晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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今から約30年前、
今思えば昭和の末期
市岡の都市文化研究会の生徒たちと
地蔵盆を調査して歩きました。

その中から地蔵さんの前で
踊っている写真を公開します。
昭和61(1986)年の西区の地蔵密集地帯です。

 

写真図1 西区九条南の東向地蔵尊

床几にある太鼓。
地方はそれだけで十分なんです。
日本一小さな盆踊りとは言いませんが、
路地奥のわずかな空き地に提灯吊って
踊っていました。
お地蔵さんは、写真の奥に祀られてました。

 

写真図2 西区九条北の子安地蔵尊

けっして揃えの浴衣でないところがエエのです。
左手前の男の子は、
ひとり踊りの輪に背を向けて
踊っています。
鉢巻きをしています。
踊り好きな「大阪人」のDNAを
受け継いでいるのでしょうか?

 

写真図3 西区九条北の北見地蔵尊

お地蔵さんは写真左奥に祀られてました。
お子たち、みんな浴衣を着せてもらって、
晴れ姿で踊りに興じています。
先頭のお嬢ちゃんは
今、いくつでしょう?
残念ながら、
北向き地蔵さんもおられなくなり、
わが子の代には継がれなくなりました。

 

最後に
翌年、昭和62(1987)年、大正区を調査した時の
写真をアップします。
場所は北村の風切地蔵尊です。
写真図4 大正区北村の風切地蔵尊

興に乗り
ご主人の三線を地方に
カチャーシーが始まったところです。
ウチナーンチュの人たちと
束の間のひとときを共にしました。

いずれも昭和の末の地蔵盆情景です。
セピア色の世界です。

 

9月10日(日)14:00から
「“大阪のお地蔵さん”に学ぶ、
 まちと暮らしの今昔物語」の
基調講演をします。

地蔵信仰をとおして、

市井の暮らしを見つめ直します。

 

写真図5 今昔フォーラムちらし

定員は50名程度です。

究会代表 
『大阪春秋』編集委員 田野 登

 

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真鍋昌賢著『浪花節 流動する語り芸-演者と聴衆の近代』
(2017年3月15日発行、せりか書房)を
読んでの感想のまとめを記します。

 

今回は、《真鍋昌賢『浪花節』の世界を読む》を
約1ヶ月半ぶりに更新します。
前回は、《終章 演者論の可能性》を踏まえて、
浪曲の今日的位置づけを紹介してみたいと記しました。

 

そもそも1969年、大阪出身の彼が
なぜ浪曲に興味を抱いたのだろうか?
20年近く前に大阪に生まれたボクには、
明治23年生まれの婆さんがラジオの節に
聴きながら涙していた「なにわぶし」に
惹かれたことなんぞ、ありませんでした。

 

彼の浪花節との出会いは
浪曲に惹かれてというより、
むしろ研究上でのことでした。
◇そもそも、浪花節研究に取り組みたいと考え始めたのは
 博士課程1年生の秋だった。
 近世の「世間話(うわさ話)」に関心をもって
 卒業論文を書いたわたしは大学院に入って、
 もっとメディアが複雑になった時代の
 口頭的な表現をテーマにしてみたいと思うようになっていた。

 

彼は、近世の世間話を
語られる場から問題にしたのでしょう。
大学院生当時から
関係性で以て、言説を捉えようとしていたのでした。
近世から近代へのフィールドの転換は、
彼にとって沃野に足を踏み入れることになりました。

メディアの複雑系は、
情報量の豊かさでもある訳です。
戦時下の浪花節がもっていた位置づけを
腑分けすることにより、
明晰に読み取りました。

 

《終章 演者論の可能性》から引用します。

◇むしろ戦時下の浪花節がもっていた位置づけ
 (それこそ「鵺」のような)を
 大局的につかむためには、
 浪花節が何を取り込み、
 何を提供したのかを整理するなかで、
 「国民」再生産の仕掛けの全体像のなかの
 どのようなパーツとして駆動したのかを

 つかみとる視野が必要である。
 国策に順応し媒介する側面と
 そこに回収しきれない側面、
 両方の解釈をくり返す作業の先に、
 浪花節がもち得た歴史的社会的な位相が
 おぼろげながらみえてくるだろう。

 

戦争に加担するようでいて、
情話を語り継いだしぶとく生き延びたからこそ、
戦後の「民主主義」の時代にも
浪花節は適合したのでしょう。

そのしぶとさを彼は「鵺」に喩えています。
「鵺」は実は、本書の冒頭に登場するのです。

 

《序章 問題提起と方法意識》の冒頭を引用します。
◇浪花節(浪曲)は「鵺」のようである。
 浪曲作家・秩父重剛は、
 1954年(昭和29)に刊行された『浪花節大全』のなかの
 「楽屋論文」でそう記している。
 浪花節は、
 その時代の「権力支配者に反抗するものではない」のだが、
 「逸早く時世に協力するかに見える物腰態度」をもっている。

 

このくだりで著者は、
「流動する節操のなさに対しての比喩」と記述しています。
一巡したところで、
ようやく副題「流動する語り芸-演者と聴衆の近代」を
読み解けた気がします。
それでは、著者にとって、「現代」の浪曲とは何でしょうか?

 

《あとがき》を引用します。
◇今や浪曲は、
 大衆芸能と伝統芸能の二つの顔をもっている。
 大衆芸能としての延命と、
 伝統芸能としての宿命をきりもりして、
 その両面から浪曲は、
 聴衆の感情と価値観にどのように溶け込んでいくのか、
 改めて、現在に立脚した浪曲の
 戦後史についても考えてみたいと思っている。

 

九州におられる著者と先ほど電話で話しました。
現代浪曲に至るまで、
このジャンルの生命力、したたかさの
行方を追うべく、「戦後史」が期待できそうです。

 

究会代表

『大阪春秋』編集委員   田野 登

 

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今年の地蔵盆2017年8月24日には、
久々に西区九条北の路地奥に祀られている
地蔵尊像とお目にかかって、
合掌したりしました。
たしかに、30年前の地蔵密集地帯は
変化しました。


路地奥の共同井戸の上に
祀られていた子安地蔵が
撤去されていたりします。
写真図1 路地奥の共同井戸の上に祀られていた子安地蔵
     撮影日:2002年8月24日

15年前までは、たしかに祀られていました。

写真図2 同じ場所の現在
     撮影日:2017年8月24日


今日、お地蔵さんをめぐる環境に
異変が生じています。

 

明治の初期には
お地蔵さんを祀ることに
政府から野鄙な習俗とお咎めがありました。

『大阪府布令集』1971年の
「明治五年」七月の記事を引用します。
◇地蔵祭ノ停止
 無用之冗費を省き、
 有用広益を図り、
 開化之域ニ赴く之今日ニ当り、
 当地旧来地蔵祭と称し、
 金銭を繋ぎ合せ、
 町内集会し、飲食を事とするの旧習有之、
 右ハ畢竟無益之財を費す而已ならず、
 是が為亦有用之時間も費し、
 無謂事ニ付、自今停止候事

 

「地蔵祭」を「旧習」と断じ、
「開化之域ニ赴く之今日」にあっては、
謂われ無き事につき停止を通達しているのです。

 

その通達の効果が無かったのか、
同年の11月には、環境衛生の側面からの通達があります。

◇町内路傍・環境ノ整備 
 府下各町内路傍に、
 従来地蔵・妙見或ハ稲荷・道祖神等、種々の小祠を
 軒下・路次・塵埃不潔之場所に置き、
 敬神の道に不叶のみならず、
 往来運輸之妨をなし、
 或ハ老幼婦女晨夕群集、
 無用之時間を費し、
 時としてハ賽会の為、
 町内より金銭取集る儀も有之由、
 野鄙の風習甚、
 無謂事に付、自今禁止せしめ候條、早々取除可申事

 

「敬神の道」が説かれた時代です。
神仏諸霊をランク付けした時代です。
地蔵祠などに
老幼婦女が朝夕、群れ集うことなんぞ、
「野鄙の風習」として「早々取除」くべく事を
通達します。

 

地蔵祠などの取り除いた空き地に
公衆衛生のために設置を通達した施設は?
◇…一 前條取除候跡地所見合、
 往来の妨に不相成候場所へ、
 一町内に一ヶ所宛塵捨場を設、
 一区内に一ヶ所宛大便所を設可申事(以下略)

 

なんと塵捨場であったり、
大便所であったりします。

このようなお地蔵さんにとって
文明開化の受難にもかかわらず
祀り継がれてきた「伝統」に
変化が見られるのが今日です。

 

9月10日(日)14:00~16:30
大阪ガス実験集合住宅NEXT21における
上町台地・今昔フォーラムにて
大阪のお地蔵さんの歴史・民俗を基調講演します。
写真図3  チラシ

参加問い合わせは、
CEL弘本さん☎06-6205-3518まで。

 

究会代表 
『大阪春秋』編集委員
                 田野 登

 

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気になる港区南市岡の波切地蔵尊の
踊りを見たくて
西区九条から港区南市岡まで歩きました。

境川の公園の西は港区です。
最初に詣でましたのは南市岡1丁目の
延命地蔵尊です。
JR大阪環状線高架の縁に
祠があります。
写真図1 JR大阪環状線高架の縁の延命地蔵尊

ここでも附近にテント張りが見えません。
祠を覗きますと
お祭りが行われた形跡があります。
真新しい帽子と涎掛けが奉納されています。
写真図2 真新しい帽子と涎掛け

 

それにしましても、地蔵盆の雰囲気がどこにもありません。
盆踊りの太鼓の音は
まだ早いので聞こえないでしょうが・・・・
南市岡1丁目の公園に来ました。
写真図3 南市岡1丁目の公園

前回調査は2010年、日本民俗学会年会の時でした。
大会テーマは「変化」でした。
その時は、25年ぶりの再訪で
この公園での盆踊り風景を眺めたものでした。
それが、今回、踊りの櫓も組まれてません。
その形跡も見られません。

 

ふと見やりますと
個人で祀られている
北向一眼地蔵尊は、お祭りされています。
小首をかしげておられる風に見えるのは
昔と変わりありません。
写真図4 北向一眼地蔵尊

波切地蔵尊に急ぐところ、
昔、馬力屋が世話をしたと聞く
延命地蔵尊のある路地に立ち寄りましたが、
ここでは、お祭りの様子は見受けられません。

懸案の波切地蔵尊を訪ねました。
写真図5 波切地蔵尊

ここでは、お祭りがされたとのことを近所の人から聞きました。
お世話なさる前川勝則さんを訪ねました。


お嬢さんがインターホンに出られ
先週末の8月19日(土)、20日(日)に
地蔵盆は行われたとのこと。
安堵の反面、踊りに立ち会えなかったのが
残念でした。
この辺りの地蔵盆の現在を
お教えいただきたい旨を
名刺に書いて郵便受けに入れました。

 

足は、上町の将軍地蔵尊の踊りを訪ねるべく、
環状線弁天町に向かいました。
すると市岡高校の前のお地蔵さんに
提灯の灯がともっているではありませんか。
早速、駆け寄りました。
夕方の6時半です。
7時半から数珠繰りをなさるとおっしゃる。
それならばと、
1時間ほど、世間話をしました。

いよいよ数珠繰りが始まりました。
最初の一巡二巡までは輪に加わりました。
写真図6 市岡高校前のお地蔵さんでの数珠繰り

子どもたちが集まってきだしたところで
暇乞いしました。

 

帰途に立ち寄った将軍地蔵尊の
盛大な盆踊りは、
「今昔フォーラム」で紹介することにします。

 

翌朝、*前川勝則さん(昭和43年生)から
お電話をいただきわかりましたことは、
南市岡の公園での地蔵盆踊りは
5年前を最後に

小学校での地蔵抜きの盆踊りに変わったこと。
1丁目の延命地蔵尊も
波切地蔵尊も盆過ぎの最初の週末8月19日から20日に
祭りを済ませたとのこと。

 *前川勝則さん: ブログ

 

ちなみに*「大阪市港区の地蔵信仰に関する調査報告」
(『近畿民俗 第106号』 近畿民俗学会 1986.2)の
「地蔵盆の日取り」の項には、
「8月23日から、24日の地蔵菩薩縁日にかけて行われる。…
24日にかからない例は一例だけある」とあります。
その一例は南市岡ではありません。
 *「大阪市港区の地蔵信仰に関する調査報告」:
 HP「なにわ大阪民俗資料館」
 http://osaka-web-museum.na.coocan.jp/tano14-11.htm

 

今回の地蔵巡りでは
変容し続ける地蔵信仰の一端が垣間見えました。

 

究会代表 田野 登

 

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一昨日2017年8月24日、地蔵盆の宵、
30年程前に
市岡高校の都市文化研究会の生徒たちと
地蔵調査をした
大阪市西区・港区を歩きました。

 

まず地下鉄九条駅を降り
九条新道を北に、
そして商店街の裏手(東側)に入りました。
かつての地蔵密集地帯です。
路地奥に地蔵の祠をみつけました。
たしか、共同井戸がありました。
それが、今ではありません。
それに提灯を吊ってないのです。
写真図1 共同井戸があった立江地蔵尊

祀られているようには見えません。

 

かつて子安地蔵尊を祀り
踊っていた町内を訪ねました。
お地蔵さんを世話なさっていた方から
地蔵尊像を四天王寺に移した際の
つらかった思いを聞かされました。
この辺りに祀られているお地蔵さんは
めっきり数が減ったとのこと。
「うちの町内ではありませんが…」とのことで、
案内されたのは北向地蔵尊です。
写真図2 北向地蔵尊

たしか市場裏のお地蔵さんで
眷属のジロハツァン(次郎八)狸が
泥棒から町内を守ってくれると聞きました。
一日前の8月23日にはお寺からのお参りがあったとのこと。
祠内には新しい蓮の花が供えられてました。
お祀りされているお地蔵さんに案内されて
ホッとしました。

 

一人になって、かつて踊られていた北見地蔵尊の
祀られていた町内に出ました。
写真図3 かつての踊り風景

当然、今ではいつもと変わらないようすです。
写真図4 北見地蔵尊の祀られていた町内

かつて井戸の上に祀られていた子安地蔵尊の
路地を覗きました。
ここでも当然、地蔵盆とて普段どおりで
人気もありません。
写真図5 子安地蔵尊の祀られていた路地

左手前に井筒と地蔵祠の礎石が見えます。

 

この後、《今昔フォーラムでの基調講演
「大阪のお地蔵さん」準備中(2) 》に挙げた
九条南の立江地蔵尊を訪ねました。
狸のクロサンのご託宣のあったお地蔵さんです。
こここそ、世話方がテントの下で
お地蔵さんのお守りをなさっていると
期待して訪ねました。
それが、このありさまです。
写真図6 九条南の立江地蔵尊

背景の右手には「八紘一宇」と
「関西風水害の跡標」の石碑がチラッと見えます。
この石碑には、
室戸台風時の最高水位線が書かれています。

写真図7 左が「関西風水害の跡標」の石碑

 

かつて立江地蔵で
「昭和9年室戸台風の時、
  お堂ごと、尊像も、道路のところに流されてしまった」と
聞いた風水害を今に伝える石碑です。

テントが張られてないからといって
立ち尽くしていても仕方ない。
まさか、ここの立江地蔵さんが
地蔵盆にほったらかしにされることはあるまいと、
粘ることにしました。
通りすがりの年輩の女性に尋ねました。

 

すると、先週の週末にお祭りがあったとのこと。
ここでも安堵しました。

地蔵盆の行事の日程が
週末に移動しているのです。
それは30年前の調査でも
聞いたことです。

 

この後、気になる港区南市岡の
かつての地蔵密集地帯に足を運びます。
はたして、踊っているでしょうか?

 

究会代表 田野 登

 

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