頼むと頼る | 3年前のしこうの楽しみ

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ふと思考に上がってきたさりげない疑問がありました。
それは、頼むということと頼るということの違いです。
音が近いせいからか瞬間的にはあまり変わらないようにも感じてしまいますが、よくよく考えると大きく違うようにも思います。

そもそも考えるに値しないくらい意味の異なるものの可能性もありますが、同じものの二面性である可能性も感じるので、あえて考察してみようと思います。
それは、例えば信頼という言葉をとらえるときに、信じて頼むというニュアンスなのか、信じて頼るという意味合いなのか、解釈によって表現されるものが異なり、それが現実に影響を与えている可能性もあるためでもあります。

さて、真っ先に考えられる基本的な違いは主となる目的語の違いです。
頼むの場合は「~を」にあたるものが基本的に必要ではないでしょうか。
もちろん省略されることもあるものの、意味としてはそういった対象が内在していることでしょう。

この場合、何を頼むのか具体的である必要があり、その具体性が満たされない場合、頼むという行為自体が意味をなさない可能性が高いでしょう。
もちろんその対象自体が、具象であるか抽象であるかは問いませんが、対象が何であるかとらえられることが必要ということです。

それに対して、頼るの場合は「~に」にあたるものが必要なように思います。
こちらも省略されているとしても、基本的には意味として内在していることでしょう。
ただ、頼むに比べると、対象の必要性はいくぶん弱いように思います。
それは、具体的な対象を設けなくても、頼るという精神状態が存在すると考えられるためです。

線引きが微妙な部分になりますが、何となく頼りたいという気持ちというものが存在するのではないかということです。
これを何かに頼りたいとか誰かに頼りたいと解釈するのであれば、対象が一応存在するとも見なせますが、そこまででないぼんやりした頼りたいというのも存在するように思います。
このように考えると、頼むは行為であり、頼るは状態であると区別できるかもしれません。

頼(ライ)というものの行為での側面が頼むであり、状態での側面が頼るということなのでしょうか。
そのため、頼む方が短期的であり、頼る方が長期的であるととらえることもできるでしょう。
これは、行為として頼み続けると頼る状態に近づくことを示唆しています。
もしかしたら、意識的にうまく区別してとらえられると、人間関係の様々な側面が見えやすくなるのではないでしょうか。

最終的には、本物の頼るという状態に行き着くために、頼むという行為が用意されているようにも思います。
なぜなら、頼まずに生きることは不可能でないとしても、頼らずに生きることは不可能だからです。

2013.1.23 17:23 谷孝祐