親子の連鎖反応的継承への自覚 | 3年前のしこうの楽しみ

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我が子の初乗馬に絡んでもう一つ話題がありました。
それは子どもの好きなことに対してどう接するかというベクトルです。
あまりに嬉しそうだったので機会があればそれを予定に入れるのが普通かと個人的には思っていました。

ただこれは反応的だったとも言えるかもしれません。
そうするのが普通だという感覚だったのです。
ただし観念的ではありません。

思考には関係ない前提だったわけです。
この時の会話の一端にそこまで嬉しそうな様子を多くの親は的確にキャッチできないという内容がありました。
加えてそれができたとしても次の機会に発想が直結しないというのです。

嬉しい体験と次回のことは別だというわけです。
これは自分にとっては意外でした。
どうやらそこにも余裕の問題が関係しているようでした。

でもそれだけでは片付かない気もしました。
なので少し掘り下げてみることにしました。
そして自分にその前提がある理由を探ってみたのです。

ここで真っ先に思い浮かんだのは自分もそう育ててもらったことでした。
特におばあちゃんはその傾向が強かった記憶が出てきました。
今までこの観点で意識化したことはありません。

だからなのか幼児期の嬉しさと繋がった気分になりました。
もちろんやりたいことを阻害されたり奪われたりという感じもありません。
当然ながらその記憶もありません。

とはいえ主体的に確認したこともありませんでした。
つまりこれは今まで見過ごされていたことです。
ということでその恩恵への実感が出てきたのでした。

そうなると当時の環境を受け取れていなかった自覚が生まれました。
そこに好きなことをする自分の生き方のルーツがあったわけです。
抑圧が少ない幼児期だったとも言えるでしょう。

だから我が子にも自然とそういう発想になるだけのことです。
性質がどうであれ親子の関わり方が連鎖していくことがここで実感できました。
ある種のインプリントとも言えるのかもしれません。

知識レベルではその循環を知りつつそれはどこかネガティブなものだけのようにとらえていた可能性もあります。
トラウマ的な連鎖の側面しかみていなかったわけです。
これでどこか世の摂理が腑に落ちた気がしたのでした。

こうなるとポジティブであれ結局は自分も縛られていたことが自覚されます。
フラットに選択するとしても同じような関わりを選ぶと思いますが一旦ニュートラルになる意味はあるでしょう。
無意識的に好きなことを承認するよりもその方が子どもも受け取りやすいと推測します。

これは本人が意識的自覚を持ってやりたいことに向やすくさせると予想します。
ひとまずその立ち位置に移行することにします。

谷 孝祐
2018.7.18