影響力の抑圧の出発点 | 3年前のしこうの楽しみ

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影響を与えるという概念から解放されて少し感覚が変わったのかもしれません。
ひとまず、影響を最低限しか与えないような立ち位置が思っていた以上に無意識的な抑圧になっていたことが認識できました。
その証拠にこれが外れてから一気に逆ベクトルの発想が出てきました。

もちろん害のあるレベルではありませんが、影響を与えなければ生きている意味がないという言葉が少しの間頭にもたげてきたのです。
影響を与えてこそ生きている価値があるということです。
とはいえ、しばらくこれを感じているとトーンダウンしてフラットになっていきました。

しかし、よく考えれば以前の立ち位置よりもこちらの発想の方が本質的には正しいのかもしれません。
どうであれ全てのものは大なり小なり影響を与えあっているわけです。
こう考えているとなぜ影響力を発揮しないようにしたのかがよく分からなくなってきました。

依存を生み出さないようにという主観的な名目はあったものの、これも虚構のように思えてきたのです。
なぜなら、たとえ自分が依存させないような立ち位置をとったとしても、依存したい人は依存の対象を変えるだけにすぎないという可能性があります。
そうであるなら依存が自分の見える範疇から減っていっているにすぎないでしょう。

限界はあるものの、だったら自分に依存する人と向き合ってサポートする方が本当の貢献になるように思います。
依存と関わりたくないならまだしも、そこまで避けたい意図もないのに避けている状態になっていたわけです。
過度に自立的な立ち位置なって相手の責任を自分のものにして依存状態にさせてしまうのは問題ですが、責任の領域を超えずに自然体でいる範囲で相手が依存するのは自然なことであるとも考えられます。

それは自分の力の及ぶ範囲ではなく相手の選択に委ねられるべきものなのかもしれません。
こう考えていると、依存を生むのはよくないという発想が内発的なものではなく、外からの情報の受け売りであることが記憶から上がってきました。
自分にもそれを受け入れた原因があったのでしょうが、ある時期に依存を生み出さないために影響力を行使してはならない、という言葉を何度となく浴びせられたことがあったのです。

それを言ってくれた相手は善意だったと思いますが、自分にはこのコンセプトは合わなかったのかもしれません。
とはいえ、意識がそういった概念の外に出てみると、結局一般的に言われる自立も依存も関わりから生まれる何らかの歪みでしかないように思えてきました。
自分自身の本質とつながっていけばどちらでも良いのでしょう。

分かりやすいことから影響を受けやすい概念なので、これからはこの二元論には注意しようと思ったのでした。

谷 孝祐
2015.6.12 17:39

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