2018/05/21 | 松谷内科のブログ

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医療法人たんぽぽ 松谷内科の院長ブログ

日本がいつまでたってもダメだと思うこと。
それは自分で決められないこと。
どう言うところでそれを感じるのかといえば、例えばカンヌ、例えばノーベル賞。それらの外国のアワードを自国の表現者や探究者が受賞した時の報道のはしゃぎ様に何か情けない気持ちになるのは僕だけでしょうか。
その報道姿勢に全く今まで彼らに光を当ててこなかった自分たち自身への自己批判がないのはなぜなのか。賞を得ることがまるで神のご選択であるかのようにその権威にひれ伏し、その中身についてはブラックボックスのように触れようとしない。どこがどう彼らが偉大なのかと言う分析すらもしようともしない。
世界的な賞を形成するためにいかに大きなフェアな心が必要なのだろうか。長年日本賞というのが行われているようだけどそこらあたりの危機意識はやはりあるから始まったことなのではないかと思います。悪い取り組みではないと思います。頑張ってください。物事の本当の難しさはやってみて初めてわかると思います。
例えば大相撲ですよ。
世界中から才能が集まればその中で横綱になれる日本人が珍しくなるのは当たり前なんだと思います。ただしモンゴル互助会のようなものができるのも困る。「横綱の品格」をどうやって狭小な日本人にしかわからないものに陥らないできちんと説明できるものにできるのか。品格のメルクマールですよね。当然相撲界全体が暗い暴力やパワハラに侵されたものであってもいけません。もう昔の大相撲ではなく世界中に人材を求めるのであればよーく考える必要があります。
大相撲ニューヨーク場所とかパリ場所とか言う未来を見据える事も当然でしょう。
そうではなくて、各国に日本と同じように大相撲が立ち上がる可能性もあるのですよ。そうなれば各国の大相撲ごとに横綱がその国の選手権者として成立することになります。大相撲ワールドカップをしなければならない事態になりますよね。その時日本の横綱は世界横綱になることができるでしょうか。
日本人横綱がいないと言って残念がる日本人にそういった大きなヴィジョンは微塵もありません。
ノーベル賞、カンヌ。長年にわたってそのようなものを主催していくためにはそのような大きな心が必要なんだと思う。
本当に「普通の国」になりたいんですよね。ならばそこらへから哲学しましょうよ。