自分にとっての大学院の価値 | 3年前のしこうの楽しみ

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急務と感じたので大学院へ通う意義を考えてみました。
まずはMBAを取ることが自分にとって意味のあるものなのかという問いを立ててみました。
この部分が特に周りの雰囲気に流されていたのかもしれません。

観念的にはあった方がよい気もしますが感覚的には否定的な感じがありました。
肩書きやプロフィールにこの文言を入れたいかというと微妙だったのです。
本音はどちらかというと入れたくないというところでした。

そこにはみっともないという反応が付随しているようでした。
他人がこの資格を明示するのには全く問題がないのに自分だと恥ずかしいのです。
その理由には資格に頼らなければビジネスができないというイメージが内在しているようでした。

自分にとってはわざわざ大卒と表記するのと同じことのようです。
実際には学歴がビジネスの能力に直結しないという想いが強いようです。
しかもこれは今に始まったことではなさそうでした。

少なくとも20歳くらいにはすでにそう考えていた記憶があります。
それなのにいつの間にか表面的な認識レベルでそれに価値がある気になっていました。
このズレがつまらなさを生み出す最大の要因だったのかもしれません。

なので得られるものが感じられなければいつでも辞めて良いという許容を自分に出しました。
また行きたくなければ気にせず休もうとも決めました。
いつの間にか卒業のためにやらなければならないことに縛られていたわけです。

これらの視点からそんなことは自分には関係ないという立ち位置が定まったようでした。
そうなると感覚が変わるのでしょうか。
通うだけで得られるものにフォーカスが合うようになりました。

その一番は刺激が得られるということでした。
内容が真新しく感じられなくてもそこから派生して知りたいことが出てくるのです。
ということで大学院は教わる場ではなく自主的に学びたいことを発見する場と定義しました。

それと同時にその場での人との関わりに意識が向きました。
それぞれ違いはあるにせよ何らかの流れがあってここにやって来ていると思ったわけです。
そこには共時性の面白さがあるわけです。

さらにその意義を読み解こうとするなら感性を磨く良い機会になることでしょう。
このように考えていると久々に関わる人すべてに意味があるという言葉を思い出しました。
これは当たり前になりすぎて意識化されなくなってしまっていたようでした。

それだけならまだしもその実感も薄れていたようです。
そんなわけで新鮮さを取り戻して新たな人間関係構築を楽しもうと思ったのでした。
やっと院生としてのスタートラインに立てたように感じます。

谷 孝祐
2016.5.11 23:43

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