4陣体験記、つとむ編です☆
―被災地と聞いてあなたは「どこを」イメージしますか。被災者と聞いてあなたは「誰を」イメージしますか―
ボランティアに行く前の自分に問いかけてみると、これらの答えがあまりにも曖昧なものであることが良く分かる。幸いにも、私の身近な人々には「被災者」と呼ばれるような方はいなかった。そのためか、私の持つそれらのイメージとはメディアで流された光景や、人々の悲痛な表情といったものをそのまま当てはめていたように思える。このような状態で、前述した問いかけをされると私は何も答えられない。なぜか、私は彼らのことを何も知らないためだ。私と彼らは関係がないためだ。しかし、私と彼らは本当に関係のない人々であろうか。私にとって彼らは、「関係ない」という一言で済まされる人々なのだろうか。日常生活においては、特に意識しなかったことだが、ある経験を通して私はそのような疑問を持つようになった。
今年の夏、ヨーロッパに海外旅行をした時だった。日本人である私は、震災の被害や復興の様子、また福島第一原発事故の状況やその被害といった様々なことを多くの方々から質問された。私にとっては、私は「(私がイメージする)被災者」ではないし、詳細についてはテレビや新聞で報道される情報以外は特に知らない。そういった情報は海外でも連日報道されていたし、当時の私には彼らの求めるような答えを出せなかった。この時に私はもどかしさを感じていた、この原因はなんであろうか。恐らく日本人である私が、同じ「日本人」である被災された方々や地域の情報を、日本人でない人々と同等の知識しか持ち合わせていなかったためであろう。私が意識しようがしまいが、外国の人々から見れば、私は「被災者」に映ったであろう。この時の経験がボランティアに参加するきっかけになった。この目で「被災者」、「被災地」を知りたいと思った。
ボランティアを通して、私は多くのことを経験した。その中でも、特に現地の人々と対話する時間が持てたことが今回の一番の収穫だといえる。実際に対話すると彼らの中にもそれぞれの思いや葛藤があることが分かる。同じ気仙沼市の方々でも、甚大な被害を受けた方もいれば、全く被害を受けなかった方もいる。両者ともに感じていることは同じで、「被災者」という共通のくくりにまとめられることへの違和感だった。被害を全く受けなかったという方は、しきりに「うち(家)は被害がなかったから」と言われていた。そこには、被害に遭われた方とは違うということを強く主張しているように思えた。逆に大きな被害を受けた方にとっては、全体を被災者でくくられることに憤りを感じていたように思える。「同じ地区でも被害の大きさは全く違う、同じくくりにするのはおかしい。家族を失った人もいれば、みんな無事だった家もある」
被災地域によっても差があった。震災後、テレビで連日報道された陸前高田市は今では瓦礫は集積されていて、復興への準備を着々と進めている。その一方、気仙沼市内はいまだに瓦礫は放置され、崩壊した家屋はその内部がむき出しになっていた。現地の方の話によると、報道が多くされた地域の方がされていない地域よりも復興への援助が多いためだという。
こういった人々や地域の違いを理解すると、「被災者」や「被災地」という言葉は何も意味を持たなくなるように思える。そのようなくくりは存在しないし、空虚なイメージでしかないのか、そのような疑問を持つようになった。
その一方で、現地の方の言葉は私の疑問を解く上で強く印象に残るものだった。「震災当初は日本全国で物が不足し、節電も徹底された。都市部では交通網が停止し、帰れなくなった人も多くいた。そういった意味では、日本全体が被災地であり、日本人が被災者であった。私たちだけが被災者とされるのは間違いだ」
「被災者」、「被災地」という言葉には良い意味と悪い意味があるように思える。これらをどのように使うか。そして受け手はどのように理解するか。答えは一つではないにしろ、考えさせられる内容であり、一人ひとりが強く意識すべき問題だと思える。