日本に帰国して早いもので、半年が過ぎた。
毎日電車通勤しているのだが、年を取ったせいか、周りの通勤仲間とでも呼ぶべき人達はみな違う会社に向かって違う仕事をしつつも、同じように毎日通勤しており、妙な連帯感が生まれることに気がつく。
中にはその連帯感から外れるものも居て困惑するのが、最近目に付くのは、やはり迷惑行為。
駅や車内にもポスターが目に付くが、
変な指摘もあるなあと、外国帰りの自分的には変に感じても、日本社会的には常識と言えるのだろうか。
マナーは、マナーとして行動する自分のプライドとでも言える行動であり、そもそも守ってねとポスターで指摘できる類の行為じゃなかろうと思う。
他人に話しかけるという行動が社会的に認知されない風潮が、一言和かに声かけるから度を越し、言い合いはてには喧嘩にまで発展する危険性から、みな言いたいことも我慢することになる。
東京のような都会では、見慣れた光景だが、少し寂しいし、関西なら、知らないオッチャンやおばちゃんに話しかけるのも許されるだろうに。東京スタイルとでも言える人間の距離感だろうか。
この人間の距離感。
通勤電車ならまだしも、いまの職場でも同様になっており、なんだかなあとツマラナイ虚無感を毎日感じている。
職場は静かにデスクワークすべし、
確かに女性陣の仕事とは関係ない会話を横でやられるのは正直煩く感じることはある。
だが、そんな会話も大事なコミニュケーション。
会話に参加したりするこど見えてくる仕事のアイデアもあるだろうに。
通勤電車で見知らぬ周りの人とコミニュケーションはとれないと思うでしょうが、アジアでは、隣の人が話しかけてくることシバシバあり、江戸時代の日本も多分そうだろうに。
人間の距離感は、変わるもの
わかっちゃいるけど、なんとかならないものかなあ
国家間の争い事でさえ、最終的には話し合いでしか決着つかない。だから日頃のコミニュケーションが大事と外交の意義が存在するだろうに。
殺伐とした都会が嫌いじゃない
みなバリアを張って生きてるが、一皮剥けばただの人