晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

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12月2日(土)の第76回浦江塾では
昭和6(1931)年12月に
地元(現在の福島区鷺洲)に生まれ
今もお住まいの
内藤眞治さんによる「戦中の浦江界隈」の
お話が聴けました。

 

写真図1 内藤氏作成地図

まずは、どぶ川(1925年『鷺洲町史』の「聖天川」)の先、
行き詰まりを12月3日(日)に
一緒に訪ねました。
そこは大淀中郵便局でした。
道路を隔てて真向かい(西)は
大仁八阪神社です。
写真図2 大淀中郵便局

2度目に訪ねたのは12月7日(木)でした。
局長さんに応対していただきましたが、
局の前に川が流れていたとは
全くご存じでなかった。

その足で大仁八阪神社宮司、
浦江八阪神社名誉宮司にも
お訊ねしましたが、
現在の大淀中郵便局前に
かつて井路川が流れていたとの証言は
得られませんでした。

 

「鷺洲衛生組合管内地図」昭和4(1929)年発行に
照らしました。
写真図3 「鷺洲衛生組合管内地図」の大仁南西部

聖天川は地図左下(南西)から
本門法華宗清風寺で向きを右(東北東)に
曲がって描かれています。
この地図には
郵便局は描かれていませんが、
大仁八阪神社は地図左中央(西)に
公設大仁市場(現在のビバ大淀)の下(南)に
表記されています。
そこには、川の表記はありません。
かくして、どぶ川の行き止まりに地点は、
確認できませんでした。

 

内藤さんの地図では、
「浦江中一丁目」周辺は
「鷺洲衛生組合管内地図」でも
所在が確かめられました。

記録に乏しい
この、かつてのどぶ川が流れる地域の
生活ぶりを知る有力な手がかりが得られそうです。
次回にまわします。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員 田野 登

 

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今年の「天保山で夕日を見る会」は 
神崎川・淀川デルタ地帯を歩いてから
阪神なんば線、大阪市営地下鉄中央線に乗り継いで
天保山サンセット広場に出ます。
写真図1 両島橋

集合日時:
 12月30日(金)午後1時(時刻厳守)小雨決行
集合場所:
 阪神なんば線「出来島駅」改札口

 

主なスポット(19日(土)の下見によっては変更します)
  阪神なんば線「出来島駅」→中島五社神社
 →元布屋の三社神社→牛舎のあった旧農家
 →青物市場跡→中島公園→城島橋→出来島防潮水門
 →西島橋→西島住吉神社→両島橋→百島
 →西島水門→大野川漁港→阪神なんば線「福駅」
 →阪神なんば線「九条駅」→大阪市営地下鉄中央線「九条駅」
 →大阪市営地下鉄中央線「大阪港駅」→サンセット広場

 

西淀川区の中島は、
元禄時代開発の町人請負新田で
昭和9年の室戸台風で景観を一変しました。
かつての長閑な風景を探ります。
西島川は神崎川・淀川デルタ地帯の最奥部です。
今日、水鳥が帰って来ました。
今や公害の街でない西淀川の川筋を水門、
神社、橋、漁港を
訪ねながら歩きます。
こんな機会でもなければ歩かない
大阪の水辺を散策します。
めざすはサンセット広場。

はたして今年も海に沈む夕日が拝めるやら?

 

2017年12月30日の大阪の日の入り時刻は
16:57です。
                http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/dni/2017/s2812.html

写真図2 2016年の海に沈む夕陽


厄除けにいかがでしょうか?
霊験は、もちろんご本人の気持ち次第です。
水都大阪は、昔から西の海に太陽が沈むことから
夕陽を拝む名所でもありました。
太陽が西の海に静かに沈みます。
この瞬間に一年の厄を西の海にサラリと祓いましょう。
落日後の虚脱感は、
多忙であった一年の納めの気分にさせます。
ふるってご参加を。

 

参加問い合わせは、
29日(金)までに
下記のメールアドレスにご連絡ください。
メールアドレス:noboru-t@amber.plala.or.jp 
参加費無料です。

 

究会
『大阪春秋』編集委員 代表 田野 登 

 

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12月2日(土)の第76回浦江塾では
昭和6(1931)年12月に
地元(現在の福島区鷺洲)に生まれ
今もお住まいの
内藤眞治さんによる「戦中戦後の浦江界隈」の
お話が聴けました。

 

どぶ川の話は、
昭和の初期「大大阪」を標榜した大阪市の
都心周辺のかつての
泥臭い風景を物語るものでした。

そこで内藤氏の語りの現地を歩く前に
大正11(1925)年『鷺洲町史』を繙くことにします。

 

時代を遡って幕末の*「浦江村明細」から
川筋を引きます。
  *「浦江村明細」:『鷺洲町史』鷺洲町史編纂委員会、
         1925(大正14)年発行、第二編 沿革

 ◇浦江村明細(*文久三(1863)年二月) (上略)
    一、用水の儀は中津川筋、(以下略)
    *同郡(西成郡)成小路村より分水引取申候

 

浦江の聖天さんの東を南に
湾曲しながら野田に向けて流れていた
『鷺洲町史』にある「聖天川」は、
旧中津川左岸の成小路村
(現在の成小路(淀川区)は淀川右岸)から
流れていたことは確かです。
往時の浦江は杜若の名所であったことに
示されますように
低湿地を縫うように井路が
張りめぐらされていました。

 

時を経て
大正時代の浦江周辺の
地勢はいかがなものでしょう。
町史「第三編 第三期 大正時代 下水道」を引きます。
◇本町は由来
 大阪市接続地点に位置せるの故を以て、
 比年多大なる同市発展膨脹の余波として、
 横溢的町内に移住する戸口は
 顕著なる趨勢を以て激増を加ふると共に、
 一方多数会社工場等の設立は頻々として続出せるが為め
 往時の耕地沼沢は今や変じて宅地となり、
 之に依り昔日農業本意たりし当地方は、
 忽ち化して商工業の要地として、
 前途益隆昌を加ふるの状勢にあり。

 

急激な都市化を迎えた時代の記事です。
「往時の耕地沼沢は
 今や変じて宅地となり」とあります。
まさに浦江の地は、
日清・日露の戦争を経て
新淀川が開削された明治42(1909)年以降、
染め物工場を始め、
大小の工場が操業を開始します。

それに伴って、
そこに従事する労働者が住む家屋が
井路川沿いに
建ち始めます。

 

急激な都市化は
空には煤煙を吐き出し、
井路川には汚水を垂れ流します。
明治31(1898)年設立の
大阪市立鷺洲小学校()の校歌の歌詞の
一番は次のとおりです。
◇淀のながれを くみわけて 
 水の通い路 いとしげく
 煙は高く 空をおおいて
 鷺洲の里は にぎわえり

 

この長閑な水郷が
その面影を失くすのは、
この「大大阪」に向かう時代のことです。
皮肉なことに
煙が高く空を覆うことを
讃えた時代のことです。

 

内藤氏の云う「どぶ川」は、
『鷺洲町史』発刊の
15年ほど後の話です。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員 田野 登

 

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12月2日(土)の第76回浦江塾では
昭和6(1931)年12月に
地元(現在の福島区鷺洲)に生まれ
今もお住まいの
内藤眞治さんによる「戦中戦後の浦江界隈」の
お話が聴けました。

話された内容によって標題を

「戦時中の浦江界隈」に変えました。
早速、明くる日、現地の確認に
ご一緒しました。

まずは、浦江塾での配付資料を載せます。

 

第76回浦江塾配付資料(2017年12月2日)
テーマ 「戦時中の浦江界隈」 
福島区歴史研究会会員 内藤眞治
(1)どぶ川について
 私が小学校の頃、自転車がほしく、母にねだって、
 家の近くの自転車店に行き、中古の自転車を買ってもらった。
 戦時中なので新車が無かった時代です。
 まず自転車で行きたい所は、近くに有るどぶ川の出先は、
 どこかを確かめるために、出かけました。
 福島駅から浄正橋通りを経る(今の「なにわ筋」)、
 大淀の方向に行くと郵便局の前で川は
 行き止まりになっていました。
 川の通りには、柳の木が数メートル置きにありました。
 また、どぶ川の下流には、
 野田駅前(阪神電車)を通って、
 現在の区役所前を通り、
 此花区に行き大川(中津川?)に流れていました。
 途中には現在の福島コミュニティ前及び
 野田阪神前の自転車置き場に
 川の水にゴミがたまっているのを取り除く
 下水処理場がありました。
 その後、どぶ川を埋めることになり、
 トロッコで土を運んでいた頃、
 工事の休日の日に友だちと
 トロッコに乗って遊んだことがありました。
 中国との戦争は日本が優勢でしたが、
 アメリカとの大戦は月日が経つにつれ、
 きびしくなりました。
(2)アメリカの艦載機について
 戦時中、小学生は疎開することになり、
 親戚がある場合は、奈良、岡山、和歌山、四国他に
 疎開しました。
 私は中学生だったので、地元にとどまり、
 町内会の行事に加わりました。
 その頃、アメリカの飛行機B29型が
 大阪市内が爆撃により
 焼け野原になってしまったのを見ました。
 福島区は大型機B29型の爆撃は無く、
 後日になってアメリカの空母(航空機を搭載した空母)が
 おそらく大阪湾から侵入してきたと思いました。
 艦載機による爆撃により、
 学校からの帰りに爆撃に遭い、
 草むらに隠れて助かったこともありました。
 終戦2日前、自宅にいた時、
 艦載機の音がしたので、表に出ますと、
 急降下して、私に目がけて攻撃してきたので、
 慌てて家に入り、
 その後、どこを攻撃したか調べに行きました。
 爆撃の場所は、
 国鉄の高架に列車が停まっていて、
 艦載機が列車目がけて爆撃したため、
 列車はそのまま停まったのでした。
 現在も高架に弾丸の跡が残っています。
 撮影した写真があります。

 

次回から、内藤さんの話の
現在の場所をブログアップします。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員 田野 登

 

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今回も大阪府立中之島図書館所蔵『浪華奇談』を
取りあげます。
本ブログは、該書についての
拙稿「翻刻『浪華奇談』怪異之部」(『大阪府立図書館紀要』第36号
2007(平成19)年3月31日発行)に基づき、
適宜、加筆、削除しています。
「拙稿」につきましては、以下のアドレスで確認ください。
   ↓ここをクリック
https://www.library.pref.osaka.jp/uploaded/attachment/475.pdf

 

今回も「天狗清兵衛」の続きです。

仏事を営むわが家を飛行する場面で
前回、終わりました。
仏事の訳は、
いずれ解き明かすことにしまして、
本文を続けます。

 

◇さしたり
 扨て三年歴て
 いとま遣はす間、
 『家へ帰るべし』と有りて
 金比羅の木像をたまわり、
 又眼病の灸穴(きゅうけつ)を教受せり。

 

三年間、天狗道に励んだところで、
暇乞いをするというのでしょう。
三年の年季奉公といったところでしょう。
まず、一つのポイントは、
「金比羅の木像」です。
それは、金剛坊宥盛自身が
慶長11年に自らの姿を刻んで木像です。

 

民俗学者・*宮本袈裟雄は、次のように記述しています。
  *宮本袈裟雄:1989年11月「修験道と山の怪-天狗」
       『歴史読本』臨時増刊
●金比羅大権現自体が天竺などから
 飛来した神であると説かれる場合もあり、
 中興の祖とされ、
 慶長18年(1613)に没した金剛坊宥盛は
 いわゆる天狗として祀られているが、
 彼が慶長11年に自らの姿を木像に刻んだ台座に
 「入天狗道沙門金剛坊形像」と刻している。

 

「金剛坊」はきっと名の知れた天狗に違いありません。
*天狗番付があります。
  *天狗番付:知切光蔵、1975年『天狗の研究』大陸書房、
       日本天狗総覧
●横綱 京都 愛宕山栄術太郎(中略)
(西)前頭(三枚目) 香川 象頭山金剛坊

 

「金剛坊」は前頭三枚目でした。
そういった「金比羅の木像」の
もちろんレプリカですが、
それを土産物として帰宅するのです。
後生大事に、
神棚に上げて信仰するのでしょう。
そればかりか、「眼病の灸穴」といった秘術を
授かったのです。

 

天狗から灸の秘術を授かったという話は、
大正11(1922)年10月発行*「土の鈴」15号にも
次のとおり、載っています。
  *「土の鈴」15号:松谷みよ子、1985年『現代民話考Ⅰ』
          立風書房,第二章 天狗
●石川県。祖母(当年76歳)が処女の頃
 小立野の馬坂に天狗の灸とて恐しげな老爺が居た。
 若年の頃天狗に伴れ行かれ
 点灸の技を授けられたとか云うので有名であったと申します。
 /文・山本鹿洲「続天狗物語」。
 出典・*「土の鈴」15号(土の鈴会)

 

慥かに
「天狗に伴れ行かれ
 点灸の技を授けられた」と記述されています。
「土の鈴」15号発行の1922年を
「当年」として起算しますと、
「祖母(当年76歳)」が処女の頃は、
15歳として1862年頃、文久年間頃の話です。
老爺の「若年の頃」は、老爺を仮に
70歳として50年前、20歳としますと、
1810年頃、文化年間になります。
生年が安永3 (1774)年の
『浪華奇談』の著者・小倉敬典が
30歳代の話になります。

 

今日でも鍼灸院に「天狗堂」を名乗るところが
多く見られます。
天狗による秘術を
伝承するものもありましょう。

 

以下、天狗清兵衛が再び、天空飛行に出ます。
天狗との出会いの場所が、ここでは記されています。

 

究会代表
『大阪春秋』編集委員 田野 登

 

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