相手に応じて
説き方を変えるという
古来からの手法では
生の本質を
想像してもらうことは難しい……
いえ
もはやそれだけの時間は用意されていない、
といった方がいいかもしれません。


それでもまだ
慈愛という主観的なコトバは
異端と見なされ 敬遠されるので
ーーなぜなら わたし自身の問題を前にしながら
その実践や継続は 困難を極めるように見えるため
聴く者は安易に賛同出来ない。よって、客観的でなく主観的と見なされるーー
多くのリーダーはそれをしません。


けれど
語る者も 聴く者も
互いの信頼の下に
そのコトバの深奥に入ってゆくなら
そこにジッと息を潜め
待ち詫びていたモノたちの
惜しみなき協力を得て
これまでの世界が
異端となる日を
わたしたちは迎えるのです。





晴れ

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