大学の医学部を卒業する時、
当時の医学部長がこのように述べた。
「患者さんのことを好きになってください。好きになればきっと、患者さんも君のことを好きになってくれる。そうすれば治療はうまくいく。」と。
その言葉は研修医の頃からずっと心に残っていて、節目節目で思い出すものだった。
人には相性というものがあって、波長のあう患者さんがいる一方で、苦手な患者さんは誰にでもいるものだ。
苦手な患者さんであっても、思いを汲み取って好きになるよう努力することが大切・・・と言うことはわかるけど・・
果たして全ての患者さんに対して「好き」と思えるだろうか?
私は自信を持って「患者さんを好き」と言うことはできなかった。
そのようなモヤモヤを抱えながら医者をやって来て
卒後およそ10年をこえたいま、
常勤で勤めていた病院を退職して、開業準備のため非常勤になった。
これまで長らく見てきた患者さんもいるので、4月から9月までの半年は、週一回の外来に来てもらって、その後は自分のクリニックで診察をしていく・・・
はずだった。
ところが4月、外来に勤務にくると急にこう言い渡された。
「病院の方針で君の外来はなくなることになりました。先生の診察は今月までです。」
「ちょっと待ってください!まだ数ヶ月先まで予約が入っているので、せめて予約が入っている期間だけでも!」
「残りのスタッフで責任を持ってみますので・・・」
反論は受け入れられず、私はこれまでずっと診てきた患者さんの診療の場を失った。
患者さんに責任を果たすということは、私がしっかり診察して方針を決めていくことだと思うので、私としてはとても不本意なことになった。
しかし異議を唱えても、状況は変わらなかったため私は同僚に、今後の受診先や方針、(間接的な)私との連絡の取り方などを託していくことしかできなかった。
5月から私の診療の場はそこにない。
定期的に診察して患者さんを診ていく、「当たり前」と思っていたことが、まさかの展開で失うことになってしまった。
私はとても気になります。
あの患者さん大丈夫かな?困ってないかな?
他の先生のところでうまくやっていけるかな。。。
医者は・・・少なくとも私は、家に帰ってからも時々患者さんのことを考える。
入院患者さんがいるときは、夜寝るときや、朝起きたとき、ふとしたときに考えるし、外来患者さんも次の予約日までの間に思い出すし、予約日に現れなかったら「大丈夫かな?」と胸がざわめく。
予約日に患者さんが来て、主治医がいなくなっている時の患者さんのがっかり感、不安感を思うと胸が痛い。
「病院の方針で、来月から来なくていい。」
そんな言葉で納得できるほど、
医師と患者の関係はヤワなものではない。と私は思う。
毎回診療の予約を取って、患者さんがきてくださる。
それがとても貴重でありがたいことであると、今回診療の場を失って強く感じた。
私は別に世界で私しか治療できな病気の診療をしているわけではない。
他の先生でもなんとかなる。。。とは思う。
でも患者さんとはこれまでずっと歩んでいた道のりがあるし、治療の喜びを患者さんと分かち合いたいと思う。
「患者さんの笑顔が好き」というと、
これまではなんだか胡散臭い言葉のように思っていたが
私は患者さんが元気になる、笑顔になって行くのが好きで、そのために診察しているということを、診療の場を失って自覚した。
医師という仕事は、患者さんが来てくださることで初めて定義される。
困っている患者さんがいて、私の元にきてくれる。又は待っていてくれる。
そのことが私を医者にしている。
患者さんが来てくれない限り私はお医者さんとはいえない。
「患者さんのことを好きになってください」というあの日の病院長の言葉がどこかから聞こえる。
今まで自信を持って「患者さんのことが好き」と言うことは難しかったけれど、
皮肉にも診療の場を失って初めて、卒業式のあの日よりずっと自信を持って、言えます。
「患者さんのことが好き」ということを。