これは実話に基づいて1978年に発表された小説で、サラリーマン社会を書いてきた人気作家高杉良の代表作の一つといわれています。
出版社によると今年3度目の文庫化がされて、累計部数は50万部越えらしい。
僕は90年代に入ってからこの小説を知ったのだけれども、人には「こういう小説があるんですよ」などといいながら結局読まず、今回初めて読みました。(僕の知ったかぶりにだまされた人たち、ごめんなさい)
主人公は財閥系の会社に東大出て就職した40過ぎの課長。
次の世代の技術系エリートなどと社内から見られながら、当時の副社長と常務の不正を知って直言居士で振る舞ったあげくに嫌われて懲戒解雇されそうになり、裁判所に地位保全の申し立てをして会社と対決したサラリーマンの話です。
現代のサラリーマンに読ませようとする文庫の帯がすごい。
「俺は絶対にゆるさない!!」理不尽に敢然と立ち向かう姿に心が震えました
カッコいい大人になりたかったあなたへ
一気読み必至、勇気溢れる物語です。
40年経っても日本の会社は多くのサラリーマンを虐げる存在のままということでしょうか。
文庫のあと書きで作者は小説のベースとなった実話を紹介していて、舞台は現在の三菱マテリアル (当時は合併前の一つの会社の三菱油化)。
そして登場人物でも、最後に会社を訴えた主人公と彼を支えつづけた人事課長の親友の二人は実名が出ている。
作者は、会社を去ったあとの主人公の生き方を「人生いたるところに青山あり」を実践していると称えています。
主人公は会社を去ってからの活躍に目を光らせるものがあり、当時組織に頼らずに一人で海外で大きな仕事をしていたので、作者に小説を書かせる気にさせたのではないかなと、僕は読後感として思いました。
実際に主人公の所沢仁氏は、三菱油化のあと、エネルギー系の公的研究所の研究者を経て、その時に得たインドネシア政府の技術系官僚とのネットワークから、日本インドネシア科学技術フォーラム (JIF) をつくり、数千人のインドネシア人理系学生の日本留学を支援しました。
所沢氏はその仕事をマレーシアやタイなど隣国にも広げて、アジアSEEDという略称の公益法人の理事長としてキャリアを閉じています。
所沢氏はその多大な貢献のためにインドネシア政府から勲章をもらっている。
これは僕の私見ですが、ユスフ・ハビビ氏 (インドネシア共和国第三代大統領, 1998-1999) という人生の盟友を得てJIFの活動をしていた頃 (1984-1998) が、所沢氏の人生の絶頂期だったのではないでしょうか。
それなら三菱油化時代に画期的な新製品を開発して社長賞をもらったのは、彼の人生の序章に過ぎなかった。
JIF時代の所沢氏はインドネシア人留学生を世話するだけでなく、ハビビ氏の科学立国による国づくりビジョンを支えるために西奔東走していました。
ハビビ氏が重点産業として、航空、造船、原子力などを推し進めていたので、所沢氏はその分野の日本の第一人者をインドネシアに連れてきて、現場を見て問題点を把握してもらい、当時科学技術応用庁の大臣だったハビビ氏にアドバイスするようにしてた。
またハビビ氏は重点産業の拠点としてシンガポールの対岸のバタム島を開発し、地下鉄や長大橋などの大規模インフラ整備も陣頭指揮していたので、そこにも所沢氏は日本人技術者、ゼネコン、商社に関与させてプロジェクトを支えていた。
僕が所沢氏の知己を得て、JIFで断続的に仕事を始めたのは1991年。
関わったのは当然ながらハビビ案件。
所沢氏は当時ハビビ氏の大臣室にはフリーパスだったので、プロジェクトの進み具合を報告するために所沢氏に連れられて僕も大臣室に行ったことありました。
だからか、スハルト政権内で多くの仕事を任されているハビビ大臣に一番近い日本人であった所沢氏とはどんな人かと、当時はいろいろな日本人から僕も聞かれました。
それで「本人が主人公になっている小説『懲戒解雇』を読んだらわかりますよ。」と言ってたわけです。
僕は三菱油化時代の所沢氏を知らないし、小説はフィクションが原則なので、どの部分が実話なのかは詳しくはわかりません。
そして僕がはじめてお会いした頃の所沢氏から小説の主人公は十五才ほど若いわけです。
しかし読後に感じたのは、僕が仕事で知っている所沢氏と小説の主人公は性格としての負けん気やバイタリティは同じだなということ。
この小説の成功の理由の一つは、実在モデルの個性をよく再現できたことでしょう。
僕はここで小説の読者にサイドストーリーを一つ紹介します。
当時、所沢氏が食事の席でしてくれた面白い話の中で印象に残っていることなのですが、彼は実はずっと三菱油化の社員で何をしていても出向中という身分でした。
「エリート社員の反乱」の後も三菱油化は毎月課長相当の給料を振り込んでいた。
僕は通帳の中身を確認してるわけではないけれども、身内の飲み会の席で本人が通帳振りかざして自慢げに話していたから、間違いないでしょう。
その意味では、所沢氏が「敢然と立ち向かった」のは会社の一部重役であり、会社そのものではなかった。
ところで所沢氏は4年ほど前にこの世を去りました。
2000年代半ばからは自らつくった組織の理事長を辞して静かにされていたそうです。
何でいまごろ長く知ったかぶりをしていたこの小説を読む気になったのかを自問すると、僕は職業キャリアの終わりを最近意識することがあるので、はじまりでお世話になった人を思い出したくなったからという答えが適切なようです。
実際所沢氏は、僕の職業キャリアを海外に広げるときにお世話になった人でした。