今生の印象的な体験4 | 3年前のしこうの楽しみ

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今生と言えるのかどうか微妙なところですが、ある記憶について書きたいと思います。
とはいっても、幼少期の記憶と同じような感じでとらえられるものです。
それは、自分が一度死んだ体験です。

記憶というよりはそんな感覚があったという方が正しいかもしれません。
視覚的には何も思い出せませんが、体が覚えているというような性質のものです。
それもそのはずで、胎内で死んだというものです。

当然まだ何も見えていなかったのでしょう。
そうなると、今とは別の体であるはずなのに体が記憶しているのは少し疑問があります。
そんなわけで、この件は事実なのか幻想なのか分からないまま保留になってきました。

ただ、幻想にしては揺らがない感じがありました。
大人になってから、ある時、これを確認しようと思いました。
それは、かなりインナーチャイルドもクリアになってからの話でした。

そうでなければ聞く気にもなれなかったのかもしれません。
日常会話の延長線上のような感じで親に尋ねてみると、違うという答えでした。
なぜだか、この答えには納得いかず、逆に事実であったという気持ちが少し大きくなりました。

だからといって固執するわけでもなく水に流していました。
その数ヶ月後、親から話したいことがあると言われて、時間をとりました。
すると、この件が事実であることがわかりました。

この件は、親にとっては大きなトラウマになっていたようでした。
見つめきれないできたために違うと言ってしまったようでした。
確かそのまま生まれていたら2年くらい早かったようです。

それを聞いて、何かの必要があってタイミングを遅らせたのだと思いました。
それ以外に意味づけはなく、胎児の自分にとっては気軽なものだったような気がします。
それもあり、客観的事実としては親に申し訳ないとも感じましたが、主観的にはそれで良かったのだという感覚を強く持ちました。

具体的な理由は分かりませんが、この約2年の違いは非常に重要なようです。
これが自分にとってなのか他の何かにとってなのかは不明ですが、これで良かったという確信のようなものがあります。
確実に言えることは、この件があったからこそ自分の出生が通常以上に喜ばれ、その分バーストラウマが少なくて済んだということです。

今まで特にこのことを意味のあることとしてとらえていませんでしたが、もう少し受けとっていこうと思います。
そうすれば具体的な必要性がなんだったのか知覚できるかもしれません。

谷 孝祐
2015.8.7 23:49

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