無意識的に好きに生きる弊害 | 3年前のしこうの楽しみ

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親子の無意識的連鎖に意識が向いたところからの展開です。
結論は変わらないにせよ一旦フラットにしてみることにしました。
なぜなら主体的選択ではなかったためです。

インプリントされた生き方は望ましいものではありました。
しかしそこに依存している性質があることは否めないでしょう。
その上に好きなことをする人生の意識的選択があったわけですがベースが無意識なわけです。

もちろん問題がないからそれでも良いと考えられるかもしれません。
むしろそのままの方がズレたりブレたりしにくいでしょう。
そこが固まっていれば揺らぎにくいものです。

好きなことをする人生が安定したままでいられるわけです。
ということでまずこのデメリットから考察してみることにしました。
それはあえて取り組むメリットを浮かび上がらせる目論見です。

そこで注意を向けて知覚できたのが疑いの余地のなさでした。
当たり前という感覚が強くてそれを自覚しにくかったのです。
そしてこれはいくつかの弊害につながるかもしれません。

第1にその恩恵を受け取りにくくなる点です。
それによって得られていることを認識しにくい状態です。
そうなると現状への感謝も生まれにくくなるでしょう。

確かにこの視点を持つとどこか実感が薄い雰囲気はあります。
思考レベルではそれは十分にあるものの潜在意識はそこまででもない印象です。
あえて言うなら自己一致を妨げているのかもしれません。

第2に投影のしやすさが挙げられるでしょう。
みんなが好きなことをして生きているように見えてしまうわけです。
なので必然的に世の中が良いところにとらえられます。

幸せな勘違いというわけです。
自分の殻に篭って生きるには都合の良いものにも思えます。
ただ事実を直視できないことに変わりはありません。

いずれその勘違いが現実問題となって表面化する可能性もあり得るわけです。
第3に構造的に否定と受け取られるリスクがあります。
全く相手を否定するつもりがなくとも攻撃されたととらえられてしまうかもしれません。

心の深い部分で異なる生き方をしている人への許容が少ない状況になってしまうと推測されます。
これが相手に存在否定とキャッチされてしまうこともないとは言えないわけです。
そこまででないにしてもこれが案外コミュニケーションロスを生み出しているとも予想されます。

相手が無意識的に否定感を抱いて正確に話を聞けなくなるかもしれません。
個人的には望ましくない状況です。
このように考えると手放すのが適切だと感じました。

よりありのまま物事を認識できるように取り扱うことにします。

谷 孝祐
2018.7.19