MOEという絵本の雑誌があって、
隅から隅までじ~~~っと観たいし、たぶん自分の中のかなり深いところには「絵本作家になりたい」という思いもあるのですが

「絵本作家なんて、儲からないよ」

という自分の声がはっきりと聴こえ、じ~~~っと観ることに抵抗があるし、絵本作家を馬鹿にする自分がいます。

自分の中に、いつ、どうして、そんな価値観が生れたのか不明なのですが、この

「そんなことしても儲からないよ」

という観念は、相当強く自分をコントロールしているということに、最近気づきました。

「儲かる」は「善」で、「儲からない」は「悪」であるという、
明確な基準が自分の中にあるようです。

この「儲かる」は決して大きなビジネスという意味ではなく
「食うに困らない」「したいこと・欲しいものを我慢しないでいい自由を持っている」という意味です。

つまり、自分にとって最も大事なことは

「ちゃんと食べていくこと」と
「したいこと・欲しいものを我慢しないでいい自由をいつも持っている」ということで

それを犯す可能性があることは、すべて「悪」なのでしょう。

バシャールさんの「豊かさ」とは、「したいこと・欲しいものを我慢しないでいい自由をいつも持っている」ということであり、それは「お金持ちである」ということとイコールではない、という言葉は、
とても納得しているのですが、
でも、長年自分の中で守ってきた「豊かさ」=「自由」=「お金」という観念は、かなり根深いようです。

同じく、「感動」とか「感謝」とかっていうのを、臆面もなく言う人たちを
条件反射的に「ケッ」と思ってしまうのも、
自分の中に、「それって、物質文明と勝負しないで逃げてるだけじゃないの?」という
勝手な解釈があるからでしょう。

つまり、極端なリアリストの自分がいるようです。

でも、たぶんもうひとりの自分は、絵本にじ~~~っと見入るような自分なわけで、
だから、今度は「売上至上主義」の人たちの中に入ると、それはそれで
アウェイな感じがして、居心地が悪いわけです。

そういう人の中にいると
自分が、

「儲からない人を馬鹿にする自分に、馬鹿にされている絵本作家」

になったような気がして、すごく自信が持てなくなるのです。

だから、どーすりゃいいの?っていうのは、いまはわからないのだけど
この2つの人格がいつもいつもいつもいつも、自分の中で石を投げ合っているのです。



このところ、立て続けに「武田双雲さん」の名前を目にしました。

武田双雲さんは、いまメディアからもアーティストからもひっぱりだこの書道家ですが、
10年くらい前(もっと前かな?)には、ネットショップの店長さんでした。

そのときも「書」を販売されてはいたのですが、
あるとき、筆1本で生きると宣言されて、ネットショップをやめてしまわれました。

そのときほぼ無名だった武田双雲さんのことをなぜ覚えているかというと
1つには、そのころから有名で、いまも有名な久米さんが武田双雲さんとのコラボTシャツを作っていらっしゃったから、ということと

双雲さんが、同じ熊本出身だったこと

そして、「あ~あ、筆一本で生きるなんて、そんなの無理無理・・・」と思ったからです。

全然、無理じゃなかったですけどね。

筆1本で生きること、それを双雲さんの魂が求めていたのでしょう。
だから、成功をしないわけはないのに、私はそれを信じられなかった。

でも双雲さんはじめ、ある程度のところまで行って、道をかえた人に妙に心をひかれるのは、
やはり私の魂も、それを求めているからかもしれません。

たとえば、片岡鶴太郎さんとか、野沢直子ちゃんとか、ジミー大西さんとか、高樹 沙耶さん改め益戸育江さんとか、

要はみんな、世間の評価やキャリアよりも「魂と一致すること」を選んだということですよね。

私もそんな勇気が欲しいな・・・と思ったけど、本当に魂と一致することを選ぶときには、リスクっていう観念がなくなるわけだから、勇気も必要なくなるんでしょうね(^^)

それは、意外にもうすぐかもしれないですね(^^)
訳あってここ2年ほど、ごくごく限られた人と、ごくごく限られた場所でしか会っていなかったのですが

そうすると、心がどんどん頑なになっていくんですよね
近所の嫌われ者の頑固じじいみたいに。

そして、自分がコミュニケーションをとっていない人に関心がなくなる・・・どころか、
「ケッ」みたいな感情を抱くようになっていました。

でも、きょう久しぶりに会った方と話していたら、
こんなにもあたたかく、まっすぐな方だったんだな~と思って。

どうして、この人たちと会わなくなって、心を閉ざして、背を向けてしまったんだろうって、
なんだか不思議な気持ちでした。

現実って何なんでしょうね。

全部自分の色眼鏡を通してしか見れなくなっているみたい。
もう一度、素直にありのままを観る目を取り戻したいなと思いました。
BASHAR(バシャール) 2006 バシャールが語る魂のブループリントのワークより

どんな例外かというと、「みんながここを通らないと次には行けないと信じ込んでいる道」を通らないという例外です。

これも、感覚としては、とても「わかる」です。

むかーし、「いつまでもそれが続くと思うなよ」と言われたことがあります。

アリがキリギリスに言ってるみたいな感じで(笑)

その言葉を言った人は、もっと努力とか忍耐とか苦労とかが人生にはつきものだという観念を持っているのです。

そして99%の人(感覚的に)がそうなので、「あなたを見ていると腹が立つ」と言われたこともあります。
「底が浅い」と言われたこともあります。

こうしてみると、みんなみんな「観念」ですね。
「観念」に囚われている人が、「観念」に囚われている私を見ると腹が立つのでしょう。

そんなことは気にしなければよかったのに、私も99%のほうに行きたくなっちゃった。
そして、「観念」にがんじがらめになってしまいました。

もっと「観念」から自由になろう。
1%の「例外」の方に戻ろう。

99%の人が右の険しく厳しい道を歩いて切り立った高い山に登ることが「正」であり「善」であると言っても、
私は左の小川のせせらぎと草花と木陰のある穏やかな道を選ぶ人であろう。

BASHAR(バシャール) 2006 バシャールが語る魂のブループリントのワークより

「豊かさ」ってなんだと思いますか?

バシャールさんは、とても明確に定義しています。

「する必要のあることを、する必要のあるときにできること、能力」

そして、その豊かさはお金の形をしているとは限らない、と。

つまり私はいま

「トイレの便器を直したいけど、お金がないからできない~」とか
「もっと広くて住み心地のいい家に引っ越したいけど、お金がないからできない~」とか
「もっと自分のバストにちゃんとフィットしたブラジャーが欲しいけど、お金がないから買えない~」とか(笑)

いろいろストレスがあるわけですが

そして、そのストレスを解消するには、もっともっともっと「お金」が必要だと、いつもいつも思っているわけですが

本当は、「お金」という道を通ることは必須ではないということです。

もし、そのことを本当に信じられたら、お金を経由するかどうかはわからないけれど、とにかく自分はする必要のあることを、する必要のあるときにできるのだと「知って」いれば、できるのだそうです。

感覚としては、「わかる」です。

「観念」は、「わからない」と言っています。
私の「観念」は、かなり「お金」に縛られていると思います。
「お金」じゃない形で、欲しいものを手に入れたことは、いままでに何度も何度も何度も何度もあったのに、やっぱり「お金がないと」っていっつも思っているのです。

不思議です。

"感覚としては、「わかる」”のほうにもうちょっとフォーカスするところから始めてみます。

自分が最高にワクワクすることが実現するまでに、どのくらいの時間がかかると思いますか?というワークの話の続きです。

バシャールさんは、その「ワクワク」を未来に差し出すのではなく、「いま」感じなさい、と言います。

「あたかも夢がかなったかのようにふるまえ」ってよく言いますよね。

でも、それって「外側」のことかと思っていました。

たとえば、世界一周がしたいんだったら、世界一周できるくらいのお金持ちのような格好をしたり立ち振る舞いをするとか、そういうことかなと思ってたんです。

で、それはいつも挫折するんです。

きっと「外側」が一致することには、全然ワクワクしないからでしょう。

いろいろな格好をしてみたり、いろいろなキャラを試してみましたが、私はやっぱりTシャツにジーンズで「素」であることがいちばん自分の「内側」とぴったりくるのです。

じゃあ、バシャールさんが言っていたのはどういうことかというと、「そのワクワクをいま感じなさい」ということなんですね。

たとえば、私だったら、感性のアンテナを全開にして、感じたことをどんどんアウトプットしていくこと、です。

その循環が起こると、とても気持ちイイのです。

でも、ここ数年は事情があって、両側にコンクリートの蓋を乗せてるような感じでして。

何も感じないようにしていたし、それを言葉にすることもやめてしまっていました。

それは、音の鳴らない楽器になっちゃってたということですよね。

そして、その音をたくさんの人に聴いてもらおうとすることも拒絶していました。

たとえば、このブログでいうと「コメント拒否」「トラックバック拒否」にしていました。(全部外しました)

このブログの存在を、誰にも知らせていません。こちらはまだ知らせる勇気が持てないのですが、まずは、インプットとアウトプットのコンクリートの蓋をはずして、感性が自分の中を通って、言葉になって出て行く気持ちよさを、毎日感じるところから始めたいと思います。



BASHAR(バシャール) 2006 バシャールが語る魂のブループリントのワークより

自分が最高にワクワクすることが実現するまでに、どのくらいの時間がかかると思いますか?というワークがあります。

私が、いま実現したいことは

1:ハリーポッターのようなワクワクした物語を書いて、その物語が全世界のこどもたちを眠れないくらいワクワクさせること

2:その物語が、ハリーポッターのようなワクワクする映画になって、自分が書いた物語が素晴らしい映画として立ち上がるのを観ること

3:自分が書いた物語とそれを原作にした映画が世界中で大ヒットして、そこで得た印税で、こどもたちを連れて豪華客船世界一周の旅に出ること

です

じゃあ、その実現に「どのくらいの時間がかかると思いますか?」と聞かれると

「う~ん、どのくらいの時間がかかってもダメかも・・・」と弱気になります。

「なぜ、そう感じるのか?」という問いに対しては、「実現するためには、様々なハードルがあるから」と答えるしかありません。

どんなハードルがある(と思うか)というと

1:そもそも私にそんな物語が本当に書けるのか?

2:書いたとしても、その本は本当に出版されるのか?

あたりで、もうかなりひっかかると思うからです。

バシャールさんはさらに聞きます。

「その夢のどのへんがワクワクするのか?」

前半と後半ではちょっと違っていて、おそらく本当にワクワクは

「自分が成し遂げたことによって、お金をたくさん得て、なんの心配もなく、旅をすることができる(時間的にも、お金的にも)」

ということが1つと

「こどもたちとの約束を果たすことができた」

ということが1つ。それから

「世界中を旅することでいろいろなことを感じたい」

ということが1つ。そして最後に

「世界中を旅して感じたことを、どんどん文章として発信していきたい。そしてそれをたくさんの人に読んでもらって楽しいでほしい」

ということがあります。

この中で本当のワクワクは、最後の部分で、これがまさしく「楽器」なんだろうと思います。

バシャールさんは言います。

「そのワクワクを手に入れるために、こういうステップを経なければならないというのは、人が通ってきた道であって、あなたには関係ない。あなたはもっと簡単にそんなステップ(たとえば物語を描き上げること?)を経なくても、それを手に入れることができる。あなたはそれを信じますか?」

「あなたはそれを手に入れるために、お金が必要だと思っているけれど、必ずしもお金が必要とは限らない。お金ではない方法で夢を手に入れることができるかもしれないということを、あなたは信じますか?」

・・・「信じません」と言いたいところですが、私の直感は「信じます」でした。

なぜかというと、たしかに私は「お金」ではない方法で欲しいものを手に入れたことが何度もあるのです。

欲しいもの・・・というとちょっと違いますが、そんなことは夢にも思っていなかったけど、あとになって考えると手に入ってとてもよかったと思うもの、といったほうがいいかもしれません。

1回目は、就職したときに起こりました。

就職したのに、仕事をしなくていいと言われたのです。

仕事をしないで、お給料もボーナスもいただきながら、1年半もコンピューターの昼間の学校に通わせていただきました。とてもとても楽しかったし、幸せだったし、たしかにそこにはお金も必要じゃなかったし、そういう状態になるために努力も必要ではありませんでした。ただ、たままた受けた会社で、たまたま適性検査の結果がよくて、たまたま社長さんが人材育成にコストをかけようと思っていただけでした。

2回目は、ウェブ制作の勉強をしたときです。

1996年元旦の年賀状に「ことしはインターネットに挑戦です!」と書いたその1行で、昔お世話になった方から電話がかかってきて、ウェブ制作の学校に行かせていただけることになりました。このときもお金も必要じゃなかったし、そういう状態になるために努力も必要ではありませんでした。

こうやって思い出すと他にもいっぱいありますね。

初めての本を出したとき
初めての大きなセミナーを開催したときなどなど

お金も経験も実績も努力も何もなかったのに実現したことって実はたくさんある。

夢の実現も、きっとそういうものだから、本当は頭のずっと奥に置いて、そんな夢があることすら忘れてしまうくらいがちょうどいいのかもしれません。






よく言われることだし
自分自身でも感じていることなのですが

私はとても強い力で守られているようです

そして、この間のチャネラーの友人が言うには、その人(守ってくださっている人)は私のことを大好きでいてくださるそうです♪
ありがとうございます(^^)


なので、その人は、私が毎晩寝るときに「ああ、きょうも楽しかった」って言ったら
とっても喜んでくださるそうです

そこで、毎晩寝るときに「ああ、きょうも楽しかった」って言うことにしようかなと思ったのですが

たぶんそういうことじゃなくて

「ああ、きょうも楽しかった」って思えるような毎日を過ごすこと、それが大事なんですよね。うん。

「未来は、えらべる」は、一回さら~っと読んだだけなのに、妙にいろんなフレーズが残っている不思議な本。

読んだ翌々日くらいに、例のチャネラーの子とあって、その子がチャネリングしてるときの言葉ともかなりかぶってるので、ちょっとどのフレーズをどっちが言ったんだったかなっていう混乱もあります。

本田健さんといえば、私にとって最も強烈だったフレーズは「自動販売機でジュースを買うように、夢を手に入れろ」なのですが

これ一回だけしか成功したことがないんですよね。

あのとき、なんであんなに何も考えないでできたのか、そのほうが不思議なくらい。

でも、何も考えないでやれちゃうくらいノーリスク、ローリスクだと信じられるからこそ
「自動販売機でジュースを買うように」手を伸ばせるわけで

そこに何かしらのリスクを感じていて、勇気を振り絞らなければ手が伸ばせないようであれば、
それはまだ時期尚早だから、むりして手を伸ばす必要はないんだよと、
バシャールさんは言ってましたね。

それはよくわかる。

たとえば、私がもっとワクワク生きるために会社をたたもうと思ったとしても、
それによるリスクに立ち向かう「覚悟」とかしちゃってたりしたら
きっとうまくいかないんでしょうね

心の底から、強がりとか、アファーメーションとかでなく、ほんとに何も考えてないくらいの感じで
ぽっと「次」に移れて、そしてその「次」の瞬間瞬間を、未来のことなんかな~~~んにも考えずに楽しめたら
きっと全部うまくいくんでしょうね。

その感覚は既に経験済みなのに、再現性があまりにも低いところがトホホですが

でも一回もこの感覚を経験したことがないのと、一回だけでもあるのとでは
おそらく「未来に対する信頼度」が天と地ほどもちがうと思うので
一回でも経験して、それが何年も継続していることを、心から喜びたいと思います。

バシャールさんのワークの中に

自分を3人の自分が三角形に取り囲んでいるイメージを浮かべるというものがありました

3人の自分とは「観念」「感情」「肉体」です

この3人がどんどん自分に近づいてくるところをイメージしなきゃいけないんだけど
私はこの「観念」が近づいてくるのが怖くて、近づいてくるとどんどん委縮していくのがわかるわけです

「感情」と「肉体」はとっても仲良し、元気でにこにこ、なのに
「観念」が・・・自分の一部なのに自分と対立している

この「怖れ」が自分をコントロールしているということは昨日も書いたけど
昨日の段階では「怖れ」をどう手放せばいいのか、「怖れ」とどう対峙すればいいのか
全然わかりませんでした

そのことを考えると頭が痛くなるくらいに。

「怖れ」を克服するには、

「怖れ」と、正面から向き合わなくちゃいけない
「怖れ」を受け止めなくちゃいけない 
「怖れ」から逃げないで、怒られても負けないように
怒りようのないくらい立派な自分にならなきゃいけない

と思っていました。

でも、いまふっと思ったのだけど
「怖れ」を手放すのではなく
「怖れ」じゃないもの・・・つまり「ワクワク」に集中していったら
いつの間にか、「怖れ」ってなくなっちゃうんじゃないかな?

「見ちゃいけない見ちゃいけない」って思うと余計見たくなるけど
他のものを夢中で見てたら、いつのまにか見るのを忘れてました、みたいな感じ?

いつもそういう「ふっ」とした肩の力の抜け方ができるわけじゃないと思うけど
いま、なんかつかめてる感じです。