晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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先日、第78回の浦江塾の
案内ハガキが届きました。
今回は「禅寺で聴くコスプレの世界」です。
住職からの案内ハガキの文面は
以下のとおりです。

 

郷土誌を見直す『浦江塾』のご案内
「日本橋ストリートフェスタ」をご存知ですか。参加者
一万人、観客二十五万人の仮想世界のお祭りのようです。
ハレの日とケの日を持ち、「おたく文化」に心の安寧を
覚えるという倒錯?した世界は既存社会の何かの変化か、
隠れて存在したのか。現代社会の一つの現象を学びます。
 日時 3月3日(土曜日)午後7時より9時迄
 場所 妙壽寺(福島区鷺洲2-15-10)駐車可
 テーマ 「知られざるコスプレーイヤーの世界」
       写真家
          高津 吉則先生

 

以下、田野による書き込み。

高津吉則さんは、
2014年9月の第43回浦江塾で
「地蔵堂のある風景」を話された方です。
「その方がまぁ、コスプレとは?」と
思ったのはボクです。

 

2018年2月14日配信
「阪俗研便り 第145号(通号268号)」に
高津さんから寄せていただいたメッセージに
次のように書かれています。
◇オタクの祭典「日本橋ストリートフェスタ」。
 2015年、見物客25万人・参加コスプレイヤー1万人の

 この祭りに
 価値観が崩壊する驚きを覚えた小生は、
 それを機に3年に亘ってオタク文化を探求すべく
 彼等のコミュニティにて参与観察を行なった。

 

この3年に亘る参与観察の成果を
浦江塾で話していただかない手はない。
とはいうものの浦江塾と
どこにマッチングする内容があるのでしょうか?

そもそも「コスプレ」って、
何でしょう。
*辞典には次の記述があります。
   *辞典:北原保雄編『新明解国語辞典』
   2002年、大修館書店、電子版
◇アニメ・漫画・ゲームなどの
 キャラクターなどの
 扮装をして楽しむこと。

 

このルーツを日本の既存文化に
探るのも興味あります。

役者になりきるなど
シバオケもあったり、
砂持ち神事やとか、
地蔵盆の宵の仮装であったりとか、
従来の民俗学の対象との
糊代部分はあったりもします。

 

今回は、扮装する彼女たちの
日常性って何なんやろ?
彼女たちの処世観って?
大阪での舞台の「日本橋」の場所性は?
東京秋葉原の歩行者天国でも
繰り広げられているとか?

このような空想をしながら
家に帰って妻と話していたら、
わが家の3人の子どものうちに、
コスプレに凝っているのが
一人いることに気づきました。
後は個人情報ですので、
ここでは明かせませんが・・・・。

 

意外にコスプレーイヤーの世界は
住職が書かれていますように
「隠れて存在」しているのかも知れません。

 

いつもの浦江塾です。
申込み手続き無用、
参加費無料。
ご参加はお早めに。
この日は、お雛さん日です。お昼過ぎには
   ↓ここをクリック
https://ameblo.jp/tenmatenjinjp/
「まぁどんな寄席 」が
同じ妙壽寺で開催されます。
まぁどんなマドンナが登場しますやら
これもお楽しみに!

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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前々回《福島区の「浦江」を探す(1)
:2018-02-20 20:05:13》冒頭に
「今日、町を歩いても
 全くと言ってもいいほど福島区に
 「浦江」を見かけません」と記しました。

 

管見によりますが、
阪俗研が「浦江塾」を開いている妙壽寺には
「浦江のお稲荷さん」が祀られています。
妙壽寺の所在地は、福島区鷺洲二丁目15-10です。

 

看板に「とげぬき稲荷」と書かれていますが、
「浦江のおいなりさん」とも朱色で書かれています。
写真図1 「浦江のおいなりさん」の文字

ここの稲荷は、
お寺の土地の鎮守なのです。
 
写真図2 とげぬき稲荷の祠

初午祭の時に奉納された
朱色の幟が立っています。


拙著2007年『水都大阪の民俗誌』和泉書院に
次のとおり書きとめています。
◇①石柱:「とげぬき稲荷尊
 「昭和六十一年六月吉日/奉納 TM」
 ②とげぬき稲荷眷属狐(一対):
 「奉納「昭和六十一年六月吉日/
 奉納 TM「妙壽八世隆道代」

 

現在の住職の代になって
昭和61(1986)年6月から祀られているのです。
「浦江のお稲荷さん」は、
まだ30年程しか経ってない
ニューフェースの神さまなのです。

 

福島区の「浦江」を探し求めて
街を歩いていて
鉄道駅に「浦江」があることを
思い出しました。
それは福島区にはJR4駅、
地下鉄には2駅、阪神には3駅あるうち、
ボクが取り上げますのはJRの1つの駅です。

 

福島区歴史研究会セミナー
「浦江マチ歩きの栞-鷺洲界隈の再発見-」のチラシは、
これです。
写真図3 福島区歴史研究会セミナー
    「浦江マチ歩きの栞-鷺洲界隈の再発見-」のチラシ

興味のある人はお越しください。

 

究会代表
 『大阪春秋』編集委員
 大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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焼き肉屋さんの「浦江亭」は、ともかくとして
福島区に住む年配者に
「浦江」を訊ねますと、
「浦江聖天」が返ってきます。
「福島聖天 了徳院」です。


所在地は福島区鷺洲二丁目14-1です。
写真図1 福島聖天了徳院の駐車場

「福島聖天」は
「浦江の聖天さん」で名が通っていました。
杜若名所碑が
池の畔に建っています。
写真図2 杜若の名所碑

朱色の灯籠竿の手前の石柱に
「浦江名所かきつばたの里」の文字が
刻まれています。
写真図3 「浦江名所かきつばたの里」碑

たしかに「浦江」の文字が見えます。

写真図4 顕彰碑に見える「浦江」

裏面の刻字を読みました。
 「浦江かきつばたの里
 「大正十四年四月 大阪了徳院義禅代 
 寄附 北濱四 吉見性」

 

この「北濱四 吉見性」について
拙著2007年『水都大阪の民俗誌』和泉書院に
次のように記述しました。
◇明治44(1911)年『大阪地籍地図』東区に
 「町名:北濱四丁目 地番:三七ノ甲 等級:九四 
 地目:市宅 反別又坪:二五五八六 
 地価:四六一三五八〇 
 住所:(空欄) 姓名:吉見みと」がみえる。

 

 この「吉見みと」にちがいない。
 彼女は、大正時代、
 この寺院の近代化に貢献した
 資産家であったことは確かである。

「吉見みと」なら
参道鳥居前の

大正元(1912)年9月28日奉納の
狛犬の施主「吉見美登」と同定できます。

 

この杜若名所碑は
大正末期から昭和の初めにかけて、
浦江一帯が工場街となり、
煤煙と汚水にまみれる時代、
株屋商いの街・北浜の有力者が
杜若が咲き誇る往時を偲び
寄進されたものであることがわかります。

 

かくして福島区の「浦江」は、
近世以来の杜若名所の
「福島聖天 了徳院」奥深く
ひそんでいるのでした。

 

次回は、
「浦江のお稲荷さん」を謳う
お寺を取り上げます。

 

究会代表
 『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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今春、福島区歴史研究会のセミナーで
「浦江マチ歩きの栞
 -鷺洲界隈の再発見-」を話します。

 

写真図1 チラシ

「浦江」という地名は、
大阪市北区大淀南地区だけでなく、
現在の福島区にも及んでいました。
それがどうでしょう。
今日、町を歩いても
全くと言ってもいいほど福島区に
「浦江」を見かけません。

 

「浦江」といえば
「浦江の八坂さん」、
正式名称は、素戔嗚尊神社です。
福島区鷺洲の住民にとっての産土神です。
「浦江の八坂さん」は北区なのです。
写真図2 素戔嗚尊神社

 

北区大淀南3-3-25 に鎮座します。

写真図3 通称「浦江八坂神社」 

通称「浦江八坂神社」とあり、
旧地名「浦江」を伝えています。

 

神社を取り囲むようにしてある公園は
「浦江公園」です。
写真図4 浦江公園

所在地は北区大淀南3丁目3番です。
どこか誤解があって「浦江」は、
北区大淀南と見なされているようです。
いずれ明らかにしましょう。

 

福島区で「浦江」となれば
「浦江亭」という店があります。

写真図5 浦江亭

 

焼肉屋さんです。

たしかに所在地は福島区福島7-16-10です。
その場所は、昔の「浦江村」ではなさそうです。

 

次回は福島区のお寺に見える
正真正銘の「浦江」を挙げます。
 
学研究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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今回も*「エビス陳情書1801」の続きを読みます。
  *「エビス陳情書1801」
  :「享和元年蛭児之宮神祭取締リ請印形帳」
    野村豊、1958年『漁村の研究-近世大阪の漁村-』三省堂

 

往時の夏祭りについての記事です。

◇則尓今野田川と言伝へ候程之土地ニ而、
 其砌より夏越之祓與唱、
 新家迄御輿・太鼓・地車等持行、

  則新家ニ御旅所も有之

 

「今野田川と言伝へ候程之土地」とあります。
「今」は、請印形帳をしたためている時点ですので、
享和元(1801)年酉六月です。
当時、「野田川」の川の名称は
:すでに「言伝へ」だったと読み取られます。
これについては後にも触れます。

 

《大阪福島「野田城」の空間(6)

 :2018-02-14 16:01:43》に挙げた
「難波往古図」のように
近世の想像図には
「野田川」は描かれていました。

 

「其砌より夏越之祓與唱」とあります。
「其砌」が、いつの時なのかは、
これまた後回しとして、
「夏越之祓與唱」とは夏祭りと称して、
新家まで
御輿・太鼓・地車などを「持行」とあります。
「持行」とありますが、如何なる方法で、
新家の「御旅所」まで運んだのでしょう。

 

引用文の続きを読みます。
いつか挙げた箇所です。
◇其砌より当村内弓場町と申所ニ
 御輿人足出し来り候、
 東町と申者太鼓人足出し来り候、
 堤町・大野町・奥町・北野町四町者
 地車四ツ出し来り候、

 

《大阪福島「野田城」の空間(2)

 :2018-01-30 14:58:21》に
挙げた箇所です。
御輿をはじめ
供奉する町内が挙げられています。
いっぽうで、迎える新家側は如何でしょう。

 

引用文の続きを読みます。
◇新家者幟提灯ニ而、
 右御輿御迎ニ参リ、
 則野田西ノ口と申所より
 御船ニ而
 新家御渡有之候儀
 古例ニ御座候、

 

新家は幟、提灯を仕立てて
「御輿御迎」に赴いたとあります。
迎えに出た場所は
「野田西ノ口」という場所です。
「御船ニ而新家御渡」とあります。
船渡御です。
「野田西ノ口」の「口」は
船着場です。

 

「口」が船着場となれば、
森隆男『クチとオク

―住まいの民俗学的研究の一視座―』
(2017年3月清文堂)の記事が気になります。

 

《*『クチとオク

―住まいの民俗学的研究の一視座―』を読む(4) 
:2018-01-28 11:00:03》に
「最終章《第四章 集落に伝承されるクチ―オクの観念》」の
次の箇所を引用しました。
 *『クチとオク―住まいの民俗学的研究の一視座―』
  :森隆男、2017年3月30日初版発行』清文堂

◇城下町を一つの空間とみなしたとき、
  船着場も重要なクチといえる。

 

次回は、
再び*藤 三郎「野田城と戦国三好一族」の記事との
照合をします。
      *藤 三郎「野田城と戦国三好一族」
    :『なにわ福島ものがたり』

    福島区歴史研究会、2012年初版

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員
大阪あそ歩公認ガイド 田野 登

 

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