MOEという絵本の雑誌があって、
隅から隅までじ~~~っと観たいし、たぶん自分の中のかなり深いところには「絵本作家になりたい」という思いもあるのですが
「絵本作家なんて、儲からないよ」
という自分の声がはっきりと聴こえ、じ~~~っと観ることに抵抗があるし、絵本作家を馬鹿にする自分がいます。
自分の中に、いつ、どうして、そんな価値観が生れたのか不明なのですが、この
「そんなことしても儲からないよ」
という観念は、相当強く自分をコントロールしているということに、最近気づきました。
「儲かる」は「善」で、「儲からない」は「悪」であるという、
明確な基準が自分の中にあるようです。
この「儲かる」は決して大きなビジネスという意味ではなく
「食うに困らない」「したいこと・欲しいものを我慢しないでいい自由を持っている」という意味です。
つまり、自分にとって最も大事なことは
「ちゃんと食べていくこと」と
「したいこと・欲しいものを我慢しないでいい自由をいつも持っている」ということで
それを犯す可能性があることは、すべて「悪」なのでしょう。
バシャールさんの「豊かさ」とは、「したいこと・欲しいものを我慢しないでいい自由をいつも持っている」ということであり、それは「お金持ちである」ということとイコールではない、という言葉は、
とても納得しているのですが、
でも、長年自分の中で守ってきた「豊かさ」=「自由」=「お金」という観念は、かなり根深いようです。
同じく、「感動」とか「感謝」とかっていうのを、臆面もなく言う人たちを
条件反射的に「ケッ」と思ってしまうのも、
自分の中に、「それって、物質文明と勝負しないで逃げてるだけじゃないの?」という
勝手な解釈があるからでしょう。
つまり、極端なリアリストの自分がいるようです。
でも、たぶんもうひとりの自分は、絵本にじ~~~っと見入るような自分なわけで、
だから、今度は「売上至上主義」の人たちの中に入ると、それはそれで
アウェイな感じがして、居心地が悪いわけです。
そういう人の中にいると
自分が、
「儲からない人を馬鹿にする自分に、馬鹿にされている絵本作家」
になったような気がして、すごく自信が持てなくなるのです。
だから、どーすりゃいいの?っていうのは、いまはわからないのだけど
この2つの人格がいつもいつもいつもいつも、自分の中で石を投げ合っているのです。
隅から隅までじ~~~っと観たいし、たぶん自分の中のかなり深いところには「絵本作家になりたい」という思いもあるのですが
「絵本作家なんて、儲からないよ」
という自分の声がはっきりと聴こえ、じ~~~っと観ることに抵抗があるし、絵本作家を馬鹿にする自分がいます。
自分の中に、いつ、どうして、そんな価値観が生れたのか不明なのですが、この
「そんなことしても儲からないよ」
という観念は、相当強く自分をコントロールしているということに、最近気づきました。
「儲かる」は「善」で、「儲からない」は「悪」であるという、
明確な基準が自分の中にあるようです。
この「儲かる」は決して大きなビジネスという意味ではなく
「食うに困らない」「したいこと・欲しいものを我慢しないでいい自由を持っている」という意味です。
つまり、自分にとって最も大事なことは
「ちゃんと食べていくこと」と
「したいこと・欲しいものを我慢しないでいい自由をいつも持っている」ということで
それを犯す可能性があることは、すべて「悪」なのでしょう。
バシャールさんの「豊かさ」とは、「したいこと・欲しいものを我慢しないでいい自由をいつも持っている」ということであり、それは「お金持ちである」ということとイコールではない、という言葉は、
とても納得しているのですが、
でも、長年自分の中で守ってきた「豊かさ」=「自由」=「お金」という観念は、かなり根深いようです。
同じく、「感動」とか「感謝」とかっていうのを、臆面もなく言う人たちを
条件反射的に「ケッ」と思ってしまうのも、
自分の中に、「それって、物質文明と勝負しないで逃げてるだけじゃないの?」という
勝手な解釈があるからでしょう。
つまり、極端なリアリストの自分がいるようです。
でも、たぶんもうひとりの自分は、絵本にじ~~~っと見入るような自分なわけで、
だから、今度は「売上至上主義」の人たちの中に入ると、それはそれで
アウェイな感じがして、居心地が悪いわけです。
そういう人の中にいると
自分が、
「儲からない人を馬鹿にする自分に、馬鹿にされている絵本作家」
になったような気がして、すごく自信が持てなくなるのです。
だから、どーすりゃいいの?っていうのは、いまはわからないのだけど
この2つの人格がいつもいつもいつもいつも、自分の中で石を投げ合っているのです。