寺院による経営戦略を吟味しようとする企画であるが、寺院は企業であるかといえば、経営学的には企業となる。事業を営む団体、集団、組織は全て企業となるので、寺院は企業であり、経営学における研究対象となる。


しかし、これまで寺院における経営学的考察は否定的であり、いわんや、寺院における経営戦略の吟味など、例え思いつたとしても行う学者は皆無であった。それを私が行っているのであるが、これもまた辛い役どころである。


いつもどうして私はこのような役に当たるのか不思議でならないが、これも無意識に英雄元型が私にまとわりついているからであろう。よって、言いたいことを言っているようで、実は非常に気を使っている事を申し上げておく。


寺院における経営学的視座の何が難しいかといえば、寺院の過去と現在が同一視されており、現在における神秘性重視の傾向が過去から継続されているものと信じられているからである。これがさらに拡大され、「罰当たりが!」、「無教養」などの批判を浴びることになる。


しかし、拙著の『新武士道』の連載において、仏教は化学と深く関わりをもっており、教育のための神秘となっていたことを証明した。飛鳥時代に仏教が伝来し、奈良時代に大きく花開いた仏教は、各戦略立案者に科学的(ここでは化学ではない)な方法を導くことになる。


とりわけ、化学分野における意思決定とは何かといえば、ユング派心理学では老賢者元型が作用することになる。つまり、錬金術により民を救う事を目的とする意思決定が下されるはずである。


では、実際にこのような意思決定が奈良時代に行われていたのかを検証してみる。





東大寺の隣にある興福寺である。


興福寺であるが、現在の興福寺は敷地面積からすると小さく、過去の歴史からすると淋しく感じるが、建立された当時はこの付近を支配する圧倒的な力を持っていた寺院である。


その中でも興福寺における事業の歴史を見てみると、公式サイトからは芸能と酒造が掲載されている。不思議なのは、興福寺といえば奈良墨であるが、何故か奈良墨の記述がない。よって、2次資料を添付することにより、興福寺における事業として明らかにしておく。


公式サイトの吟味からすると、芸能はやはり「和」を実現するためのものである。とりわけここでは楽が主たるものとなっており、性善を極めるための手段となっている。つまり、こうなってくると老賢者を超え、自己の領域へと持ち上げるための意思決定が行われていたことになる。


次に酒造である。現代ではノウハウの蓄積があるので酒は貴重品ではないが、事は奈良時代である。1,300年前に酒を作ることは、それこそ「化学」を駆使した一大事業となる。


興福寺は力があったので、黙っていてもモノが入ってくる。そのモノを倉庫で眠らせるだけであれば、時代劇に出てくる悪代官となるが、さすがは唯識派である法相宗の大本山、興福寺である。この貯蔵された原料で酒造を行う。唯識派というのはユング派心理学と非常に近い関係にあり、要は、個性化を重視する一派である。


阿頼耶識にまで達した意識が表出化されるとき、老賢者の如きのパワーを発する。その時の意思決定たるや、米を米として民に還元するのではなく、酒に造り替えることにより還元する。これほどの錬金術はないであろう。


最後は奈良墨(以下、墨)である。


これは東大寺が建立された事や、写経が広がった事により需要が急増した。


この当時に墨を量産できるほどの原料を持っていたのは興福寺のみであった。そこで興福寺が一肌脱ぐことになる。波に乗ったといえばそれまでとなるが、これはライバルへ力を貸すことになる。量産メーカーになるか否かは意思決定者の自由である。ところが興福寺は墨の量産を事業化する。


ここはさすが知恵の老賢者である興福寺。ライバルに手を貸し、自分達も成長していく手段を選ぶのである。


これらをアンソフの戦略論に適応させると、集成的多角化となる。つまり、表面的には仏教とは何の脈絡もない戦略となる。この時点で興福寺は非常に科学的な意思決定を行っていると立証できる。しかし、それでは面白くないので、もう少し話を引っ張る。


芸能、酒造、製墨は仏教とは何の関係もなさそうに見える。いわんや、これら3つの事業同士においても繋がりを見つけるのは至難であろう。


しかし、1,300年前ともなると話は別である。芸能(楽)、酒造、製墨の全ては化学でつながる。よって、この老賢者元型が効果を発した意思決定は、実は一貫性がある。これを基準とすると水平的多角化となる。その根底にあるのは仏教であり、唯識なるものである。この立場では、興福寺における事業戦略を集成的多角化と下すのは誤りとなる。


いずれにせよ、1,300前の奈良時代において、既に合理的意思決定がなされていた事になる。しかし、これが完全に合理的かといえば、相手が裏切ればそれで終わってしまうリスクもある。その予測不可能なリスクにも対応した意思決定が可能であった事が、成功の明暗を分けるのである。


中でも興福寺はこのような意思決定に卓越していたとなる。


今回はここで筆を置く。次稿に期待されたい。