こんにゃちは

フキゲンをごきげんに変える、パワフルな女性を増やすコーチ、Mica (ミカ)です。

 

 

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さて、前回から引き続き

カサッカサ、かつ、ゲリラ武装で固めた上に

さらには不幸顔で、さらに生意気な小娘であった、

ミカ@ちょっとかわいそうな少女時代の話です。

 

 

 

渋い。こうして書いてみると、あまりに渋い青春時代ですね。

 

 

 

「自己責任」ですとか

「女は損」ですとか

そういう武装女子にもってこいなボキャブラリーをまといつつ

ダメんずに引っかかり、二股をかけられて

もう満身創痍もいいところでしたが…。

↑あ、笑ってください。笑うところです。

 

 

 

 

「なんでも自分で出来なきゃダメなのだ。じゃないと、男たちに馬鹿にされるから」

と、泣きそうになって強がっていた、当時のカサカサ武装な私の元に

「ゴキブリ退治なんてできなくてもいいんだよ、君は女の子なんだから」

と言ってくれた男子が、颯爽と現れました。

 

 

 

 

まさに当時、両親が二人で旅行中に、兄と大喧嘩をした挙句

ゴキブリが自分の部屋に出て、泣きながら殺虫スプレーをかけまくり

処理できないから、山ほどのトイレットペーパーを

スプレーでベッタベタになった死体の上に載せまくって

友人の家へ家出した、ということがありました。←どんだけ

 

 

 

 

「なんで私が、ゴキブリ退治なんてしなくちゃいけないの??」

という私の悲鳴は、彼が掬い取ってくれたようなものです。

ゴキブリ退治は、私にとって、ある種類の象徴のようなものでした。

 

 

 

 

「ゴキブリを退治してくれる人としか、結婚しない」と豪語するようになったのは、その頃からですね。

 

 

「それは甘えだ」と、男尊女卑な我が実家メンバーは、口をそろえて言ったか言わなかったか…。

現実に言ったかどうかは、問題ではありません。

 

 

「そのくらい、人間として出来ないとダメだ」と

私は育てられたと解釈していました。

だから私は、ゴキブリを退治したくない自分を、「ダメ人間」と断罪しました。

 

 

 

 

ちなみにその男子は、当時

名門都立高校に、有名私大、さらにはテニスサークルという

笑えるほどのエリートコースをまい進している人で

キレッキレの頭脳と、泉のように湧き出る語彙力をもって

私に向かって、フェミニズムに対して疑問を呈しました。

 

 

 

女の人は、弱くていいのではないか。

そんなに、頑張る必要はないのではないか。

生物学的に、身体が違うのだから、無理はする必要ないのではないか。

 

 

 

 

そしてデートの時は、恋人繋ぎで手を繋ぎ

スイートな言葉を繰りだされ

私はふにゃふにゃになりました。

 

 

 

 

こんな風に女子扱いされたことのなかった私は

「そうかな、女の子のまんまで、いいのかな」と夢見心地でしたが

まあ、今なら分かります。

こういう輩が、結婚したら、しれっと「俺は何も家のことは出来ないよ」とかって、

うそぶく可能性があるのです。(実際にその片鱗は、見え隠れしていました)

 

 

 

そんな彼の独自のアンチ・フェミニズムは

当時のミカを、最初は骨抜きにしたものの

だんだんと違和感が大きくなり、お別れするに至りました。

 

 

 

「女の子は、ゴキブリなんて退治しなくていいんだよ」

ではなくて

「ゴキブリが得意な人が、退治すればよい」ですよね。

 

 

 

苦手な人は、お願いするなり、どうしても退治できなかったら、

共存するなり、家出するなり、選べばいいのです。

 

 

 

 

とはいえ、「女の子は弱くていい」という主張を持っていた彼と言う存在は

私の中の、やさぐれカサッカサ武装ゲリラ女子の部分に

温かな光と、美味しい水を供給してくれたのです。

その点は、今でも感謝しています。

女の子の部分を、育て直して頂きました。

 

 

 

 

そうして、多少なりとも、「可愛げ」を芽吹かせたときに出会ったのが

今の夫というオチです。

 

 

 

夫はもちろん、私の代わりにゴキブリを退治してくれます。

それは私が女だからではなく、彼が男だからでもなく、

私がゴキブリを退治したくなくて、彼はアッサリと退治できるから。

 

 

 

私が子どもを産むのは、私が子どもを産めるから。

彼は子どもを産めないから。

ただそれだけの理由です。

 

 

 

 

そして私に、ステレオタイプな「女性像」を全く押し付けません。

「フェミニズム」を掲げなくとも、人間皆平等な人です。

 

 

 

 

そんな夫と構築している、平等な関係性のなかで、

私は自由に人間として、女性として、

人生を楽しんでいます。

 

 

 

 

それが出来るのも、

男尊女卑の中でひねくれた、カサカサ少女が

一度「女の子」として甘やかされたあの頃があるからだよなーと

なんとなく懐かしく思い出して書いてみましたとさ。

 

 

 

皆さんのおかげで、生かされております、ハイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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