覚醒の第二十七歩 | 3年前のしこうの楽しみ

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不安との対峙ができるようになると、不安を扱うことができるようになります。
扱うとは、その不安が何であるかを明確にし、最終的には改善するということです。

もし、本当に改善したのであれば同じような反応は極めて起きにくくなります。
そこへ、確実に向かう前段階として今回のトレーニングはあります。

今までの発展形で、対峙している不安を意味のない音で表現してみましょう。
このように言うと、前回、対峙している不安が大きくなってきたら意味のない音で表現して軽減するという対処法と同じように感じられるかもしれません。

しかし、ここには大きな違いがあります。
軽減する対処法の場合は不安の中に入って感じながら表現するのに対し、今回は不安を外から感じて表現するという違いです。

例えるなら、前者は温泉に浸かってその心地よさを感じながら表現するのに対し、後者は温泉の脇でその温泉の成分などを感じ取って表現するのに似ています。

しかし、これは簡単ではないかもしれません。
なぜなら、対峙したまま不安を感じようとすると、その不安に引っ張られて対峙しにくくなるという性質があるためです。

つまり、対峙している不安を意味のない音で表現しきろうとすればするほど、不安の中に引きずりこまれてしまいやすいということです。

そこで耐えながら行うことにトレーニングの意味があります。
なぜ、その不安を意味のない音で表現するのかというと、いきなり意味のある言葉で分析すると捉えきれていないのに捉えられた感覚になってしまう可能性があるためです。

この場合も意味のない音でうまく表現できたのであれば、今まで同様の表現しきれた感覚があるでしょう。
不安を的確に扱うためには、この感覚を掴むことが重要です。

ただ、今までと異なるのは、外から感じ取っているため、自然と音が羅列されて延々続くということはほとんどありません。
どちらかというと、対峙している不安に対して、意味のない音で長めの名前をつける感じに近いでしょう。

これがうまく行くようになると、副次的に自分を客観視する能力も上がっていることに気づくかもしれません。

2013.9.30 10:23 谷孝祐