だれでもできる しあわせ体質の作り方 
  • 14Nov
    • 鏡の中の私は幻の私。

      ヨガにはずっと興味があったのだけれど、だいぶアレルギーがありました。はじめて行ったヨガは超スパルタだった。シャカリキな外国人の先生に「カズハ、カンバレ!!」と背中をぎゅうぎゅう押されて死にそうになった。(そのあと3日寝込んだ。)ホットヨガの体験に行ったときはゆでだこになった。地獄だった。でも最近やっと自分に合うヨガを見つけて、すごいたのしい。やっぱりヨガいいなぁ。たとえば背中を伸ばすにしても後ろからぎゅうぎゅう押されるのと、目を閉じて、背骨の一本ずつを自分で伸ばしていくのはちがう。鏡を見てポーズを作るのと目を閉じて内側からポーズをするのはちがう。見た目はおなじなんだけど、やってることは真逆。外にある基準に自分を合わせるのか。内側の感覚に自分を合わせていくのか。外側がスタート地点なのか。内側がスタート地点なのか。心を病むとき、悩みが多いとき、自分がわからなくなるとき、苦しくて耐えられないとき必ずスタートが外側になっているよ。スタートが外になっている限りなにをやっても苦しい。人からどう思われるだろうとか周りから浮かないかとか。これを食べておいた方が健康とか、半身浴は60分!とか。私は20代のときにいつも心が苦しくて、いろんなこと試したんだけど、一向に変わらない時期があった。健康法も次から次へとやってみたし、仕事も変えてみたし、家も変えてみたし、本も読み漁った。でもなにも変わらなくて相変わらずじりじり苦しかった。人の目線とか、医者がそう言っているとか、データとか、常識とか、知識とか、そういう外側をスタートにしているから、変わらないんだって、あるとき気がつきました。(たしかブログにも書いたんだけど、記事見つからなかった。)外側をスタートにする限り他人目線の人生になる。鏡の中の幻を生きることになるんだと思う。鏡に映る自分を変えようと思っても、変わらない。変えるのは、内側。内側が鏡にうつってる。生理なんかまさにそう。生理を変えようとしても変わらない。自分が感じている不快をキャッチして、心地よくしてあげれば勝手に変わると思います。

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  • 13Nov
    • 膣はいやらしいのか。膣を触ってみる。

      去年「膣マッサージ」なるものの存在をを知りました。知り合いの人に、この本を教えてもらったのがきっかけです。『ちつのトリセツ 劣化はとまる  原田純著』アーユルヴェーダの手法を使って、膣をオイルでマッサージする方法が紹介されています。私は去年までアーユルヴェーダの施術者をやっていたのですが、膣のマッサージは初耳でした。子宮の中にオイルを入れて中を洗浄する方法がある、というのは聞いたことがありました。これから妊娠する人が受けるそう。興味ある。笑私は仕事でお客さんにマッサージしていたけれど、膣には触れたことがなかったです。(あたりまえか。)だから膣マッサージは、自分でやる必要がある。この本によるとヨーロッパでは膣のケアはみんな当たり前にやっていて顔につける化粧水とおなじノリで、膣用のオイルや化粧水などが売られているらしい。若い人だけでなく高齢の方も洗顔や歯みがきのようにあたりまえにするものなんだそう。で、去年教えてもらったときに私は「おもしろそう!やってみよう!」と思ったのだけれど、一瞬抵抗もありました。自分で自分の膣に手をつっこむことに対してはずかしい気持ちとか、やってはいけないことをしているような気持ちが湧いてきた。「私、だいじょうぶか???」みたいな。笑でね、今振り返ってみるとこの感覚ってすごくショックでした。膣を触ることへの抵抗感。なんとも言えないうしろめたさ。これって、一体なんなんだろう???って。今まであたりまえに「膣は触っちゃいけないもの」って思っていた自分にモヤっとしたことを覚えています。だってヘンじゃないですか?自分のからだなのに、自分で触れないって。なんでやねん!!!って思う。今まで一度もそこを疑わなかった自分、あたりまえに「なんかおかしいもの」と思っていた自分が情けないような、かわいそうなような複雑な気持ち。で、これは私だけじゃなくて、多くの人がそうなんだと思いました。この膣マッサージ、やってみたらめちゃくちゃよかったので、まわりの人にもすすめてみたのだけれど、年齢が上の人ほど「えーー!自分で触るの?」っていう反応をする。あと、「私はもう関係ない」とかね。(閉経しているから。)その反応が、更にショックでした。なんでやねん!!!って更に思った。関係なくないだろ!生きてるんだから!これって、ほんと洗脳みたいなものだなって思う。性器を触るのはいやらしいこと。はしたいないこと。へんなこと。こんなふうに無意識に思ってる。書いてるだけでも悲しい。しかも私たちは残念ながらそのはしたなく、いやらしい場所から生まれてきている。笑これって・・・・・なんかめっちゃへんじゃん!!!(語彙力。。。でもそうとしか言えない。)意識的には思っていなかったとしても、心の深いところでモザイクがかかるような、いやらしいところから生まれてきたって思ってるんだとしたら、なんか、悲しいなぁって思いました。だけどね!膣マッサージを自分でやってみると、それが全部幻だってわかる。膣を触るのがへんだっていう意識や、いやらしいっていう思いがまったく的外れだったとわかる。頭で考えてもわからないから、ぜひやってみて!!!!!やり方はここに書いてあるよ。 ちつのトリセツ 劣化はとまる / たつのゆりこ 【本】 1,512円 楽天 そういえば紙ナプキンから布ナプキンに変えたときもおなじように思ったんだ。それまで無意識に生理はめんどくさくて、汚くて、隠しておきたいものって思っていたことに気がついた。毎月紙ナプキンをコソコソ持ち歩いたり、「汚物入れ」に入れたり、それが臭かったり汚かったりめんどくさかったりを繰り返すうちに生理は臭くて汚くて隠しておきたいようなめんどくさいもの。と思っていたこと。それが布ナプキンに変えたら、自動的に書き換わったことを思い出しました。生理は快適で、気持ちよいものに変わった。生殖器のまわりって、へんな思い込みがいっぱいだなって思う。無意識にいやらしいところから生まれてきていやらしい性器をもちめんどくさい生理のある私から目を覚ましてちゃんと自分のからだを見ることがほんとに大事だなって思います。布ナプキン、売ってるよ~

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  • 12Nov
    • 感情はえらべる。

      「感情がえらべる」ということを知ったときは、天と地がひっくり返るくらい驚きました。今から4年ほど前のこと。それまで私は「感情は勝手に湧いてくるもの」って思っていた。たとえば相手が返事をくれれば「うれしい」返事をくれなければ「悲しい」というように相手の言動によって、私の気持ちは決まるって。当時は生きることが今より苦しく感じました。自分の気持ちのスイッチを相手が握っているんだから当然といえば当然。上司がいい人だったらしあわせそうでなければ不幸せ。彼がやさしければしあわせ。そうでなければ不幸せ。相手に自分のしあわせを委ねるスタンスだったから、相手の反応に一喜一憂して、いつも疲れてた。でもあるとき、感情は自分でえらんでいるということに気づいてからは気持ちがとても安定するようになりました。今となればあたりまえのことだから、書くまでもないと思ってたんだけれど、みんながそれを知っているかというと、そうでもないんだな、と最近思う。(ニュースとかを見てるとね。)だから「もう知ってるだろう」と思わずに自分の感じたことは書こうと思いました。感情の根元には「思い込み」がある。たとえば「部下は上司に年賀状を出すべき」と思い込んでいる人は部下が年賀状を出さなかったら怒る。でも「別に年賀状は出さなくてもいい」と思っている人は年賀状が来なくてもなにも思わない。こんなふうに自分の思い込んでいること(信じていること)が感情を作っている。このロジックをわかっていれば、感情にふりまわされる人生からバイバイできるそして、いつも人の言動を気にして外にいってた気持ちが自分の内側に向くようになる。「ムカーーーーー!!」ってしたとしても相手を責めるより先に自分の気持ちを見てあげればいい。「私が信じていることはなんだろう??」って。年賀状を部下が出してくれるかどうかで、いちいち怒ったり喜んだりしてもいいけれど、それって、本当にたのしいかな??と自分に問う。そしていやだったら、信じることを変えればいい。「年賀状は出しても出さなくてもいい」に変える。そうすれば、いちいち気を揉むこともなくなる。私、これを知ったときは「なんてかんたんなんだーーーー!!!」って感動しました。今までずっと、自分の怒りをどう抑えるかとか、相手をどう自分の思い通りに変えるかとか、そんなことばかり考えていたから。自分の信じていることを変えるんだったら、ひとりでできるし、だれも傷つけなくていい。自分で自分を育んでいけるって、なんて自由なんだろうって思いました。ロジックを知らないときはみんなから浮かないように、嫌われないように、なんとなく群れてなんとなく消耗して生きていた。でも、「みんな」ってだれ??本当にその「みんな」は大事なの??と問えるようになれば自分を育てていけるんだなって思います。過去も育った環境も関係ない。だから自由だなって思う。

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  • 10Nov
    • 親は私よりも成熟しているはず、という思い込み。

      私は去年失業をきっかけに地元仙台に戻り、実家に住んでいます。実家に戻ってからは両親といっしょにいる時間が増えたので、両親について考えることが多くなりました。うちは両親とは仲がいい方だとは思うのですが、距離が近くなると、いろんなところが目につくようになる。笑特に一緒にいる時間が長い母に対してイラっとすることが増えました。「そんなことも知らないの?」って思うことがあったりちょっとした対応で「ん??」と感じることがあったり。些細なことなんだけれど、母の言動にいちいち反応している私。「ちがうってば!!」とか「そんなことも知らないの?」とか「さっきも言ったじゃん!!」とか。いちいち小言を言う私。(自分のことは棚にあげてです。笑)ある日ふと、「友だちだったら許せるのに、母だとどうしてイライラするんだろう???」と思うようになりました。はじめは「親子ってそんなもんだよね。」とスルーしていたけれど、だんだん気になるようになってきた。親子だからって、本当かな?私はどうして逐一反応してるんだろう??って。父の趣味・くるみ採り。笑おなじようなイライラが繰り返されたある日、ひとつのことに気がつきます。私は「親は私よりも成熟してるべき」って思ってるようだ。。。。親は私よりもなんでも知っているべき。心が広い人であるべき。成熟しているべき。マリア様のように、愛にあふれているべき。立派であるべき。無意識に、こんなふうに思ってたんだなぁって気がつきます。今となっては「そんな親どこにいるんだよ!!!」って思いますが、真剣に、そう思っていた。だから常識を知らないことや、私より未熟な部分があることが許せなかったんです。お父さんはいつまでも完璧に尊敬できるお父さんでいてほしい。お母さんはいつまでも完璧に私を上回るお母さんでいてほしい。そう思ってたんだなぁ。父の趣味・くるみ採り2もちろん両親の方が長く生きている分いろんな経験をしているし、私より成熟している部分が多い。でも、すべてが私より成熟してるかっていうと、そうではない。それは人として当然のこと。ふつうの60歳男性と52歳女性には、なにも思わないのに、両親に対してはたくさんのことを求めていたんだな、って思います。そしてそんなふうに理想を押しつける私とは対照的に両親は私に対してなにも咎めなかったし、すべてを受け入れてくれていました。やっぱり、両親の方が上手(うわて)だった。

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  • 09Nov
    • 「結果が出る保証があるならやりますけど?」という気持ちでいたら、好きなことは見つからない。

      好きなことを見つけたいと思っているのに、なかなか見つからない。その原因ははじめから「好きなこと」を・仕事になりそうなこと・お金になりそうなことこのふたつに限定しているからじゃないかなって、最近思います。(私は、そうでした。)私が高校生のとき、村上龍さんの「13歳のハローワーク」という本がベストセラーになったのですが、 13歳のハローワーク Amazon 私の中で「好きなことをする」というのは、「13歳のハローワークに載っている職業の中から選ぶ」ということ、でした。仕事につながらなさそうなことは、「好きなこと」って思えなった。知らない人のために一応説明すると、「13歳のハローワーク」は、学生に向けて世の中にある仕事を紹介した図鑑のような本でした。でも職業図鑑に載っている仕事の中に自分にぴったりの好きなものがあるかというと、もちろんなくて、好きだと思ってやってみてもやっぱり違う、ということを繰り返していました。たとえば私は大学生のときに料理本や料理番組が大好きでヒマさえあれば眺めていたので、食の仕事についてみよう!!と思い、カフェをやってみました。でも実際やってみると、全然好きじゃなかった料理を作ることもメニューを考えることもお皿を洗うことも仕込みも接客も全部きらいだった。笑私はただ、おしゃれな台所の写真を眺めることや料理ができあがっていく様子をボーーーっと見ていることが好きなんだ、と気づきました。(今も、料理をまったくしないのですが、料理番組を見るのが大好きです。)そうやって失敗を繰り返すうちに、だんだんと「好きなことって、はじめから職業に絞るからむずかしいんじゃない?」という超基本のところに気がつきました。そのとき、30歳。(去年です。遅。)どうしてこんなに長い間気がつけなかったかというと「だって、ただ好きなだけじゃなんにもならないじゃん!」って思っていたから。私は「仕事になるんだったらやるけど、ならないんだったらやりたくない。」「将来につながるんだったらやるけど、結果の保証がないのにやりたくない。」いつもこんなふうに考えていてすべてが「見返りありき」だった。でも、必ず結果が出ることの中から好きなことを探すって、よくよく考えてみるとめちゃくちゃむずかしくないですか??めちゃくちゃ確立低いと思う。そこでやっと「見返りがなくても、好きなことってなんだろう??」と考えるようになったのがここ1年のこと。その結果・書くこと・本を読むこと・心のことを観察することこのへんが、消去法で残りました。この3つは仕事にならなくても、お金にならなくても、ひとりでずっと勝手にやっていられる。でもはじめは「えーーー、これーーー??」って思いました。たしかに好きだし、やめろって言われても勝手にやるだろう。だけど、めっちゃ地味だし、なににもならないし、仕事にならなそうだし、暗いし、なんか思ってたのとちがう!!って思いました。でもしばらくしてみると、「でも、できなくなったらつまんないもんな」「やっぱり好きだな」って思えるようになりました。好きなことって意外に「えーーー、これーーーーー??」っていうものなのかもなって思います好きすぎて好きとすら自覚していないような、自然にやってしまうようなこと。

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  • 07Nov
    • 綱引きをやめる。思ってることとやってることを一致させる。

      おとといの夜から溶けそうに眠くて昨日は一日中眠っていました。おかげで今日は超~すっきり!で、昨日布団の中で気がついたのだけれど、私は布団の中にいる時間もずーーーーっと考えごとをしている。たとえばあーーーブログ書かなくちゃー とか写真のデータ整理したかったんだよなー とかそういえば、健康保険払うの忘れてた、やばい。 とかメールの返信もしてないー  とかそんなこと。からだは布団の中だけど、頭は全然休まっていないの。グルグルグルグル。グルグルグルグル。朝からそんな調子で考えごとにふけっていて昼過ぎにやっと、「てか、寝るなら寝ろよ!!」と気づき、寝ました。笑昨日だけじゃなく、自分の中で綱引きしていることがとっても多いなぁって思います。あれ欲しい。でもお金なくなる。とか食べたい。でもやせたい。とかやりたくない。でもやらなくちゃ。とか気持ちがお互いに引っ張り合っている綱引き状態。この状態でいると、なにも進んでいないのに、すごく疲れる。一向に進まないけれど、いっちょ前に疲れるの。これに昨日やっと気がついて、やめよう!!!って猛烈に思いました。休むんだったら休む!!クヨクヨ考えない!!!買うんだったら買う!!!お金減るーとか考えない!!!!(または買わないんだったら、買わない。)食べたいんだったら潔く食べる!!太るなぁとか考えない。(または食べないんだったら食べない。)こうして、引っ張り合わないようにする。綱引きやめる。これ、気を付けていこうって思いました。思ってる以上に、これは疲れる。仏教とかで言われる身口意を一致させる、いうことでもありますね。

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  • 05Nov
    • 大丈夫。個性も、好きなことも、なくならない。

      放っておいても、にじみ出てしまうものだけでいい。付け足そうとしなくていい。探さなくてもいい。余計な抵抗をやめて、流れに身を任せること。私たちがやるのはそれだけ。今日、車を運転しているときに、ふとそんなことを思いました。個性を出そうとか、好きなことを見つけようとか人とちがうことをしようとか思わなくても、どうしてもにじみ出てしまうものが個性であり、好きなことなんだと思う。たとえやめろと言われても、ついついやっちゃうこと。自分ではあまり好きになれないような、消えない欠点。そういうもの。それは逃げたり、なくなったり、だれかに取られたりもしない。だから大丈夫!

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  • 03Nov
    • 悩みはひまつぶし。クロスワードパズルみたいなもの。

      そういえば最近、悩むことが少なくなったなぁって思います。昨日これを書いてて思い出した。20代のときは、本当に毎日毎日毎日毎日悩んでいて。(それこそ、病院に通うほど!)昨日も書いたけれど、堀江貴文さんが著書で「悩むのはヒマな奴がすること」と書かれているのを読んで、とっても傷ついていたんです。私は真剣に悩んでるのにーーー!って。でも今は「そのとおり!!」って思うようになりました。そういえばうつ病だった友人が、「東日本大震災でうつ病が治った」というはなしをしてくれたことがありました。それまでいつも悩みごとで頭がいっぱいで、体調も悪くて寝てることが多かったらしいのだけれど、震災が起きたら、寝ていられなくなった。ライフラインがすべて止まったので、家族で協力しないと生きていけない状況になって、毎日給水車に水をもらいに行くように。そしたらなんかイキイキしてきたんだって。笑私も人生でいちばん悩んでいたのは、大学生のときだった。考える時間がいくらでもあると、人は悩みごとをして遊びだすんだなって思います。で、これってクロスワードパズルに似てる。。。。。って思いました。クロスワードパズルって、忙しいときは絶対にやらないじゃないですか。ひまなときにやりたくなる。病院の待合室とか。おばあちゃんちにいるときとか。(お正月の新聞載ってるクロスワード、よく子供のときやってた。)ひまなときに、そこに穴があったら埋めたくなる。悩みもいっしょでひまなときに、そこに問題があったら解きたくなる。みたいなかんじなのかな、って思います。もちろん悩みの渦中にいるときはそんなふうに思えないし、今まさに悩んでいる人がこれを読んだらムカつくかもしれないんだけれど、(かつてホリエモンの本を読んで傷ついた私のように)でも多分、そうなんだと思う。忙しいときや、やりたいことがあるときって考えるとしても「どうやったらできるか?」を考えている気がします。今になってみると当時悩みの真っただ中で「悩むのはヒマな奴がすること」という一文を読んだことがとてもよかった気がします。私の世界では当時悩みは・たいへんなもの・苦しいもの・自力ではどうしようもできないものこういうイメージだった。けれどそれとはまったくちがう概念が入ったことで、「今はそう思えないけど、もしかしてそうなのかもしれない・・・」と思ったんだと思います。「絶対たいへんなもの!!」という枠が外れて疑う余地ができたんだと思います。

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  • 02Nov
    • 「いい本かどうか」ってどうでもいい。いい読み手かどうかの方が大切だと思う。

      先日読んで大感動したこの本。そういえば、読んだのは2回目でした。一度目に読んだのは、20代前半。当時私は茶道をはじめたばかりでした。私は教室のお稽古だけじゃ物足りなかったので、もっと学べるような本を探していて。図書館でこの本を見つけて、読みました。で、当時は「なにこれ。全っ然おもしろくない。」って思った。笑この本は、お茶のお稽古を通して主人公の感じ方が変化していく様子が描かれていて、その様子は、読んでいて心が震えるのですが、当時の私は、ただ毎週お茶の教室に通っているだけの本。特になんの参考にもならない本。としか思えませんでした。「ふーーーん。それで結局なんなの??」みたいな。笑おなじ本とは思えないほど、真逆の感想。あと最近読んでおなじように感じ方の変化があったのが堀江貴文さん(ホリエモン)の本。ホリエモンの本もむかし一度読んだことがあってそのときの感想は「なんか、この人こわい。。。」でした。笑「悩むのは、ヒマな奴がすること」と書かれている一文を読んで、当時悩みまくっていた私は、すごく傷ついたんですよね~・私、ひまだから悩んでるんじゃないのに!!・真剣なのに!!・この人は頭もいいし恵まれてるから私の気持ちなんかわかんないんだ!!・冷たい人!!鬼!!って思った。笑でも今になって「悩むのは、ヒマな奴がすること」というおなじ一文を読んでですよね~~~って思う。笑せっかくこんなに恵まれた世界に生きていて好きなことなんだってできるのに、ウジウジ悩んでるなんてもったいないよ!!もっとたのしいことしようよ!!ってことをホリエモンは言ってくれてるんだなぁ、って思いました。やさしい人だな~わざわざ自分の経験を本に書いて私みたいな、全然ちがう世界にいる人でも学ぶことができるなんて!!って思う。おなじ本でもその人の受け取り方によって、こんなにちがう。だから私、Amazonレビューってホント意味ないなって思うんです。その人のせまいせまい価値観や人生観の中でで感じた「いい」とか「悪い」とかいう評価って、どうでもいいとしか思えない。その本の価値とも、なんの関係もない。もしその本に対して「がっかり!」「残念!!」と思うのなら、どうしてがっかりしたのか?自分だったらどうするか?って考えればいいのに。そしたら、その本も自分の栄養にできるのに。って思います。本を読むときに、その本がいい本かどうかって、どうでもいい。そこから自分がなにを感じてどうやって自分の人生につなげていくかの方が大切なんじゃないかな??感じる心を育んでいれば、自分と反対の意見も、自分の栄養にできるんだと思います。

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  • 01Nov
    • 日日是好日。先に器を作っておく。あとから心が入る。

      昨日は映画「日日是好日」を見てきました。樹木希林さんが出演なさっていることでも話題の映画。私は小説を読んで、大感動をして!!(ビョービョー泣いた)なので、たのしみに行ってきました。映画の舞台は茶道教室。樹木希林さん演じる茶道の先生が、茶道をはじめたばかりの若い女の子に、ひとつひとつ作法を教えていきます。私は20代のときに少しだけ茶道をやっていたのでわかるのですが、茶道って「これってなんの意味あるの??」と思うような意味不明なお作法が無数にあります。畳は6歩で歩く。左足から歩く。手を重ねるときも左が上。茶筅は3回回す。右向きにまわる。などなど。とにかくすべての動きに決まりがあって、はじめはとっても不自由に感じます。映画に登場する若い女の子も、作法の多さに疑問をもって「これってなんの意味があるんですか??」と質問するですが、先生(樹木希林)は「そういうものなのよ。」と言います。笑そして「茶道ははじめに、形から入るのよ」「まず器を作っておいて、そこにあとから心を入れるの。」と教えます。で、私は、「これは、アーユルヴェーダと似てるなぁ」って思いました。アーユルヴェーダって、エステのように思われることも多いのだけれど、あれはからだを「グイグイ」っともみほぐしているのではなくて、ただひたすら、決められた順番にからだに触っている。そしてその決められた「型」の施術をくりかえしくりかえし受けることで、心(魂)の入れものである、からだを整えている。(からだからアプローチして、心を整えることが目的。)これが、茶道とおなじだなぁって思いましたおなじ「型」を、繰り返し繰り返しお稽古する。そうやって作られた「型」は、心が入る、強くてしなやかな器になっていく。昨日まで見えなかったものが見えるようになり、昨日まで感じられなかったものが感じられるようになる。私はアーユルヴェーダの施術をはじめて受けたときは頭の中が考えごとでいっぱいでした。施術してくれる人のミスとか、外から聞こえてくる電話の音にばかり意識がいって。でも何度も受けているうちに、まわりの音が遠のいて考えごともなくなっていき、真っ暗な空間で、触れられている感触だけがあるかんじになった。オイルのあたたかい温度。手のぬくもり。それを感じている自分だけの世界。そうしてからだが整ってくると、空がいつもより青く見えたり、ごはんの味が、鮮やかに感じるようになったりした。自然と「ありがたいなぁ~」って強く感じるようにもなった。これが「器が先。そこに心が入る」ということなのかなって思います。私は少し前まで、そのときの気分で、気ままに行動することがいいと思っていたけれど、最近は変わってきた。くり返し、茶道のお稽古する。毎日、おなじヨガのポーズを取る。毎日、書く。なんでもいいのだけれど、繰り返すことで、器が作られると感じる心が育っていくとわかってきた。最近はそういう「訓練」や「お稽古」がたのしい。映画を見てより一層その感覚に確信をもちました。私の場合は、毎日書くこととからだを整えること。最近はじめたヨガもたのしい。この繰り返しは、「努力」みたいなものだと思うんだけどたのしい努力。見えるものが鮮やかになって、気持ちが変わるのがたのしい。自分にあった「型」があったらいいなって思います。

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  • 30Oct
    • 告白されるのを待たなくていい。「必死な人はダサい」という妄想について。

      今朝ふと、中学生のときのことを思い出しました。中学生くらいのときって、「必死でやるのはダサい」っていう風潮があったなぁって。たとえばテスト勉強を必死でやるのはダサい。(ガリ勉ってあだ名がつく。)その風潮を察した当時の私はいつも「勉強してないフリ」してました。(実は勉強好きでけっこう家でしてた。)国語の授業で先生にあてられて順番に教科書を朗読するようなときにも感情をこめて読むのはダサい。ダルそうに読む方がかっこいい。笑クラスで学級委員を決めるときにも、自分で立候補するのはガツガツしててダサイ。推薦される方がかっこいい。クラスのみんなに推薦されて「仕方ないなぁ~。そんなに言うなら別に、やってもいいけど。」と言う。笑これが最高にかっこいい!と思っていました。今朝、これらを思い出して衝撃だったのですが、私はいまだに、中学生のときの価値観のまま、「推薦されるのがかっこいい」と思っていたらしい。。。。朝ノートを書いていて、気づきました。私はけっこう前からブログを書いていたのだけれど、人に読んでもらえるように工夫することを一切してませんでした。(記事をFacebookでシェアするとか、そういうこと。)せっかく書いているのだから、たくさんの人に読んでもらえた方が絶対にいいはず。けれど、「自力で広めるのはダサい」と思っていたので、だれかが見つけてくれるのをじっと待っていた。ある日だれかが急に「いいブログがあったよ!!」と見つけて、シェアしてくれる。そして勝手に拡散されていく。それこそがかっこいい自分で「読んでください!」とシェアするのは、学級委員に立候補するみたいで、ガツガツしていていやだ。そんなふうに思っていたと気がついた。私は社会にもうまくなじめないし、これといった特技もなくずっと悩んできたのだけれど、去年、自分が悩み感じたことを言葉にすることだったら、できるかもしれないと思いました。私が悩み、どんなふうに試行錯誤したかを書けば過去の私と同じように悩む人の参考くらいにはなれるかも。そう思ったんです。だったら、少しでも読んでもらえるように工夫すればいいのに。「ダサいからやれない」と思ってやらなかったんだなぁ。今朝はじめて自覚し、そのマインドこそがダサいわ!!!!!!って思いました。私は、自分が伝えたいことを伝えることよりも、人からダサいって思われないことの方が大事だったのか。。。。まだ、そんなつまんないことやってたんだなぁ。。。。こういうの、もうやめたつもりでいたのに!!!激怒プンプン丸!!!!!推薦されるのを待つとか、プロポーズを待つとか、告白されるのを待つとか、全部いっしょ。相手から言ってもらうことが大切なんじゃなくて、その先の、叶えたいことを叶える方が大切。そのための方法って、どっちでもいいことだな、って思いました。私は推薦されるのをボーーっと待つのではなく、今できることを、やれる私でありたいなぁって改めて思います。

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  • 29Oct
    • 「私が嫌だから相手も嫌なはず」から抜けたとき。③

      つづきです。私は今まで四六時中「こんなふうに言ったら、相手はイヤかな?」とか「誘いを断ったら相手が傷つくかもしれないから、断れないな」とか相手の気持ちを勝手に予想して勝手に心配し勝手に気疲れしていたことに気がついてなんてムダなことしてきたんだろう。って思いました。そして私が予想できることは、私のせまいせまい価値観の範囲でしかないということもわかった。248円の鶏モモ肉と368円の鶏むね肉、精肉コーナーでどちらを買おうかで死ぬほど迷っている女にお金持ちの気持ちなんて、予想できるわけもなかった。いくら頭を使って考えてもお土産に10万円使う人の気持ちや、飛行機にのってマッサージを受ける人の気持ちはわかるわけないってことに、ようやく気がつきます。お金持ちに限らず他人の気持ちは、私はわからない。私がわかるのは、私の気持ちのみ。あとは全部妄想だった。と思いました。私が今まで一生懸命ときには夜眠れないほど悩みながら考えていた「相手の気持ち」ってただ妄想でしかなかったそこまで気づいたとき人の気持ちを考えているヒマがあったら、自分の気持ちを見ていた方がいいな。って思いました。笑他人の財布の中身を心配しているヒマがあったら、どうやったらアーユルヴェーダのよさが伝わるか?を考えていた方がいいし、お客さんがどう思うか?を心配しているヒマがあったら、自信をもって提供できるように工夫した方がいいし。そして、自分が心からいいと思ったものは、高くても自信をもっておすすめすればいいんだな、って思いました。当時、真剣に他人の財布について悩んでいたことが、今になると笑えます。

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    • 「私が嫌だから相手も嫌なはず」から抜けたとき。② 

      こちらの記事のつづきです。田舎で暮らしていたときの価値観から「1円でも安くしてあげることがやさしさ」と思っていた私は、サロンのお客さんにオプションサービスをすすめることができませんでした。「おすすめしたら申し訳ない」「お金をぼったくるみたいでイヤだ」と思い、先輩に相談。そしたら「すすめない方が申し訳ないよー!」と先輩は言いました。「体をよくするために施術を受けに来てくれたんだから、もっといい方法があるって教えてあげた方がいいと思うよ。」「むしろ、いい方法があるのに教えなかったら、申し訳ないよ。」と。なるほどそういう考えもあるのか。。。。とは思いつつ「いや、そんなはずない」「私だったらいやだもん!」「お金を取られるってかんじがする。」「セールスっぽくてイヤだ。言いたくない!!!」そんな思いがうずまきます。ただ、オプションをすすめることは決まりになっていたから、私だけやらないわけにもいかない。なので、恐る恐るおすすめしてみることにしました。「あのぉ、、、、、、施術にオプションをつけられるのですが、、、、」「もちろん!強制ではなくて!!」「もしよかったら、なんですが!!!」「+2000円で、ふつうのオイルをハーブオイルに変更できます。」「あと、足のマッサージも、+5000円でできます。」「もしも!!!ご希望でしたら!!!と思いまして、、、、、、」「いらなかったらいらないでいいですから!!!!」と言いました。笑そしたらお客さんが「えーじゃ、両方お願いしまーす」って言いました。笑両方!!!!!!!両方つけたら7000円!!!ほうれんそう70束、トマト50袋分!!!ほんとにいいんですか!!!700円じゃなくて7000円ですよ!!!!と心の中がパニックになりながらお会計をしたのを覚えています。次の人も、その次の人も「せっかく来たから、ハーブオイルにしてください」とか「足もやります」と言うだけでなく「このハーブオイル、とってもよかったからおみやげに買っていきます」「24本ください」とか言う人まで現れました。またまた金額をホウレンソウとトマトに換算しそうになりましたが、金額が多くて数えきれなくなり、24本のオイルをお土産用に包みながら、めまいがしました。(↑このお客さんすごい覚えているんだけれど、ひとり8000円を超えるおみやげを、十数人分買っていました。私はお土産といったら、1000円のクッキー詰め合わせをみんなで分けるくらいしか知らなかったので、外国人を見るより珍しい気持ちで接客した。)そして私の「うれしいこと」と、この人の「うれしいこと」はちがうんだ!!!という今となっては至極当然のことに気がつきました。それまで私は「自分がされて嫌なことは相手にしない」「私が嫌だったら相手も嫌なはず」と思い込んで生きていたので、この気づきは、天動説が地動説に変わるくらいのおどろきでした。紅葉を鑑賞しているうちの犬。もうちょっとつづきます!→③へ

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  • 28Oct
    • お金持ちのお客さんにに学んだこと。「私が嫌だから相手も嫌なはず」から抜けたとき。

      私は去年までオイルマッサージの施術者をしていました。アーユルヴェーダです。私がはたらいていたサロンは、1回の施術が2~3万円代だったので、金銭的に余裕のあるお客さんが多くて貧乏しか経験のなかった私は、お客さんから学んだことがたくさんあります。私はそれまで山形の田舎に住んでいたので、特別裕福な人には会ったことがなくて「安いことがいいこと」っていう価値観で生きていました。山形では、安くしてあげるとよろこんでもらえる地元の野菜を売る仕事をしていたときには「安いわね~」「ありがたいわ~」「スーパーで買うと300円なのに、ここは200円!!」などとよろこばれていたので、余計にそう思いました。安さはやさしさそんなふうに田舎で100円の野菜を売っていた私がオイルマッサージの仕事に就いてからはいきなり数万円~10万円超えるものを売るようになったので、はじめは金銭感覚が合わず、戸惑いました。特に私が戸惑ったのは、お客さんにオプションサービスをおすすめすること。たとえば、ふつうのオイルをハーブオイルに変更すると、+2000円。足のマッサージをつけると+5000円。こういうオプションがそのときどきであって、それをお客さんにおすすめするシステムになっていたのだけれど、それがはじめ、できなかった!!!ただでさえ、数万円も支払っていて、しかも遠くから新幹線で来ている人もおり、宿泊までしているのに更にお金を支払わせるなんて、悪魔か!!!って思いました。笑オプションで5000円て!!!!ほうれんそう50束買えるじゃん!!!トマトだった35袋だよ!!!絶対ムリ!!!そんなぼったくりできない!!!って思った。(なんでも野菜で換算するクセはしばらく抜けなかった。笑)それで、先輩に相談しました。「すいません。どうしても申し訳なくて、おすすめできないです。」「ただでさえ施術高いのに。」「もっと支払えなんて言えない。」って。そしたら先輩は「えーーー!おすすめしない方が申し訳ないじゃん!!」と言いました。長くなったので、つづく。

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  • 26Oct
    • 失敗しても大丈夫。失敗はただのデータ。

      そういえば私は少し前まで、失敗するのがめちゃくちゃこわかったです。失敗に対してビクビクしていたし、なにがなんでも失敗したくない!!って思ってた。(今もまだ名残りアリ。。。)なぜそんなにいやだったかというと、失敗すると毎回すごく落ち込んでいたから。「あ~ぁ、また失敗した。。。」↓「だから私ってダメなんだよね。」↓「どうせ私は、なにもできないし価値がない。」というように、「失敗」と「自分の価値」がくっついたので、毎回「ドーーーン」と落ち込んでいました。そしてその度に「もう二度と失敗したくない!!」と思うようになり、すべてに慎重になりました。「これ、やっても失敗しないかな?」「ちゃんと続けられるかな?」「うまくいくだろうか??」なにをするにも慎重に慎重になった結果なんにもできなくなりました。笑とにかく決められない。決断が遅い。ウジウジずっと考える。そしてなにもやらない。笑こんなループが完成気がついたら「失敗をしないことがなによりも大事」「失敗するくらいなら、はじめからやらない方がいい」という超保守派になっていた。考えてばかりでなにもしないってのは、たしかにラクなんだけれど、失敗もない代わりによろこびもないんだとわかりました。死ぬほど退屈でしたそして、退屈って、けっこう苦痛だなぁって思いました。そのあたりであらためて考えてみる。私ってどうして失敗したくないんだろう??どうしてこんなにおちこむ??私がそのとき失敗についてもっていたイメージはこれ。失敗とは?・絶対にしたくないもの・どうにか避けたいもの・失敗したらおわり・恥・ダメなことこのイメージでいたから失敗はどうしても避けたかったし、避け続けた結果、退屈でよろこびのない日々が完成した。でも今、退屈で死にそう。つまんないのは落ち込むよりももっとやだ。失敗をするリスクを負ったとしても、よろこびを感じたい。って思いました。そこで失敗を重苦しく考えるのをやめました。失敗とは、ただのデータ。にしてみた。たとえばブログを書いたけど、だれにも読んでもらえなかったとして、以前だったら、その結果にすごく落ち込んでいた。・やっぱり私は才能ないんだなぁ。・だれも私の文章なんて読みたくないんだ・やっぱり私ってダメなんだ。(←必ずここに着地する。笑)というふうに。でも「失敗はデータ」だとしたらそのデータを元に・じゃあ、どうやったらもっと読んでもらえるかな?・もっとわかりやすく書いて見よう。・Facebookにもシェアしてみようというように、失敗が、次のアクションのための材料になる。ただのデータなので、別におちこまない。気持ちは次へいってる。こんなかんじに変わりました。そしたらおのずと・ま、とりあえずやってみよっと。・失敗してから考えよう・失敗しても、データが取れれば上出来と思うようになりました。

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  • 25Oct
    • 「生理を変えてみる」というのは「あたりまえを疑ってみる」ということ。

      ​今までコソコソ書いていたblogをFacebookにもシェアするようになってから、読んでくれる人が増えてうれしいこの頃です。感想をメールで送ってくれたり、昨日は「早速、生理休暇を取ってみました!」という報告ももらった。※生理休暇についてはこの記事で書いています↓↓相手が変わってくれたからうれしいのではなく、伝えたい想いが届いたって感じることがうれしい。だからやっぱり、できるだけ伝わるように書きたいって思います。で、上の記事で書いた生理休暇のことについて、ちょっと補足しようと思いました。私は生理が辛かったときに、まずは「生理にスケジュールを合わせよう!」と決めたのですが、もちろんそれだけが正解ではない。ただ、あたりまえに「生理よりもスケジュール優先」って思いこんでいるとしたら、一旦疑ってみたらどうだろう?という提案をしたかった​です。​仕事だから、行かなきゃいけない。お金もらってるし。それはそうなんだけれど、そうやって、あたりまえに自分を後回しにしているってことに気づくことから、はじめたらどう?っていうこと。そのうえで、できるだけ自分で自分に心地よい環境を用意してあげたらどうだろう??休みを取ることがむずかしかったとしても、家にいるときだけ布ナプキンにするとか、からだをあっためてみるとか、早く寝るとか、できることはいっぱいある。私は布ナプキンの販売をしているので、生理についての質問をもらうことがあるのですが、「布ナプキンを使ったら生理がよくなるんですよね?」という質問を何回かもらっています。(「やったら変わるんですよね?私の都合のいいようになりますよね??」というニュアンス。)私も生理が辛かった時期があるので、すごく気持ちはわかるけれど、でもそもそも、あたりまえに会社や学校やスケジュールに生理を合わせるという発想をまずやめてみたらどうだろう??って思った。からだの中でも特に子宮のまわりのことって、頭でコントロールしにくい場所のような気がする。「さあ、排卵するぞ!!」と思わなくても勝手に排卵がおこるし、いくら子供がほしくても、思い通りにならなかったりする。メンタルの影響を、いちばん受けやすい臓器なのかなって思うんです。不摂生した月は、生理も「やっぱりね。」ってかんじになるし。笑だからもう、コントロールしようとすること自体をやめてみたらどう??って思った。どうやったら心地よくなるかな?って試すのって、けっこうたのしいと思うんだよね。たのしめるようになってくると、きっと生理もよくなる。メールで報告をくれた人は、休暇を申請したら、あっさりOKが出たらしい!!(すごい!!)絶対無理!!!って思ってるのって、意外と自分だけだったりするのか​​もしれないなって思います。

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  • 23Oct
    • 仲間(友だち)を作らなければいけない、という妄想について。

      「私って、仲間(友だち)がいないな~。(なんかさみしい。)」ってずっとずっと思っていた気がします。もちろん友だち0人、ではないんです。でも私はひとりで過ごす時間が多いし、人と会ったり、ワイワイしたり(笑)する機会が人より少ない(と感じてた)ので、「ひとりだなぁ。」って感じる機会が多かったんだと思います。・ひとりでいることはよくないこと。・ひとりでいる人はさみしい人。こういうイメージもあったし、以前は悩んだり落ち込んだりすることが多かったので、「仲間がほしい!!」「仲間を作らなくちゃ!!」って思ってた。で、当時思っていた「仲間(友だち)」のイメージはこんなかんじ。仲間とは?・価値観がおなじ。・とっても仲良し!・常に連絡したり、会ったりしている。・なんでも話せる人。隠しごとがない。・グチを聞いてくれる・結束がつよい↑ちょっとツッコミどころ満載のイメージですが、一旦おいておきます。つまり私は・いつも私のそばにいて・私のことをなんでも知ってくれていて・話も全部聞いてくれて・だれからどう見てもとっても仲良し!!っていう人が、ほしかった。笑でもここ数年で、ノートに自分の気持ちを書き出して整理する習慣ができてきて人に聞いてもらわなくても、自分で自分の気持ちを見られるようになった。だから「なんでもわかってくれる友だち」とか「グチを聞いてくれる人」は、欲しなくなりました。(今思うと「仲間=愚痴を聞いてくれる人」と思っているのが、失礼すぎる。仲間はごみ箱じゃないぞ。)「ほしいほしい!!」というふう気持ちがおさまり、「ひとりでも大丈夫」っていう安心感が増した。なのにまだ「ひとりでいるのはよくない」「仲間を作らなくちゃ」っていうふう気持ちが心のすみに残っていることに最近気がついて改めて「なんでだろう??」って考える機会がありました。どうしてこんなに焦るのかな??私はさみしいのかな??と、考えてみたら私の中の「仲間」はこんなかんじだった。「仲間」には枠があって、その中にいれば仲間だけど、そうじゃないと仲間じゃない。(仲間外れ)だから、「ひとりでいる=枠の外にいる=仲間がいない」っていう感覚だったんだと思います。で、この図を書いてみて思いました。「これって、中学生のときの派閥のイメージのままだ」って。中学生くらいのときって、派閥(グループ)みたいなのありませんでしたか?クラスの中でなんとなく、全体を牛耳っているグループ(笑)があって、そこに入っているといじめられない。でも、そこから外れると、もしかしていじめられるかもしれない。自分のグループじゃない子と下校したりしているとグループのリーダー核の子から「なんであっちのグループの子と帰ってるの??」「一葉はこっちのグループでしょ?」って言われたりしてた。そのときのイメージがいまだに抜けていなくて「枠の外にいたらダメ」↓「枠の外にいたらクラスで浮く」↓「浮いたらいじめられる」っていう妄想の中で生きてたんだなって思います。(私は結局一度もいじめられたことがなかったので、ほんとにただの妄想だった。)仲間についてもっているイメージ・価値観がおなじ。・とっても仲良し!・常に連絡したり、会ったりしている。・なんでも話せる人。隠しごとがない。・グチを聞いてくれる・結束がつよい↑これらも、当時のイメージそのまま。なんでも腹をわって話せて、いつも行動をいっしょにして連れションするのが仲間♡ここから、31歳になっても抜けられてなかった。笑だから、これ、もうやめようと思いました。で、あたらしい「仲間」のイメージはこんなかんじにしました!そもそも私が思ってた「枠」って妄想だった。みんな人間なんだからおなじ枠の中にすでにいる。だからがんばって枠に入ろうと焦らなくても、大丈夫。ここまで思えたときに私にはもう仲間(友だち)がもういっぱいいたんだなぁってことにも気がついた。常に会っているわけじゃなくても、すべてを話すわけじゃなくても、ベタベタしなくても、尊敬し、これからも会いたいと思う人がたくさんいる。会いたいと思わなかったとしても、どうせおなじ枠の中にいる。笑しかし思い込みって、ほんとにすごいなって思います。いまだに中学生の派閥のイメージで生きていたなんて!!!

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    • 「好き」も「嫌い」もわからない人へ。生理を変えてみませんか♡

      なにが好きでなにが嫌いだったのかもわからないような不調期に、黙々とからだを整えたことは本当によかったとな、と思うことのひとつです。こちらの記事のつづきです。当時は整体やマッサージにも行ってたし、ほかにもいろいろ試したんだけれど、特に私が効果があったと思うのは生理を整えること!!メンタルが落ちている時期は生理も重くて、私はベットから起き上がれないほどでした。あと、生理前に意味もなく死にたくなるの!!はじめはそんな生理を忌み嫌っていて「なんで生理なんてあるの?」「女はホントに損だよ!!」って思っていたのだけれど、ある日「そんなこと言ってても仕方ないな」って思った。笑文句を言って生理がなくなるとかある日急に男になれるなら別だけれど、私は女に生まれて、そして生理がある。これは変えられないこと。目がふたつあり、手足が2本ずつあるように、私には子宮があり、生理があるのだ。だからもう、おとなしく受け入れようと思いました。笑昨日は友だちの稲刈りを見に行きました。お米って、なんでこんなにゆたかなかんじがするんだろう。じゃあ、どうしたらすこしでもよくなるだろう??私は当時生理の1週間前から徐々にネガティブになり、意味もなく悲しくなり、体調もわるくなるというパターンだったので、とりあえず、この1週間が快適になるだけでも、人生がラクになりそうだなって思いました。1カ月のうちの1週間が憂鬱ってことは、人生の4分の1が憂鬱ってことだから。私がまずやってみたのは「生理に合わせてスケジュールを立てる」こと。今までスケジュールに自分のからだを合わせようとしてたから辛かったのだけれど、逆にすればいいんだと思った。手帳を見て、生理の周辺は絶対に予定を入れないように印をつけました。友だちからの誘いも「その日は予定があるから、別の日で!」と言っていたし、もちろん旅行や泊りの予定は絶対に入れなかった。当時仕事をしてなかったので、それはラッキーだったのだけれど、たぶん仕事があっても有休とか使ってたと思う。(どうせ行っても迷惑かけるから。)そうすると「予定がないから、いくら具合悪なっても大丈夫!」っていう大きな安心感が生まれました。今までは予定があったから不安だったんだって気づいた。明日朝早いのに、体調わるかったらどうしよう。とかおなか痛くなったときに、休めなかったらどうしよう。とか。でも「思う存分休んでいい!!」と決めた途端ちょっとたのしみになりました。笑だんだんと「生理の日にあわせてDVDを借りてきて、おかし食べながらみよう」とか「読みたい本も買っておこう」「どうせ具合悪いんだし」っていうふうにけっこうたのしみな予定になりました。私は元々、おうちにひきこもってパジャマのままひとりで本を読んだりするのが大好きなのだけれど、それをなんとなく「よくないこと」として禁止していたんだなぁということにも気がついた。休むの、けっこう楽しいそしてだんだんと、休まなくてもだいじょうぶなくらい、生理が軽くなっていきました。ほかにもいくつかやったことがあるので、次にまた書きます!

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  • 22Oct
    • そもそも「好き」も「嫌い」もわからない人へ。

      「好きなこと」シリーズの記事を書いていて、むかしのことをいろいろ思い出しました。好きなことシリーズはこれです。好きなことって何だろう?① 好きなことがわからなかった理由。https://ameblo.jp/tanenooto/entry-12412832539.html好きなことって何だろう?② 好きなことをむずかしくしていた私。https://ameblo.jp/tanenooto/entry-12413035286.html好きなことって何だろう?③ オタクをやめる。私は好きなことを分かち合いたい。https://ameblo.jp/tanenooto/entry-12413044100.html好きなことって何だろう?④ 好きなことは、もうすでにやっていることの中にある。https://ameblo.jp/tanenooto/entry-12413374007.html当時は私は、なにが好きでなにが嫌いかもわからなかったし、人からすごく失礼なことされたときも自分が怒っているのがどうかすらわかりませんでした。(重症)「あ、私いやだったんだ」って自覚できたときには手に負えないほど病んでいたので、病院に行きました。(おバカ。)そのときは好きなことどころか生きること自体がいやで仕方なかったです。「早く人生おわんないかなぁ」っていつも思ってた。そんな私と対照的に友だちが次々とやりたいことを仕事にし活躍する姿を見て焦ってもいました。でも焦れば焦るほど余計好きなことなんてわからなくて気づけば私のまわりは嫌いなものと嫌いな人だらけになっていた。笑もしも今、当時の私に声をかけるとしたら「とりあえず、好きなことはおいとこうよ。」って言うと思う。頭もからだも疲れているしまだ好きなことに目を向ける段階じゃない。とにかく休んでからだを整えた方がいいよ。「好き」よりもまず「ホッとする」をやってみたら?って。気持ちがふさいでいるときはからだもふさがって縮こまっているから、からだから変えるのは絶対にいい。いろいろ試してみて、そう思います。錯乱した脳内で思いつく「好きなこと」やアイディアなんてどうせたいしたことないんだから!!とにかく黙って休んどけ!!私は当時よく整体やマッサージに行っていました。さっきまでグルグル悩んでいたことでも整体に行って調子がよくなると「ま、いっか!」って思えたから。(またすぐに戻っちゃうんだけど、すこしずつよくなるから大丈夫。)からだが変われば、心も引っぱられるように変わる。お金をかけられないときやからだを触られることに抵抗がある場合は、おうちでできる方法で。温泉やお風呂にゆっくり入るのはいちばん手軽でいい方法。一日何度入ってもいいと思う。私はすこしでもネガティブになってるな、と思ったらとにかくお風呂に入っていました。あったまると、深刻な気持ちもやわらぐの。(人はほかほかでは死ねないんだって思った。死にたいときは絶対に冷えている。)あとはなんといっても、生理を整えるのがいいと思います!!病んでるときって気づかないけど、ただの生理の周期で死にたくなってるときもある。生理を自分で整える方法、また書きます。好きなこと探しする前に、ぜひやってほしい!!!生理が変わると、1カ月の過ごし方が変わるし、一カ月の過ごし方が変わると、人生が変わる。自己肯定感も勝手にあがると私は思っています。頭で思い込もうとするより、めちゃくちゃかんたんだよ。オンラインショップ konkonto

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  • 21Oct
    • 好きなことって何だろう?④ 好きなことは、もうすでにやっていることの中にある。

      本当に好きなことは、もうすでにやっている。どの人でもそうだとう。好きなことは、今、毎日、やってることの中にあると思いますこちらの記事のつづきです。私の場合、今までの人生でいちばん時間を費やしてきたことって、「悩むこと」でした。笑散々「好きなこと」を探し回った結果、「もしかして私、こうやって探し回って悩むのが好きなのでは?」と思うようになりました。思春期のときの「私って、どうして生きてるんだろう?」からはじまり「私の好きなことってなんだろう?」「いじめられる人といじめられない人のちがいはなんだろう?」「私はどうしてお金ないんだろう?」など。笑起きている時間のほとんどを、悩むこと(考えること)に使っていました。大好きじゃん!!!!笑悩みを元に、考えることが好き。わからなかったことがわかるようになる瞬間が、たのしい。更にそれを言葉にできたとき、よだれが出るほどうれしいのですでも「悩むこと」が好きって。。。。。全然イケてない「もっとみんなが「いいね~」って言ってくれるやつがいい!!」って思いました。たとえば靴職人とかパン屋さんとか物理学者のようなだれがどう見てもわかりやすく「へ~、すてきなことやってるんだね~」と言ってもらえそうなこと。笑それが私の中の「好きなこと」だったのでそりゃ探しても見つからないよなぁって思います。(そういう「すてきなもの」の中に私の好きなものはないから)私は本が大好きで小学生 のときから「整理術」とか「自己啓発」とか「仏教」とかを読んでいたのだけれど整理術はおいておいて自己啓発や仏教=あやしいもの、悩んでる人がコソコソ読むものと思っていたからもちろん「好きなもの」にカウントしていなかったです。「これだけはナシで!!!これ以外ならなんでもいい!!!」って思ってました。20代のときにカフェをやったり養蜂家を目指したりしていたのはそういう憧れがあったんだと思います。「みんなにいいって言ってもらえそう」みたいな。養蜂は当時大好きだったのけど、圧倒的に人の心について考えてる時間が長かったです。養蜂 のことを考えてる時間が1日30分だとすると心のことは8時間くらい考えてる(=ずっと悩みごとでたのしんでいる)このことに気づいて「あ、養蜂やめよう」って思いました。「私は悩む方が才能あるな」と。笑たぶん「好きなこと」って、やっている意識もないくらい、自然にやっちゃうこと。「やめなさい」って言われても、やめられないもの。息をするように、勝手にやれちゃうもの。こんなかんじなんじゃないかなぁ?だから気づきにくいのだけれど、たしかに毎日やっている。ちなみにうちの母はいつもランチを食べながら「夕飯なにを作ろうかな?」と考えているので、すごい好きなんだなって思います。私はおなかがすいてからじゃないと、食事のことは考えられないです。

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プロフィール

管野 一葉

性別:
女性
お住まいの地域:
宮城県
自己紹介:
1987年福島県生まれ。31歳. オンラインショップ「konkonto」店主。 小さなころから、...

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