昨日の仕事帰りに、夫がひょこっと寄ってくれて

ハッピーアワーしました音譜
 
仕事帰りの待ち合わせは結構久しぶり。
ここのところ、サービスされてるのを感じる…得意げ
何故なら、六月はびっしり出張を入れていて
なんと全部の週末に不在なのです叫び
 
先に労ってもらってる感じかなDASH!
優しいひとなのです。
え、私が怖いだけ!?
 
とにかくまぁ、夫の気持ちをくんで…
私も頑張らないとっグッド!
 
 
そこで、話題に上った三女子のことです女の子
 
三女子は唯一、赤ちゃんの頃と顔が全く変わらない。
母にとっては、いつまでも小さい、二歳くらいの印象のままです。その頃からしっかりしてたしね。
 
で、
三女子、五歳。
ローカルの幼稚園では、K1クラス。
その上に、K2クラスがあります。
 
なので私はてっきり、年中さんだとおもいこんでいたのですね。
 
っが、違った…
来年度に、小学校入学でした!!!!叫び
 
 
がーーーーーんガーン
三女子、年長さんだったのか…
 
どおりで、しっかりしてると思った…
 
に、入学式の服探さなきゃ!!
右上矢印違うって爆弾
 
と、様々な思いが錯綜…
 
 
ローカルの幼稚園に通う三女子は
ローカルの小学校に入れることを検討しています。
今のところ、着々と英語の表現力を自分のものにしている様子。
チビずはせっかくシンガポールに幼少期からいるのだから、中国語と英語を身近に育つのもいいのではないかな、という考えです。
 
特に我が家はシンガポール生活が長くなりそうだし…これが、すぐ帰国なんてことだったら、話は変わってきますが。
 
 
こちらの学校は一月始まりなので、
三女子には二つの選択肢があります。
 
来年の一月から四月までK2として幼稚園で過ごし、四月から日本人学校に入学。再来年の一月からローカル小学校へ転入。
 
再来年の一月まで幼稚園で過ごし、卒園してからローカル小学校へ入学。
 
ぶーぶー
 
結論としては右矢印
 
三女子にはやはり、数ヶ月だけでも日本人学校へ行ってもらおうか…
三姉妹で揃って学校へ通うのはとても貴重な体験だし、親としては見ておきたい光景です。
長女子は来年六年生なので、三人が同じ学校へ通えるのは、来年が最初で最後。
 
 
というのは、今の段階で。
 
 
夫には伝えていないけど、私は
きちんと今の幼稚園を卒園して、ローカル小学校へ入学するのが自然ではないかなぁ、、と思っています。
 
正解はわかりませんっあせる
 
 
でも…
 
震災後から、ここまで。
三女子の生きる環境は、めちゃくちゃに振り回されてきました。
 
東京で自主保育グループを立ち上げ、そこで仲間と一緒に大きくなるための、色んな約束事や、母たちの思いを何度も話し合っていた、三月。
 
そんななかでの震災でした。
 
すぐに西へ避難し、そのグループからは退き
 
長野で保育園に通う事に。
 
 
落ち着きのある二歳だった三女子。あっという間に慣れていました。
 
 
八月、東京へ帰ることに。
理由は、滞在していた古民家で冬が越せるか自信がなかったことと
四番太の出産のため。
 
ちょうど年少の手前だった三女子。
自主保育グループには戻らず、保育園へ入園。
 
シンガポールでも、今の幼稚園に入る前に、もうひとつ別の幼稚園へ通っていました。
 
どこでも柔軟に溶け込むひとです。
三姉妹でいちばん女性らしさを感じます。親としてとても誇らしい。
 
私が勝手に気に病んでいるのは、入園式や卒園式を経験出来ないまま、来ていること。
節目節目に、祝福される経験。
幼いから、覚えていないだろうから、と
おざなりにしてもいいのかな…はてなマーク
 
と、思う反面。
 
晴れの姿を見たいという、ただの親のエゴかなぁはてなマーク
 
と、葛藤は続きます叫び
 
 
姉ズは、どっしりと地元に根付いた幼稚園で
そびえたつ樫の木に見守られて
幼馴染がたくさんのなかで
幼稚園でも、放課後も、お友達と遊びたかったら、すぐにお約束できる環境で
一貫した考えの教育方針のもと、大きくなりました。
少しの間ですが、シュタイナー教育にも触れることが出来て
最高の環境をプレゼント出来たと思っています。
 
日本語はほぼ問題なく、難しい本も読めるまでになっているので
ここから姉ズは少しずつ英語に慣れていくところです。
ちなみに、姉ズはアメリカ国籍を持っているので
アメリカの学校に通う選択肢は、確固として持ち続けています。
 
 
 
四人のこどもたち…
見事に二分された教育環境!!
 
 
でも、全ては自分の選んだもの。
 
 
ですねっグッド!
 
あれこれ考えてもしょうがない。
自然に任せて、出た結論が
彼らの選んだ道ということです。
 
親はサポートするのみ…
って、これがまた難しいのだけどガーン
 
mica