晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


テーマ:

前回は、
阪俗研(はんぞくけん)こと大阪民俗学研究会を
会員の方および阪俗研に興味を持たれる方を
対象に「阪俗研的シラバス」を広報しました。

今回は、その続きです。


本ブログには、以下のタイトルの記事があります。

↓ここをクリック

「阪俗研的シラバス」を練る

2012-12-19 04:59:58 :テーマ:■晴耕雨読


活動の趣旨は以下のとおりに記しております。


 ●研究会は、大阪(大阪市内および周辺地域)を中心に、
 さまざまな民俗・歴史・文化事象を実地見学、
 フィールドワークをからめて研究する。
 一連の活動を通じて、大阪における新しい文化事象、
 埋もれた民俗事象を発見し、情報発信する。


しかし、「大阪」に全くこだわっていません。
現に首都圏の方もおられ、
今回、大津の方もメンバーになられ
阪俗研の視野と見識を広めることができるのを
期待しております。


以下、《「阪俗研的シラバス」を練る》の
「第1ステップ:セミナー・講座」に
記したことを載せます。


 ●第1ステップ:セミナー・講座
 この活動においては、ボクが会員のみなさんに向かって、
  近世から近代にわたる文献資料を配付して
  講義するスタイルです。
  もちろん、質問などのやりとりで
  阪俗研的な知識を深め合おうとするものです。
  これには次の1~8のプログラム
  (《 》内はメニュー例)を考えています。
  1.大阪の民俗宗教を解説する:
  《「大阪の地蔵信仰」「大阪の波除信仰」
  「川筋の生業にみえる民俗宗教」など》の講義。
  2:大阪の都市空間を解説する:
  《絵地図「改正増補国寶大阪全図」の世界」
  「大阪ミナト文化」「『女工哀史』の近代大阪」
 「『大阪アースダイバー』の検証」》などの講義。
  3:大阪の年中行事を読み解く:
 《「梅田牛の藪入り」「野里住吉一夜官女祭」「正蓮寺川施餓鬼」》などの解説。
  4:大阪の伝説を読み解く:
 《餓鬼島伝説、野里住吉人身御供伝説、名松伝説》などの講義。
  5:大阪の錦絵を読み解く:
 《初代長谷川貞信『浪花百景』》の絵解き。
  6:大阪の地誌を読み解く:
 《『芦分船』『摂陽群談』『摂津名所図会』『神社仏閣願懸重宝記』など
  『摂津名所図会大成』『浪華百事談』『大阪独案内』『大阪繁昌誌』》などの講読。
  7:大阪の古典文学を読む:
 《『万葉集』『弱法師』『日本永代蔵』『曾根崎心中』
  『心中天の網島』》などをテキストにして、
  大阪に関連する記述の講義。
  8:大阪の古文書を読む:
  《芝右衛門狸『淡路名高古狸物語』、
   浪花七墓千日墓所聖・本良著『行基菩薩草創記』、
  『浪花奇談』》など近世版本の講読。


こうして挙げてみますと、会員からのリクエストが
あれば、いつでもできそうな教材が埋もれていることに
気づきました。


以下、同ブログの「第2ステップ:実地見学」を載せます。
 ●第2ステップ:実地見学
 第1ステップでのセミナー・講座に挙げた場所を、
 配布する古地図・現代の地図に基づき歩きます。
 たとえば、「大阪市西区九条の地蔵堂探訪」、「大阪港周辺の 生業探訪」
 「『曾根崎心中』の堂島をめぐる」、
 「大坂北郊の名所の探索」、「中之島蔵屋敷ツアー」、
 「『神社仏閣願懸重宝記』の世界を歩く」「『大阪アースダイバー』のミナミを歩く」  など、
  いくらでもコースは設定できます。


これらの実地見学は、
今のところ、講座や見学会を頼まれた時、
阪俗研メンバーと下見調査という形(参加費無料)で、
実施しようと考えています。
とりもなおさず、会員による調査の方法を
お伝えしたいのです。


「第3ステップ:ワークショップ」は省略します。

「第4ステップ:フィールドワーク」は、会員からの
主体的取り組みを期待しております。
11月(なんと明日)には、会員が福島区の地蔵調査を
するとか聞いています。
セミナーでお伝えしたことが、
役に立つやら、期待をしております。


「第5ステップ:研究発表」は、
当面、浦江塾の場を
借りて、やらせていただくことにします。

やがて調査研究がまとまりましたら、
いずれ研究紀要のようなものを
発行したいと思います。
その際は、もちろん予算を立てて、会計報告を
会組織として発行することになります。
まだまだ先のことです。


会員の中には、おのおの研究テーマを
持ってセミナーに参加されておられたりもします。
セミナーの後の「情報交換」の賑やかなこと。
これが楽しみの一つです。


毎週1回の「阪俗研たより」も50回近くなりました。
今まで、ボクからのイベント情報ばかりでしたけれども
最近になって、会員にメッセージなどお願いして
掲載しております。

京橋駅界隈の「下見」調査などは、「阪俗研たより」に
会員限定で呼びかけています。
ブログアップは、「調査報告」でします。


以上、「阪俗研的シラバス」を練り直すということで
会員以外のみなさんに阪俗研の活動と抱負を
記しました。

興味がある方は、ブログトップの阪俗研まで
ご連絡ください。


究会代表 田野 登

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阪俗研(はんぞくけん)こと大阪民俗学研究会を
立ち上げまして約一年。
この際、「阪俗研的シラバス」を練り直すことにします。

会員の方および阪俗研に興味を持たれる方を
対象に「阪俗研的シラバス」を広報します。


阪俗研の無料メール会員(以下「会員」)
登録者数は約90名です。
メンバーの大半は、ボクより少し年長の
シニア・アクティヴの方ですが
地蔵盆のころからは、熱心な研究者、大学院生の方なども
入会されてます。


A4で4頁ほどの阪俗研便りは
毎週、1回送信しております。
この間、メール送信停止を申し入れらた方は1名おられます。


地味な活動ながら会員は、徐々に増えております。
特にお地蔵さんに興味を持つ方や
大阪市福島区周辺の方で地域史に関心の高い方が
新しく会員になられたりしています。

依頼のあった講演や阪俗研セミナーの時に
会員になられたりします。


本ブログには、以下のタイトルの記事があります。

↓ここをクリック

「阪俗研的シラバス」を練る


阪俗研(以下「研究会」とも)とは何かと尋ねられれば
ボクの個人的な研究会ですと答えていますが、
活動の趣旨は以下のとおりです。


 ●研究会は、大阪(大阪市内および周辺地域)を中心に、
 さまざまな民俗・歴史・文化事象を実地見学、
 フィールドワークをからめて研究する。
 一連の活動を通じて、大阪における新しい文化事象、
 埋もれた民俗事象を発見し、情報発信する。


なかなか実地見学、
フィールドワークにまでは至っておりません。
今度、京橋駅界隈の調査を会員を対象に
「下見」の形で実施します。


具体的には、5つのステップを考えておりました。
第1ステップには、セミナー・講座、
第2ステップには実地見学、
第3ステップには、ワークショップ、
第4ステップには会員によるフィールドワーク
第5ステップには会員による研究発表


今年一年、 第1ステップの有料セミナーに終始しました。
地蔵信仰をめぐる地域史研究、
往来物を読み解く和船についての学習など
ボクがPowerPointを駆使して講義をしております。
なかなかワークショップなど、やりにくいですね。
知り合い同士では、照れくさくて。

続きは、次号に載せます。
阪俗研に興味がある方は、ブログトップの阪俗研まで
ご連絡ください。

究会代表 田野 登

  • 2012-12-19 04:59:58
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    浦江塾での行基伝承の話が迫ってきました。
    PowerPointがほぼ完成しました。


    その作業の中で、本ブログでの
    《浦江塾「行基伝承」の構想》の記事を
    再考してみました。
    北大阪における行基伝承についてであります。

    どうも『行基年譜』の地名に関する
    ボクの解釈はおかしいのではないか?


    写真図1 北大阪における行基伝承


    晴耕雨読 -田野 登-

    問題は(1)『行基年譜』の地名
    「白鷺嶋堀川」の個所にあります。


    写真図2 『行基年譜』摂津国西成郡記事


    晴耕雨読 -田野 登-

    ●堀四所(中略)
    比賣嶋堀川
      [長さ六百丈、広さ八十丈、深さ六丈五尺]
      西城郡津守村に在り、(中略)
       已上西城郡津守里に在り、
      (中略)已上三所摂津国に在り


    本ブログ《浦江塾「行基伝承」の構想(6)》では
    「行基が関わったのは、「姫島」です」と記しました。
    この「姫島」は、現在の西淀川区を想定していました。

    「深さ六丈五尺」とは、約20メートルの深さです。
    そんなに深い堀川を掘削できるだけの島嶼であれ、
    陸地が西淀川区に存在したのかの疑問です。
    たとえ「津守(里)」を
    大阪湾一帯に広がる地域を指したとしましても、
    河海に堆積してできた島々「八十島」の伝承のある地域です。


    「比賣嶋堀川」の場所の比定「姫島」を訂正します。


    本番では
    《5 北大阪における行基伝承
    (1)『行基年譜』の地名「白鷺嶋堀川」6~7世紀の大阪の地形》に
    日下雅義2012年『地形からみた歴史』
    講談社学術文庫口絵
    「6~7世紀ころの摂津・河内・和泉の景観」を
    用いて説明します。
    ブログアップは、申請していませんので
    できないのが残念です。


    次に「白鷺嶋堀川」についてであります。
    これの場所について特定するところまでは
    ブログではゆかなかったのですが、
    「鷺島」との絡みで述べました。
    その根拠としたのは『摂津志』の記事です。


    写真図3 並河誠所『摂津志』享保20(1735)年


    晴耕雨読 -田野 登-


    朱色の文字で記しました並河誠所『摂津志』が
    問題のように思えてきました。


    本ブログ《浦江塾「行基伝承」の構想(7)》では
    次のように記しています。


    ●さらに『行基年譜』が書写されたのが
    建保2(1214)年に対し、
    『摂津志』記事の「大般若経一百三十五」の跋には
    「承久三年三月廿七日」と記されていたとあります。
    承久三年は1221年です。
    『行基年譜』を書写した時点である
    建保2(1214)年とほぼ一致します。
    鎌倉期初期、近世の浦江村は「鷺島の荘」に属し
    このあたりを「白鷺嶋」と称する島が
    存在したというのでしょうか?
    『摂津志』の記事が偽文でないならば、
    そのような推定が成立します。
     
    このブログを記す今は、
    「大般若経一百三十五」の跋が『行基年譜』書写と
    「ほぼ一致」することへの疑念を深めております。
    『摂津志』の記事が『行基年譜』を下敷きにしてはいないかと。
    それを明らかにするには、『摂津志』編纂過程の
    問題を解決しなければなりません。


    浦江塾で発表するにあたり気づいたこと2点を
    取り上げて記しました。

    《浦江塾「行基伝承」の構想(6)》
    《浦江塾「行基伝承」の構想(7)》は、
    加除訂正します。


    究会代表 田野 登


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    先週末の10月26日(土)
    阪俗研の第2回和船セミナーを開催しました。


    写真図1 表紙
    晴耕雨読 -田野 登-


    参加者は結局、9名でした。
    今回は、その報告を出席者の方々からメールで
    いただいたメッセージにボクからのコメントを添えて
    載せることにしました。

    編集の意図は、セミナーのようすを
    伝えることにあります。
    その意図に沿ってメッセージを並べます。


    最初は平下裕規会員からのメッセージです。


    市岡高校の同窓会で30数年ぶりに
    恩師田野先生と再会しセミナーに参加させて頂きました。
    水先案内人の田野先生は変体仮名で
    版本を読み進めるだけでなく、
    様々な和船や地図、和船のある風景などを用意され、
    広がり深まっていく「読み解く」魅力を
    熱心に講義されておられました。
    たいへん有意義な時間ありがとうございました。
    メットライフアリコ生命保険株式会社
    コンサルタント 平下裕規


    田野からのコメント
    ボクのセミナーの方法を書いていただけました。
    今回は、出席者がただPowerPointを見るだけでなく
    テキストを一工夫し、
    一緒に考えてもらうことにました。
    あいかわらずのボクの奮戦ぶりをお目にかけました。
    文字を読み解くのには図像を用いました。


    写真図2 変体仮名の確認

    (以下の写真撮影は全て森田道仁会員)


    晴耕雨読 -田野 登-



    次に村尾清一郎会員からのメッセージを載せます。

    「往来物から読み解く「和船」の世界」の講座に出席し 、
    『萬祥廻船往来』をテキストに学習しました。 
    テキストには、神代から近世までの
    船の種類と歴史が書かれています。
    講座は、7世紀の大阪の地図のほか、
    住吉大社やなにわ海の時空館からの
    写真を多数交えての講義でした。
    『摂津名所図会』の挿絵や『浪花百景』の錦絵などの
    画賛を読みながらの説明もありました。
    『摂津名所図会』や『浪花百景』を
    自分でも読みたくなりました。
    此花区には井路川が多数ありましたので、
    新田開発の頃の、船のこともっと知りたくなりました。
    此花区区民学芸員 村尾清一郎


    田野からのコメント
    セミナーの概略を書いていただけました。
    そう、地元である此花区の調査に引きつけて
    学習してください。
    「平田舟」というのは、かつて井路川を行き交った
    田舟ですね。


    写真図3 『摂津名所図会』を読む


    晴耕雨読 -田野 登-



    3人目は西村芳行会員からのメッセージです。

    此花区在住の西村芳行(1948年生まれ)です。
    此花区酉島地域にある中の一町会長を務めています。
    このたび”萬祥廻船往来”のセミナーを受けておりますが、
    文章と図絵を対照することにより乏しい知識に、
    より深い理解力を与えてくれています。
    ”船”を通して、その種類や道具、
    それに海路等が往時の政治や経済活動
    また人々の生活が目に浮かんできて嬉しくなります。
    そして楽しく学習しています。


    西村会員は、版本の読みを
    ご自身の読みと対照しながら聴いておられました。
    辛気臭がらずに、よくお付き合いいただけました。
    隣の福島区まで学習にいらっしゃる
    町会長さんの期待にそえるよう精進します。



    晴耕雨読 -田野 登-


    最後に弘津興太郎氏からのメッセージを載せます。


    大阪のマチはどこから生まれたのだろう。
    浪速潟というように、海の近くに住み着いた人たちに、
    船という乗り物でやって来た渡来の人びとが、
    文化と技術を教えて、
    その頃の先端の都市が生まれるきっかけになった。
    そうして古代から中世、近世江戸となり
    上方と呼ばれる撩乱期が花開く。
    昨日の講義を聴いていて、そのように思いました。
    弘津興太郎 元新聞社勤務 


    ジャーナリストの慧眼は鋭い。
    ボクの目論見を遙かに超えています。
    まるで都市大阪生成物語になりますね。
    ついでに
    本ブログ「中沢新一『大阪アースダイバー』の読み方
    2012-12-12 12:25:26」を
    ご覧いただければありがたいことです。
    往来物の世界が、このように読まれるとは
    十返舎一九も驚きでしょう。

    次回も参加者のみなさんの知的好奇心を
    刺激する講義をしたいものです。

    お願いしましたメッセージを快く
    引き受けてくださった4名の方に感謝します。


    次回は、11月23日pm7時開始
    福島区民センターです。
    3回目から参加の方のためにも
    テキストの最初からおさらいをするつもりです。
    会費は各回1000円(資料代込み)です。

    問合せはブログトップの阪俗研まで


    究会代表 田野 登

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    テーマ:

    来る11月2日(土) 浦江塾で「行基伝承」を話します。

    表紙と目次ができましたので、
    ブログアップします。


    今回、標題「奈良時代の高僧・行基の伝承」を

    朱の文字にしました。

    背景写真から朱の「奈良時代の高僧・行基の伝承」が

    立ち上がってきます。

    朱色は火をあやつる行為の
    メタファーです。


    写真図1 表紙


    晴耕雨読 -田野 登-


    表紙の右隅に、黄色と黒の縞柄が見えます。

    どこの踏切でしょうか?

    この踏切の場所は、

    「うめきた」再開発地区の南西端にあたります。
    JR貨物駅「梅田駅」の南西端です。

    ここは、知る人ぞ知る「梅田三昧」のあった場所です。

    「あった場所」?
    現に最近まで、墓が数基祀られていました。
    図像の右に見える木立のところです。


    本番では、墓石の写真および
    ブログアップ申請していないので
    公開できない絵図をお見せします。
    それは「大坂梅田墓」での「萬燈供養」の図です。
    画像から、その図は宝暦6(1756)年と推定されます。


    その墓地には行基開基の伝承があります。
    もちろん行基の生きた時代に「墓」など
    あろうはずがありません。


    写真図2 コンテンツ
    晴耕雨読 -田野 登-



    浦江塾でのコンテンツです。
    今回は、〈5 北大阪における行基伝承〉のところで
    「梅田三昧」の話をします。

    ほんまのところ、いつ誰が墓を開いたのでしょうか?

    本番では、〈4  『行基草創記』の世界〉のところで
    伝説化した「行基」を踏まえた上で
    「梅田三昧」の話をします。


    だいたい、都会というのは
    「開発」すると云っては
    もとの自然環境に手を加え、
    「再開発」という名目で
    次々と元あった施設を破壊し、
    新たな集客施設を創出する所のようです。


    都会には、伝承の層が堆積しています。
    古い層は地下に埋もれていて見えません。

    都会人は場所の記憶を喪失しがちです。
    それは、都会人が殊更、忘れっぽい人たちだからなのでしょうか?
    そうですよね。きっと・・・。
    一所懸命に土地にしがみつく習性など
    ない人たちの集まっているのが都会なのですから。


    しかし、ボクは
    「うめきた」再開発地区の地下に眠る
    諸霊を慰めるためにも、この話は
    お伝えしておきたいのです。


    本番では「三昧聖」を自称した人たちの
    伝承としての「行基」にまつわる伝説を
    「史実」とされる言説と絡めてお話しします。


    民俗学的手法の真骨頂は
    今、そこに立ってみて

    見えないことをお見せすることです。
    これなんです。
    民俗学は、現在学なのですから

    今・そこから始めて

    過去・彼処をめぐって

    再帰的に見えないことを

    追究する学問なのです。


    浦江塾の問合せは
    ブログトップの阪俗研まで。


    究会代表 田野 登



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