昨日、落ち葉をイメージしたおやつをいただいたので、落ち葉が気になります。
桜の落ち葉は、色が本当に鮮やかで綺麗です。
そこらじゅうの落ち葉を集めてその上に寝転びたい、そんな思いが沸々と湧いてきます。
娘たちが小さかった頃、公園で一度やったことがありますが、とても気持ちがいいんですよ。
 
なんともいえない暖かさに包まれます。(虫とか気になる人は無理かもしれません)
 
さてこの記事のその後です。
 
 
 
本日やっと任務完了しました。
 
コレまでの変遷です。
左から右へ時間が経過しています。(右のスカスカ度が今ひとつ分かりにくい🙄)
 
 
最後は月が向こうに透けて見えるほど、枝が少なくなりました。
コレで何年間かは大丈夫。
 
2メートルの脚立も使いました。
最初はおっかなびっくりでしたが慣れてしまえば、なんてことない高さです。
でも落ちたら大怪我ですので(ヘルメットも被ってないし)、脚立が倒れることのないよう木に縛りつけました。
どこを切るかは、金木犀と会話しながらです。
植物の世話って、動物の世話と大して変わりません。
 
こうして欲しいああしてほしい、という要望が聞こえてきます。(と私は思ってます)
 
植物って不思議な存在です。
タイトルはわすれましたが、以前読んだ本で興味深い話が載っていました。
 
植物好きな人がいて、その人が外で何か困った目にあっている時、家にいる植物たちにも、変化が現れるのだそうです。
ご主人のピンチを植物も離れた場所で感じ取っている、とその本には書かれていました。
 
私も入院中にこんな体験をしました。
 
フィッシャー症候群で入院していた時、お見舞いに来てくれた友人がひとりだけいました。
顔面の麻痺があまりにひどくて、普通の人はショックを受けてしまうだろうからと、看護師の友人だけにして他の友人には遠慮してもらったのです。
 
その友人が生花を持ってきてくれました。
ガーベラとカスミソウとほかにいくつかの種類の花でした。
お見舞いのお花が初めてでしたので、すごく嬉しかったです。
 
でも二日後には萎れてしまったんです。普通は一週間以上も持つお花です。
 
そう友人に連絡すると、「そのために持っていたんです。」って。
なんでもお花は悪いところを吸い取ってくれるのだそうです。
 
だからさっさと枯れたってことは、それだけ私が良くなってるということです、って。
病院で働いていた彼女がいうのですから、なんだか信憑性がある気がしました。
 
確かに、急に身体が楽になったんです。
彼女の言葉で気分が楽になった、ということもあるかもしれません。
ですがあの感覚は不思議でした。
 
そんな体験から、植物には「人智を超えた何か」があると思っています。
 
なので、木を切る時も闇雲にではなく、会話をしながらです。
出来上がりはかなりスッキリして、金木犀も気持ち良くなったはずです。
 
植物を上手に育てる人のことを、
和製英語でグリーンハンド(green hand、緑の手)
正確な英語表現(北米)ではグリーンサム(green thumb、緑の親指)
英国ではグリーンフィンガー(green fingers、緑の指)
と言いますが、ちょっとそれに近づけたらいいなあって思っています。
 

植物はあなたのことをいつでも見守っていて、痛みを分かち合ってくれる存在なんです。

 
そう思ったら、身の回りの植物への愛着もヒトシオではないですか。
 
だから私は植物の世話をするのが大好きで、世話をしながら癒しをもらっています。
今回はなかなか大変でしたが、無事にやり切れてよかったです。
 
一大イベントが終わってみたら、ふと気がつきました。
 
他にも「気になる」木が何本もある。。
追々やることにいたします。寒くなる前に‼️
 

 

via Naomi'S
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