晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。


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前回は、「都市民俗」を論究する端緒に、
おびただしい職業名を羅列しました。
(標題の「夫婦善哉」の「めおとぜんざい」は、
屋号でありますので、数に入れませんでした。)

「夫婦善哉」が切り取ったのは、
小売業やサービス業といった第三次産業ばかり59件でした。
今回は、このような都市生活者の
季節感をたどってみることにします。

都市での暮らしは、季節感に乏しいといわれます。
確かに野良仕事に勤しむ人たちのように
春に種を蒔き、秋には収穫、冬には一年の豊作を祈るといった
年間のサイクルで、一年が回っている訳ではありません。
「夫婦善哉」に登場しますのは、
農業に従事しない人たちばかりですので、
当然、農村と都市とは季節感に違いがみられます。
当時の都市生活者の季節感とは、どのようなものなのでしょう。

「夫婦善哉」の季節感を夏からたどることにします。
以下の引用は、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/ )の
「夫婦善哉/織田作之助」によります。
ただし、ルビは省略し、改行は適宜しました。
(一部、講談社文芸文庫1999年版により校訂しています。)
氏神の夏祭には、水干を着てお宮の大提燈を担いで練ると、
 日当九十銭になった。鎧を着ると三十銭あがりだった。

種吉はちょうど氏神の祭で例年通り

 お渡りの人足に雇われたのを機会に、手を引いた。

これらの箇所では、蝶子の父・種吉が毎年、夏祭りの人足として雇われて
行列に参加していることが記されています。
天麩羅屋だけでは食ってゆけないので、生活の足しにしていました。
昭和初期にも都会の祭礼にはアルバイトが動員されているのです。

「氏神」は生国魂神社と読み取られますので、7月9日のことです。
大阪の夏は、7月じゅうに、ほぼ神社の夏祭りを終えます。
現在でも、神社のお祭りは、
旧農村部では、秋祭りが盛んであるのに対して
市街地は、夏祭りの方が盛んです。
それは、農村の祭は、収穫祭の性格があるのに対し、
都市の祭は、京都の祇園祭、大阪の天神祭に代表されるように
疫病除の性格が強いだからです。

大阪の夏も、盂蘭盆会が過ぎ、
ようやく宵の口に秋の気配を感じる頃合い、
路地路地に明かりがともります。
十日目、ちょうど地蔵盆で、路地にも盆踊りがあり、
 無理に引っぱり出されて、単調な曲を繰りかえし繰りかえし、
 それでも時々調子に変化をもたせて弾いていると、
 ふと絵行燈の下をひょこひょこ歩いて来る柳吉の顔が見えた。
 行燈の明りに顔が映えて、眩しそうに眼をしょぼつかせていた。
 途端に三味線の糸が切れて撥ねた。
 すぐ二階へ連れあがって、積る話よりもさきに身を投げかけた。
柳吉は、娘のいる梅田の家に帰って戻った来ない、
浮かぬ気持ちで蝶子が三味線をつま弾いています。
そこにひょっこり、柳吉は戻って来ました。
柳吉久々の帰宅の場面を地蔵盆の宵に設定しています。
絵行燈の明かりの下に蝶子は気づくのです。
後は、いつもの痴話話になります。

8月23、24日は、地蔵盆です。
写真図1 「大阪市中の地蔵盆」
(日垣明賢1932年8月「大阪市中の地蔵盆」『上方』20号)


晴耕雨読 -田野 登-


「路地狭う提灯吊るや地蔵盆」の世界です。
舞台となった上町の当時の地蔵盆の記事があります。
地蔵盆として子供本位の百万遍も繰るが、
 盆踊は夜を更けてもやる随分盛んなものだ。
 音頭取は列外にあつて朗々と唄へば、
 傍らの三味線はトツテンシヤンシヤンと地を勤める。
 踊り子は浴衣着に手拭の頬冠りして、
 そのぐるりに円陣を作つて踊り抜く。
 (佐古慶三1932年8月「上町の盆踊」『上方』20号)
芸者上がりの蝶子が無理に引っぱり出されのも
無理はありません。
今日、市内の路地の奥で踊るのは、
すっかり見られなくなりました。
ボクが市岡高校の生徒たちと大阪市港区、西区、大正区の地蔵信仰を
調査していましたのは、昭和から平成にかけての頃でした。
今から30年近く前のことです。
一世代昔のこととなります。
紅提灯が、その宵にはともされ、路地奥の地蔵堂の前では、
床几が据えられ、町内の大人が太鼓を叩き
それに合わせて踊るのは、小学校に行くか行かぬかの
子供たち10人ほどでした。

「夫婦善哉」の地蔵盆の記事を読んで、
ボクはひたすら、懐旧の念を禁じ得ませんでした。
ああ、「夫婦善哉」にもボクの実見した世界が
さりげなく表現されているんだ・・・と。
次回は、秋の情景を取り上げることにします。


阪俗研からのご案内です。
次回のセミナーは、6月22日(土)です。
第4回セミナー「実況:都会の地蔵探訪」後篇です。

詳しくは、このブログの
「ビリケン像人気の謎を解く布袋さん研究」報告最終回の
最後に書いてあります。

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これからしばらく、今年2013(平成25)年が
織田作之助生誕100年ということで
「夫婦善哉」の都市民俗を追究してみたいと思います。
「夫婦善哉」とは、
昭和15(1940)年4月、『海風』(第7号)に発表された小説です。
学校の副読本では、織田作之助を
*「新戯作派」と位置づけております。
 *『新総合国語便覧』1992年、第一学習社
「夫婦善哉」は、昭和30(1955)年、豊田四郎監督、

森繁久弥の柳吉、淡島千景の蝶子の

映画などによってもよく知られております。


原作の時代は、大正末期から昭和初期で、
主な舞台は、大阪のミナミ界隈です。
安化粧品問屋のぼんぼんの柳吉と、
天麩羅屋の娘で芸者上がりの蝶子が
都市を舞台に、おかしくも哀しい物語です。
放蕩者の柳吉をしっかり者の蝶子が支えるといった
ステレオタイプの「大阪庶民」の
生きざまを描いた小説ですが、
一連の痴話話には、当時の都市に生きた人間の
ある面をまざまざと見せつけます。


「夫婦善哉」表紙

大阪府立中之島図書館所蔵


晴耕雨読 -田野 登-



晴耕雨読 -田野 登-

「夫婦善哉」裏表紙

大阪府立中之島図書館所蔵


晴耕雨読 -田野 登-


まず文体から見てみましょう。
冒頭は次のとおりです。以下の引用は、
青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/ )の
「夫婦善哉/織田作之助」によります。
ただし、ルビは省略し、改行は適宜しました。
年中借金取が出はいりした。
 節季はむろんまるで毎日のことで、
 醤油屋、油屋、八百屋、鰯屋、乾物屋、炭屋、
 米屋、家主その他、いずれも厳しい催促だった。
 路地の入り口で牛蒡、蓮根、芋、三ツ葉、蒟蒻、
 紅生姜、鯣、鰯など一銭天婦羅を揚げて商っている種吉は
 借金取の姿が見えると、
 下向いてにわかに饂飩粉をこねる真似した。
間髪を容れず畳みかける名詞群。
節季の「借銭乞」は
西鶴の*『世間胸算用』は大晦日の話でしたが、
 *前田金五郎訳注『世間胸算用』1993年版、角川文庫
「夫婦善哉」では
借金取に追われるのは毎日のことらしい。
この印象的な書き出しは、ヒロイン蝶子12歳の時の
親のやりくりの一コマなのです。


名詞を畳みかける手法は、
有名な「南」の「うまいもん屋」を並べ立てる箇所にも
遺憾なく発揮されています。
・・・本真にうまいもん食いたかったら、
 「一ぺん俺の後へ随いて……」行くと、
 無論一流の店へははいらず、よくて高津の湯豆腐屋、
 下は夜店のドテ焼、粕饅頭から、
 戎橋筋そごう横「しる市」のどじょう汁と皮鯨汁、
 道頓堀相合橋東詰「出雲屋」のまむし、
 日本橋「たこ梅」のたこ、
 法善寺境内「正弁丹吾亭」の関東煮、
 千日前常盤座横「寿司捨」の鉄火巻と鯛の皮の酢味噌、
 その向い「だるまや」のかやく飯と粕じるなどで、
 いずれも銭のかからぬいわば下手もの料理ばかりであった。

並べ立てられるうまいもん群には、実在する地名、店家が
散りばめられているだけにリアリティを感じさせます。
ほんまかいなと探訪したくもなります。


「夫婦善哉」のおもしろさは、
世間から「日陰者」とされた蝶子と
飲んだくれの柳吉との不思議なつながりにあります。
要するに、どれあい夫婦の痴話話にあります。
これは、肩肘を張らない作品のテーマにも関わります。
貯金通帳をおろして、難波新地で使い果たし
魂の抜けた男のようになって帰って来た柳吉は、
いつもの蝶子からの折檻を容赦なく受けます。
二日酔いで頭があばれとると、
 蒲団にくるまってうんうん唸っている柳吉の顔をピシャリと撲って、
 何となく外へ出た。(中略)
 「自由軒ここのラ、ラ、ライスカレーはご飯に
 あんじょうま、ま、ま、まむしてあるよって、うまい」と
 かつて柳吉が言った言葉を想い出しながら、
 カレーのあとのコーヒーを飲んでいると、
 いきなり甘い気持が胸に湧いた。
 こっそり帰ってみると、柳吉はいびきをかいていた。
 だし抜けに、荒々しく揺すぶって、
 柳吉が眠い眼をあけると、「阿呆んだら」
 そして唇をとがらして柳吉の顔へもって行った。
一面、吃音者でもある柳吉をいたぶる蝶子の愛は、
痴情といえば痴情でしょう。


柳吉31歳から41歳、蝶子20歳から30歳の10年あまりは、
「大大阪」を標榜する大阪モダニズムの
近代建築が競って建った時代でもありました。
そんな社会情勢をよそに「夫婦善哉」には、
ただ、ひたすら自堕落な男から離れられない
女の愛情が綴られています。
そんな作品に、ボクは「都市民俗」を構想してみたくなるのです。
洒落た都会センスに惑わされない
西鶴の時代にも通じる根生いの「都市民俗」です。

都市の特徴の一つに第三次産業の発達が挙げられます。
「夫婦善哉」に切り取られた「近代」は、
先祖代々の田畑に汗水を垂らす人たちの
生きる世界ではもちろんありません。
工場で時計の刻む時間に縛られて物を生産する人たちの
生きる世界でもありません。


この小説には、この地で生業を立てる
さまざまな職業が記されています。
以下、本文のまま、アイウエオ順に列挙します。

 赤暖簾/果物屋(あかもんや)/油屋/医者/一銭天婦羅(屋)/鰯屋/
 おちょぼ/女子衆/折箱の職人/お渡りの人足/抱主/
 駕籠かき人足/カフェ/剃刀問屋/剃刀屋/通い店員/関東煮屋/
 乾物屋/喫茶店/牛肉店/郭/芸者/化粧問屋/五銭喫茶店/
 呉服の担ぎ屋/呉服屋/米屋/材木屋/酒屋/質屋/借金取/
 周旋屋/娼妓/醤油屋/浄瑠璃のお師匠はん/女給/女中/
 書店/新聞記者/炭屋/セルロイド人形の内職/銭湯/葬儀屋/
 大工/茶屋/流し芸人/派出婦/八卦見/拾い屋(バタ屋)/
 古着屋/銘酒の本鋪/餅屋/八百屋/焼芋屋/安カフェ/
 屋台店/ヤトナ(芸者)/家主/夕刊売り/湯豆腐屋

これら59点のうち、工場で製品生産に携わる職業は、
はたして、あるのでしょうか?
大工は職人でしょうが、製品生産ではありません。
折箱の職人、セルロイド人形の内職。これらは製品生産ですね。
ただし、家内での仕事です。
「夫婦善哉」の世界は「近代大阪」のほんの一端を切り取った
都市の世界なのです。
ちなみに柳吉・蝶子が店を開いては閉じたのが、この中に
4点あります。アイウエオ順に挙げますと
果物屋/カフェ/剃刀屋/関東煮屋
これを始めた順に並べ替えますと
 剃刀屋→関東煮屋→果物屋→カフェ 
いかがでしょうか?
水商売にも手を出しております。
もっとも、蝶子は、その間、
ヤトナになって食いつないだりもしています。


商売は、投機的です。
この世界は、やはり都市民俗の対象になりますね。
次回は、59点も挙げた職業のうち、おもしろそうなのを
選んでみようと思います。


最後に阪俗研(はんぞくけん)からのお知らせですが、
今週末、セミナー「実況:都会の地蔵探訪」
予定どおり、実施します。
日時:2013年5月25日:pm7:00~9:00 
会場:大阪府立江之子島文化芸術創造センター
   大阪市西区江之子島2丁目1番34号  (明治の大阪府庁の場所)
アクセス:大阪市営地下鉄千日前線・中央線「阿波座駅」下車、
     8番出口から西へ約150m。
会費:1000円。
詳しくは、前回「ビリケン像人気の謎を解く布袋さん研究」報告最終回
最後の頁をご覧下さい。

お申込は、電話(田野携帯:080-1418-7913)
もしくは、tano@folklore-osaka.org  までご一報ください。

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晴耕雨読セミナー「ビリケン像人気の謎を解く布袋さん研究」報告最終回

今回は4月27日(土)、セミナー「ビリケン像人気の謎を解く布袋さん研究」の最終回です。
1 通天閣のビリケンさん人気
2 四天王寺なで布袋さん 
3 近世『神仏霊験記図会』の世界
4 四天王寺にみる願掛け作法
5 布袋堂の現代
6 ビリケンさんを遡る
7 ビリケンさんの民俗
8 まとめ 
第1回は、現在の通天閣および新世界地区の賑わいの回復は、
1996(平成8)年夏の映画『ビリケン』公開と
それと相前後する足裏掻き願掛けの流行が効を奏したとよむべきで、
入場者の低迷にあえいでいた展望台・通天閣を救ったのは、
福の神ビリケンの足裏掻き願掛けの創出としました。
前回は、「足裏掻き願掛け」の創出は、根も葉もない話でないことを
明治末の東京の花柳界の習俗にまでに遡れて論究しました。
その足裏掻き願掛けが大阪通天閣で再流行したのは、
通天閣の失地回復を試みた
ブレイン、スタッフたちの才覚があってのことでした。
今回、最終回は、ビリケン「足裏掻き願掛け」の
民俗としての裏付けを試みます。

晴耕雨読 -田野 登--通天閣のビリケンさんへの願掛け  写真図1 ビリケンさん願掛け

 


ビリケンさんへの願掛けは、こうでした。
●何でも願いかなえたるからな!
 足のウラを掻けば良縁、合格、商売繁昌、
 あらゆる願いをかなえてくれる、新生ビリケンさんを
 さっそくスリスリしに行こう!
(『るるぶ情報版 大阪'13』JTB)
これを本ブログでは「足裏掻き願掛け」と称しました。
民俗学は、神仏分離以前を追究する学問です。
まなざしを通天閣から四天王寺へ投げかけましょう。

さする、なでる作法なら 四天王寺なで布袋さんがそうでした。
 写真図2 なで布袋尊願掛け


晴耕雨読 -田野 登--四天王寺なで布袋さん
 

布袋堂の看板には、
●福をよぶ『なでほてい尊』
 おなかの「福」は福を呼び、
 背中の「黄金袋」は財をよび、
 手に持つ「ひょうたん」は諸願成就の、
 めでたいほてい尊なでておまいり下さい。
 総本山 四天王寺
「四天王寺」これぞ、宗教法人おすすめの願掛け作法です。
この撫でる布袋さんは、平成14(2002)年に安置された仏像です。
通天閣ビリケンさんの「足裏掻き願掛け」が
発生して以降のことでして、
これらは、通底する心意に基づくものです。

なでる願掛けなら、四天王寺では
六時堂前の「ビンズル尊者」にみられます。
 写真図3 ビンズル尊者

図像は後日にします。 

ビンズルさんは、羅漢信仰の一つでして
各地の寺院に安置されております。
そのビンズルさんとは?(改行は筆者による。行末の番号は行数番号)
●ビンズルさんは「なでぼとけ」ともいわれて、:①
 (中略)病気なおしのほとけさんとして、:②
 病人が出てきて頭痛の人は自分の頭をなでて:③
 その手でビンズルさんの頭をなで、(中略):④
 胸のやまいは胸を、腰のいたい人は腰を、:⑤
 手や足の人はそれぞれ手や足を:⑥
 お互になでまわすこと、二,三回すれば、:⑦
 ビンズルさんは代苦のほとけとして、:⑧
 その病気を自分が代って下さるのである。:⑨
     (道端良秀1983年『羅漢信仰史』)
 ⑧にあります「代苦」とは、代受苦のことでして、
「仏や菩薩が衆生の地獄のような苦しみを
 代わりに受けること」の意味です。
このビンズル願掛けでは、④~⑥にありますように
願掛けをする人は、まず自分の患部を撫でて、
その後、ビンズルさんの該当する箇所を撫でるのであります。
悪いところを、ビンズル尊者に引き受けていただくという
趣旨なのです。

災厄を身代わりになって引き受けてくださるとなれば
都会のお地蔵さんにもいらっしゃいました。
大阪市大正区の街角のお地蔵さんでは、
お地蔵さんが身代わりになられて、
家に突進してきたダンプカーを塞いでくださったとか。
その傷跡がお地蔵さんに遺されていると聞きました。

神仏の像を撫でるといっても、ビンズル願掛けは、
ビリケンさんの「足裏掻き願掛け」とは少し違うようです。
ビンズル願掛けは、なすくり型 と称して
除災を祈る願掛け作法と位置づけることにします。
積極的に撫でることによって、
マイナスを取り除くといえば、消極的に思えます。

いっぽう積極的に撫でることによって、福を招く願掛けは
「撫で牛」にみられます。
●横に伏した牛の形につくった、素焼または木彫の小さな置き物。
 商家などの神棚にふとんを敷いてまつり、
 その背を撫でて吉事を祈る。(以下略)
(『日本国語大辞典 第二版』第10巻、2001年「撫牛」)
「撫でて吉事を祈る」とあれば、
「除災」というよりプラス思考で「招福」のようですね。
早速、天神さんに据えられている「撫で牛」の
観察に出かけました。
場所は露天神(お初天神。大阪市北区曽根崎)です。
 写真図4 撫で牛


晴耕雨読 -田野 登--露天神の撫で牛
 
若い女性が二人、撫で牛に参り、
一人の方が撫でています。
これぞ、さずかり型=招福型ではないか。
心をときめかせて、掲示板を読みました。
次のように書かれています。
●「神牛さん」「撫で牛さん」と呼ばれ、
 己が身体の病む処と神牛さんとを交互に摩り、
 身代わりになっていただく。・・・・。
これではビンズルさんと同じなすくり型=除災型ではありませんか。
急いでその続きを読みました。  
●又は、神牛さんの霊力をもって
 病を治療して戴くという信仰が古来より続いている。
 昨今は、より頭脳明晰にならんとし、勉学に励み、
 又受験を控える学生も多数参詣される。(以下略)
ここまで読んでホッとしました。
撫でることによって、知恵を授かる。
これなら、さずかり型、招福型の願掛け作法です。
ボクの気をもませた「身代わりになって・・・」と
ありましたことと、「霊力をもって」
「(病を治療して)戴く」というのは、
「除災招福」でして、コインの表と裏の関係で
同じこととして読み替えることができます。
(健康を祈るのは、「病魔退散」の願掛けもコインの裏表です。)

それにしても「足裏掻き願掛け」とは、
ユニークで微笑ましい行為ですね。
浦江塾主宰者のお一人の
妙寿寺ご住職にお話ししていたところ、
インドでは、釈迦涅槃像の
釈尊の足裏を掻くなど、いくらでも
行われているとのこと。
柵を設けて、それを防いでいるとのこと。
 写真図5 インドのクシナガラ涅槃像(妙寿寺提供)


晴耕雨読 -田野 登--インド・クシナガラ涅槃像 妙寿寺提供
 

ご住職曰く「頭は精霊の宿るところです」とのこと。
それでは、足の裏は?
以下はボクの想像です。
釈尊への敬愛の情を示すのに、
凡夫のボクなら触れてみたくもなります。
頭が畏れ多いのであれば足の裏をこっそりと・・・
これらの心意は、いずれも呪物崇拝というべきです。

そもそも通天閣ビリケンさんへの「足裏掻き願掛け」なんぞ
 「民俗」といってよいのでしょうか?
ボクの考える「民俗」は、疑似民俗
すなわちフォークロリズムを含む文化事象全般なのです。
だから撫で布袋さんへの賽銭が
 宗教法人への寄進行為であって、
通天閣ビリケンさんへの賽銭が
 ビリケン像修復のためにあてられているなど
 知ったところで特段、驚くわけでもなく、
撫で布袋さんへの願掛け作法だけが「真正な民俗」なんだと
主張することなどしません。

〔四天王寺と通天閣〕、〔信仰と遊戯〕には共通性があります。
「観光」を含むツーリズムといった行動は
精神的束縛から脱した「自在の境地」を求めるものです。
寺社詣でも日常生活にあっては
パッケージングされた非日常性の追究にあると考えます。


阪俗研では、前回、ご案内しましたように
「実況・都会の地蔵探訪」を連続セミナーで実施します。
阪俗研セミナー「実況:都会の地蔵探訪」
-フィールドワークを追体験する-
-第3回、第4回大阪民俗学研究会講座-
第2回セミナーは、「ビリケン像人気の謎を解く布袋さん研究」は、ビリケンと撫で布袋をめぐる願掛け成立の謎に迫りました。今回の連続講座は、「実況:都会の地蔵探訪」と題して、体験に基づき地蔵調査の実践方法を講義します。今まで、お地蔵さんに関心のなかった方たちにも、都会でのフィールドワークの楽しさを味わっていただける企画を用意しました。(実際に歩くのではありません。セミナーでは一緒に調査の気分に浸りましょう。)
実況メニュー
①アジア人に霊験あらたか船場の油掛地蔵:中央区南船場・油掛地蔵尊
②冥土の門のお地蔵さん:北区豊崎・道引地蔵尊      ③夜泣き地蔵と笑い地蔵:淀川区大願寺笑い地蔵尊
④井路端の酒浴び地蔵さん:旭区千林・朝日地蔵尊     ⑤鶴橋のチョゴリ地蔵さん:東成区東小橋・子安親善地蔵尊
⑥朱雀大路脇の北向地蔵さん:天王寺区細工谷・北向地蔵尊 ⑦弘法井戸のお地蔵さん:天王寺区堀越町・清水地蔵尊
⑧戦国環濠都市のお地蔵さん:平野区平野東・田畑口地蔵尊 ⑨六道の辻のお地蔵さん:住吉区東粉浜・閻魔地蔵尊
⑩ウチナーンチュのお地蔵さん:大正区千島・風切り地蔵尊 ⑪「煙の都」のお地蔵さん:西淀川区百島・延命地蔵尊
阪俗研(はんぞくけん)セミナー予定
日時:各月第4土曜午後を予定しています。
第3回:2013年5月25日:セミナー「実況・都会の地蔵探訪(前)」pm7:00~9:00
第4回:2013年6月22日:セミナー「実況・都会の地蔵探訪(後)」pm7:00~9:00
 会場:大阪府立江之子島文化芸術創造センター (明治の大阪府庁の場所)

    大阪市西区江之子島2丁目1番34号
 アクセス:大阪市営地下鉄千日前線・中央線「阿波座駅」下車、8番出口から西へ約150m。
会費:各回1000円。
お申込は、電話(田野携帯:080-1418-7913)
もしくは、tano@folklore-osaka.org  までご一報ください。

1月にアップしました「鼠島残影」に地図を添えました。ご覧下さい。

http://ameblo.jp/tanonoboru/entry-11444819840.html


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今回は4月27日(土)、セミナー「ビリケン像人気の謎を解く布袋さん研究」の続編です。
晴耕雨読 -田野 登-
 写真図1 PowerPoint1 もくじ 

前回は、現在の通天閣および新世界地区の賑わいの回復は、
1996(平成8)年夏の映画『ビリケン』公開と
それと相前後する足裏掻き願掛けの流行が効を奏したとよむべきで、
入場者の低迷にあえいでいた展望台・通天閣を救ったのは、
福の神ビリケンの足裏掻き願掛けの創出としました。
今回は、「足裏掻き願掛け」の創出は、根も葉もない話でないことを
明治の末に遡って記すことにします。
その上で、通天閣のビリケンさんへの「足裏掻き願掛け」を
位置づけしようと思います。

そもそも第2代目通天閣が誕生した昭和31(1956)年当時は、
誰もビリケンさんのことなど思いつきもしなかったと推測します。
ビリケンさんと通天閣との関係は、初代通天閣のあった時代に遡ることができます。

明治45(1912)年、新世界に遊園地・ルナパークがオープンします。
そこにはビリケン堂が設けられていました。

晴耕雨読 -田野 登-
 写真図2 PowerPoint 67:ルナパーク内のビリケン堂 

この写真からは、ビリケン像がはっきりとは見えませんが、
写真の中央に安置されていたのでしょう。
この写真で見る限り、ビリケン像に対して、今日のごとく
足の裏に触るといったしぐさが行われていたとは到底、考えられません。
となれば、今日の通天閣のビリケンさんへの「足裏掻き願掛け」は、
創出されたとみるべきです。
ルナパークのビリケン像は、1923年(大正12年)に閉園した時期を
境に像の行方がわからなくなっていたと伝わります。
それ以上の確たる手がかりが得られません。

今日のごとき「足裏掻き願掛け」を解明するために
まず、通天閣展望台の「ビリケン由来記」を取り上げ、
この記述を軸に検証してみることにします。

●ビリケン(BILIKEN)は、
 1908年(明治41年)アメリカの女流美術家E.I.HORSMAが
 奇妙な神の姿を夢見て作った像で
 当時のアメリカで大流行したものです。
 明治45年新世界にあったルナパークにビリケン堂を造り
 ビリケン像が安置されました。
 ビリケンは、新世界の名物となり
 おみやげも売られ世界的な流行をみました。
 ルナパークの閉鎖とともに行方不明になりましたが
 新世界の復権を願って元の像を探しだし安置し
 幸運の神様「ビリケン像」となりました。
 合格祈願、縁結びなどあらゆる願いを
 叶えてくれる福の神なのです。

懸案の「足裏掻き願掛け」については、
何も書かれておりません。
3行目に「奇妙な神の姿を夢見て作った像で」とは
ありましても、前回挙げましたホースマン女史の夢枕に
「われを喜ばせるには、一日に一回、わが足の裏を掻けよ
われそれによりて満足するであろう」*
*橋爪紳也1996年『大阪モダン-通天閣と新世界-』NTT出版(株)
このように語ったとまでは書かれておりません。
この『大阪モダン-通天閣と新世界-』の記述について、
前回、ボクは「それまでにない言説」と述べました。
しかし、あるにはあるのです。
*『世相百態 明治秘話』にあります。
*『世相百態 明治秘話』:石田龍城1938年『世相百態 明治秘話』(初版1927年)

(改行は筆者による。行末の数字は行数番号)
●或る日の事、ヘンリー嬢が工案に疲れて:①
 ウツラウツラと夢路を辿つて居ると、:②
 紫雲では なかつたが、:③
 といつて十字架の上から:④
 血塗れのキリストでもなかつたようだ・・・:⑤
 兎に角神様が現れて、:⑥
 吾れ汝の熱心に愛で、よき工案を授くべし。:⑦
 吾れこそは世界民衆に幸福を授くべき神である。:⑧
 汝吾が像を作り出品せよ、:⑨
 汝の名は忽ち世界的となり、:⑩
 汝に依つて世界の民衆は絶大の幸福を得るであらう。:⑪
 アーメン、夢疑ふ事なかれよ・・・ソーメン、:⑫
 心あれば吾れに紅白の切餅を供へよ・・・:⑬
 切餅がなければ菓子で我慢するであらう・・・:⑭
 一日に一回は吾が足の裏を抓けよ:⑮
 吾れはそれに依つて眠るであらう。:⑯
 アバヨ、シバヨ、カナスギヨ、とね。:⑰
 サア斯うなると喜んだのはヘンリー嬢で、:⑱
 日本の左甚五郎とやらが不忍の弁財天で:⑲
 龍の姿を夢に見て名作を作つたとやら:⑳

 ①②にありますように夢路でのことです。
⑮⑯に、「一日に一回は吾が足の裏を抓けよ
 吾れはそれに依つて眠るであらう。」とあります。
 本当に「ヘンリー嬢」の夢の中のことでしょうか?
「ヘンリー嬢」の夢の中で⑬⑭にある
「心あれば吾れに紅白の切餅を供へよ・・・
 切餅がなければ菓子で我慢するであらう」
とはたして語ったのでしょうか?
もちろん、「秘話」とあってのお話です。

それでは、足裏掻き願掛けは、通天閣のまったくの作り話か?
実録とみなすことのできるのは、
刊行の時代は降りますが、
*『明治の銀座職人話』の記事にあります。
*『明治の銀座職人話』:野口孝一1983年『明治の銀座職人話』青蛙房

●*1時の陸軍大将寺内正毅の頭がビリケンさんに似てとがっていたので、
 たちまちビリケン大将の綽名がついた。
 また、*2花街ではビリケン像と称して神棚に祭り上げ、
 朝な夕なに何のおまじないか、
 姐さん連中がその足の裏を指先で掻くという戯けたことが流行った。
 *1時:明治42(1909)年頃。『世相百態 明治秘話』照合。
 *2花街:東京新橋。同書照合。

足裏掻き願掛けは、かつて流行った習俗のようです。
それは、東京の花柳界でのことです。
その流行が、大阪通天閣で、平成7(1995)年頃、
それをまねて、流行りだしたのかもしれません。

では、なぜ、大阪通天閣で再流行したのか?
流行をもたらせたのは、通天閣の失地回復を試みた
ブレインたちの才覚があってのことです。
次回は、いよいよ民俗編です。

以下、阪俗研の宣伝をします。
先週は、5月はお休みにと考えておりましたが、
阪俗研会員の中から、そろそろお地蔵さんの調査に出るといった
機運が生じましたので、「実況・都会の地蔵探訪」を
急遽、連続セミナーで実施することにしました。
もちろん、受講者のみなさんが
調査に出るというのではございません。
むしろ、フィールドワークの雰囲気を
セミナーで味わっていただければよいのです。
大阪市内で、ご存じの地蔵さん、ご存じでない地蔵さんを
メニューとして11件挙げました。
お楽しみ下さい。
実況メニュー
①アジア人に霊験あらたか船場の油掛地蔵:中央区南船場・油掛地蔵尊
②冥土の門のお地蔵さん:北区豊崎・道引地蔵尊      
③夜泣き地蔵と笑い地蔵:淀川区大願寺笑い地蔵尊
④井路端の酒浴び地蔵さん:旭区千林・朝日地蔵尊     
⑤鶴橋のチョゴリ地蔵さん:東成区東小橋・子安親善地蔵尊
⑥朱雀大路脇の北向地蔵さん:天王寺区細工谷・北向地蔵尊 
⑦弘法井戸のお地蔵さん:天王寺区堀越町・清水地蔵尊
⑧戦国環濠都市のお地蔵さん:平野区平野東・田畑口地蔵尊 
⑨六道の辻のお地蔵さん:住吉区東粉浜・閻魔地蔵尊
⑩ウチナーンチュのお地蔵さん:大正区千島・風切り地蔵尊 
⑪「煙の都」のお地蔵さん:西淀川区百島・延命地蔵尊

阪俗研(はんぞくけん)セミナーの今後の予定
日時:各月第4土曜午後を予定しています。
第3回:2013年5月25日:セミナー「実況・都会の地蔵探訪(前)」pm7:00~9:00
第4回:2013年6月22日:セミナー「実況・都会の地蔵探訪(後)」pm7:00~9:00
 会場:大阪府立江之子島文化芸術創造センター
    (明治の大阪府庁の場所)大阪市西区江之子島2丁目1番34号
 アクセス:大阪市営地下鉄千日前線・中央線「阿波座駅」下車、
 8番出口から西へ約150m。
会費:各回1000円。
お申込は、電話(田野携帯:080-1418-7913)
もしくは、tano@folklore-osaka.org までご一報ください。

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