自作自演の妙 | 3年前のしこうの楽しみ

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自作自演への考察から思考が発展しました。
それは自分を言い聞かせるための自作自演について意識が向いたところから始まります。
これは自己乖離とともに混乱の原因となりうる気がします。

そんなわけでより詳細に興味が出たのでした。
基本的には事実を自作で脚色して反応を大きく演じるという性質は変わらないでしょう。
ただこの度合いが大きく異なると推測されます。

自作は脚色というレベル以上になり幻想と定義する方が適切になりそうです。
そうなると自作している認識は潜在意識においても極めて少なくなるでしょう。
そもそも自作を潜在意識が行い主観が演じるというバランスなのかもしれません。

そうであるなら幻想をあたかも現実のように感じてその中で生きることになってしまいます。
こうして誤った事実認識が人生を支配するようになってしまうわけです。
こうなると自由な感覚は大幅に損なわれると考えられます。

もちろん本来の自分も見失ってしまうことでしょう。
自作と言ってもストーリーのみならず舞台をも作り出しているわけです。
またその舞台は変えることのできないものと無意識に判断されてしまうのです。

この蓄積が生きづらさを作るのかもしれません。
とはいえもちろんそれを生み出したきっかけとなる体験はあることでしょう。
それに対するずれた認識が雪だるま式に膨らんでこういった状況になってしまうのかもしれません。

ということは原体験を思い出すことが改善に効果的でしょう。
大元の体験を脚色なく事実のみでとらえることができれば舞台から出ることも可能そうです。
このように考えているとトラウマ的な体験は多かれ少なかれ自作自演の元になる気がしてきました。

もしくは過度な期待や希望が常態化した時も同じようになるのかもしれません。
そうであるならありのままの自分を承認していくことも重要でしょう。
ここまでくると自作自演に気づくことは自分の内面にある誤った認識を正すきっかけになりそうだと感じてきました。

適正でない自分の内面を現象として見せてくれるのが自作自演かもしれないということです。
なのでこれに気づけるセンスがあればそれだけ自己成長も進みやすくなるということです。
こう思うとなかなかよくできた仕組みのようにも感じます。

とらえられない自分が伝えてくるメッセージが自作とも言えるわけです。
これを正確にキャッチして自己理解を進めるために意識を向けておきたいものです。
ところで自作のない人生はあり得るのでしょうか。

ふと疑問が出てきたのでした。
結局は自作の度合いの問題なのかもしれません。

谷 孝祐
2016.4.13 11:18

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