(連載になっています。初めてお読み下さる方は、PLAYERS' PRAYER〜序章〜からお読み頂ければと思います。)



ガチャンッ、と陶器の割れる音が控え室内に響き渡った。リハーサルを終え、緊張した面持ちで座りながら本番を待っていた葵は、ビクッとして振り返った。
「キャッ、やっちゃった! すぐ片付けますぅ」
若い演奏家が、しゃがんで割れた湯飲みのかけらを拾おうとした。すると、
「触っちゃ駄目よ! 今指を怪我したらどうするの? 演奏が台無しじゃない。みんなこの日のために練習を積んで来てるのよ」
室内から声が飛んだ。
「ハッ……すいません。人を呼んで来ます」
若い演奏家はうつむきながら、足早に控え室を出て行った。


その後ろ姿を目で追いながら、
「嫌ね、こんな時に」
葵の隣で、指のマッサージをしていた長い黒髪の女性が呟いた。そして、目の前に置いたフルートに手を掛けると立ち上がり、葵に軽く会釈をして言った。
「気を取り直していきましょう。デビューおめでとうございます。今日はよろしくお願いします。じゃ私はお先に」
自分より少し年上に見えるその女性の、場慣れし落ち着いた雰囲気に気後れしながら、葵も立ち上がり深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします」


葵は、本番直前に湯飲みが割れたことよりも、その後の言葉の方が気になっていた。
(みんなこの日のために練習を積んで来てるのよ)
指揮者に求められるのは、全体をまとめ上げることだけではない。自分の仕事を仕上げてきた演奏家一人ひとりの個性を、舞台の上でさらに引き出し、作品の美を極限まで高めることだ。
先の言葉には、観客に対する責任だけでなく、演奏家への敬意も込められているように、葵は感じた。
厳しいこの世界が、どんな評価を自分に下すのかに気を取られ、演奏家や観客が二の次になっていたことに、葵は気付かされたのだった。すると、不思議に緊張感が消え、代わりに言いようのない力が、お腹の底から湧き上がって来るのを感じた。


(よしっ)
心の中で言い聞かせ、鏡の前に立って最終チェックをした時だった。
(女に何が出来る。無駄だ。馬鹿め)
(ヒヒッ、死んじゃった)
男の低い不気味な声や甲高い声が、葵の耳元に響いた。ハッとして葵は辺りを見回したが、ここは女性専用控え室、男性がいるはずもない。
(何? 今の……)
その時控え室のドアをノックして、係が声を掛けた。
「本番です! よろしくお願いします!」


満席の会場をカーテン越しに見ながら、葵は胸に手を当て深呼吸をした。そして、意を決したように一歩を踏み出した。
大きな拍手に迎えられ、ステージの中央に歩み出た葵は、客席に向かって一礼すると指揮台に上がり、演奏家たちに向き合った。
拍手が鳴り止み、場内が水を打ったように静かになると、葵の内に声々が響いた。
(あおちゃん……)
(頑張れよ、葵)
硬い表情が緩み、女性指揮者はゆっくりと挙げた両腕を、指揮棒とともに勢いよく振り下ろした。

〜 つづく 〜





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