボンボンがチャラチャラするのも可笑しいですもんね。
原作にあった緊張した時の吃音を差し控えた分、
どこかで原作柳吉に感じた「彫りの深さ」を示してほしいものです。
てて親からから勘当を言い渡された場面など、あんなものでしょうか?
いったい、この男の「過去」には何があったというのでしょう。
原作からは、柳吉の生いたちを知ることはむつかしい。
ドラマは、この先も、「過去」を語らないことでしょう。
きっと「過去」など、どうでもよいことなのでしょう。
写真図1 「夫婦善哉」創元社本表紙
大阪府立中之島図書館所蔵
いっぽうの蝶子の情の濃さは、どうでしょう。
これの方は、抑え気味に演じられていてよろしい。
これから先、度重なる柳吉の裏切りが控えているだけに
蝶子の心の乱れが見物です。
それでも、例の玉子入りカレーを、一人、口にしたあとの
金を使い込んだ柳吉をたたきのめす痴話げんかは、
これから先の二人を予見させます。
そこで第1話は終わりました。
舞台は大阪の近代です。
「近代」とは、どのような時代だったのでしょうか?
現代に生きる者は、「近代」を、どのように表現するのか、
興味津々です。
ボクの講座「大阪の都市民俗」は、
「食」の近代に焦点を当てて話します。
「夫婦善哉」をとろみとして味付けをします。
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