2011-05-01 13:06:44

第178回_二宮金次郎に学ぶ(大災害から立ち上がった男達⑨)

テーマ:農業

積小為大(せきしょういだい)小を積みて大と為す」



毎晩勉強していた二宮金次郎は、読書をするための油代を稼ぐために荒地に菜種を植え、このたった一握りの菜種が78升になったことや、捨て苗を荒地で丹精こめて育てることにより、秋には一俵の籾を収穫することができた。これらの体験から自然の恵みと人の力の素晴らしさを知ると共に、小さな努力の積み重ねが大切(積小為大)だと学び、これが金次郎の後の行いや考えの基になったとされる。





今から200年ほど前の1783年(天明3年)4月に浅間山の噴火がはじまった。そして7月の最後の大噴火が上野国(こうずけのくに)(今の群馬県)のある村を全滅させるほどの大災害をもたらした。さらに吹き上げられた火山灰が空をおおった。火山灰が太陽の光をさえぎったため、夏になっても気温が低く農作物の成長を妨げた。



このことが起因して凶作が全国に広がり何年間も続いた。そして数十万の人が飢え死にすることになった。これが江戸時代におきた「天明(てんめい)の大飢饉」である。



二宮金次郎が今の小田原市栢山(かやま)で農民の子として生まれたのは、こんな時代のさなか1787年(天明7年)であった。幸い金次郎の家は栢山村では豊かな地主であったが、金次郎が4歳の頃、小田原付近は恐ろしい台風に見舞われ酒匂川(さかわがわ)の堤防が破壊され水が一気に流れ田畑を覆いつくし滅茶苦茶にした。これを元の田畑に戻すのに何年いや、何十年かかるか分からない。この時から二宮家は貧乏のどん底にたたき落とされることになった。数年すると父が過労で倒れ、金次郎は父に代わって一生懸命に働くようになる。そして13歳の時父は病死で失い、15歳の時に母も病死で失う。残された兄弟3人 は一家離散して金次郎は伯父のところへ預けられた。ここでも金次郎は一生懸命働き見事に生家復興を果たし、これを皮切りに農村復興、財政再建の人生がスタートした。



最初に小田原藩の家老の服部家の破綻した財政を立て直し、次に荒れ果てていた桜町領(現栃木県)を復興し、桜町に隣接する青木村、谷田部と次々と復興をさせ69歳で亡くなるまでに600余村の農村や藩の貧困を救ったといわれる。 1842年(天保13年)、当時天保改革を進めていた老中・水野忠邦(みずのただくに)から小晋請(こぶしん)役格を命じられ幕臣にもなった。一農民が幕臣にまで出生したのは異例のことであり、二宮金次郎の名前は日本中に広まった。



金次郎は「報徳精神(ほうとくせいしん)」、「経済と道徳の一致」など数々の教訓を後世に残してくれたが、私は最も大きな功績は積小為大(せきしょういだい)、この言葉が本物であることを証明してくれたことではないかと思う。古今東西の世界の偉人をみても金次郎ほどこのことを実践し成功した偉人はいないであろう。




金次郎は小さい頃から学問に熱心であったことでも知られるが、小さな努力の積み重ねの中に「勉強心、創意工夫」このことが含まれてはじめて大きなことが出来るのだと思う。



またマリナーズのイチローがシーズン最多安打、3000本安打と大記録を達成した時のインタビューで決まって言う台詞が「小さいことを積み重ねることが、とんでもない所に辿りつくただ一つの道」である。




金次郎は後生に内村鑑三が著作「代表的日本人」で紹介し、それが英訳されることにより世界中に名が知られる偉人となった。世界記録も世界に名を成すのも小さい努力の積み重ねであり魔法の杖などないといえる。



このことはわずか数人の会社が大企業になるのも同じであると思う。





昭和20310日の東京大空襲で、東京浅草で営んでいた小さな用品店は灰燼(かいじん)と帰してしまった。兄と母が心血を注いでわが子を育てるように守ってきた店が一夜の戦火で跡形もなく消えてしまった。しかし明治から商人の道を歩んできた母にとって、店がなくなる経験は初めてではなかった。1904年(明治37年)の日露戦争の時、続いて1923年(大正12年)の関東大震災でも全てを失った。しかし母はその度に屈することなく不死鳥のようによみがえった。この時も当時53歳の母はいの一番に立ち上がって歩き始めた。昭和2012月、東京・北千住の中華ソバ屋「たぬき屋」の軒先からの再出発。お金もない、土地もない、信用もない、ないない尽くしのスタートである。しかし母は「お客様は来ないもの」「取引をしたくとも取引先は簡単には応じてくれないもの」「銀行は簡単には貸してくれないもの」、そのような、ないないづくしから商というものは出発するものと息子達に言い聞かせたという。この店が現代のイトーヨーカドーのスタートであった。



イトーヨーカドーの創業者の伊藤雅俊は当時を振り返り、このことを何よりも母から学んだという。

「全てが揃っていたり、揃う目処がついた時点から商売を始めた人はその感覚が乏しいのではないかと思う。全てがないことがあたりまえなんだ、あるようになることは本当に有難いことなんだという思いでスタートした人は、商売の形態、精神力、お客様との関係などを力強く推し進めていくことが出来ると思う」



東日本大震災で多くの人が生活基盤の全てを失った。復興には5年、10年かかるともいわれるが、結局は小さな努力を積み重ねていく以外にはないのではないかと思う。




以上


文責 田宮 卓





参考文献


内村鑑三 「代表的日本人」岩波文庫

童門冬二 「小説二宮金次郎」 人物文庫 学陽書房

船井幸雄 監修「歴史二学ぶ勝つためのセオリー」三笠書房

三戸岡道夫「二宮金次郎から学んだ情熱の経営」栄光出版社

世界の伝記「漫画学習 二宮金次郎」集英社

伊藤雅俊 「商いの道」PHP研究所






















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2011-04-24 08:19:29

第177回_二宮金次郎に学ぶ(大災害から立ち上がった男達⑧)

テーマ:農業

東日本大震災が起きてからはや一ヶ月が過ぎた。テレビなどの映像で見渡す限りの瓦礫の山を見ると、いったいいつ元通りになるのかと気が遠くなりそうになるが、この惨状を見る度に思い出すとてつもない偉人がいる。それは二宮金次郎(にのみやきんじろう)である。二宮金次郎と聞くと薪を背負いながら読書をしている銅像を思い浮かべる人が多いと思うが、意外と何をした人か知っている人は少ないかもしれない。



金次郎が生まれたのは1787(天明7年)で現代の神奈川県の小田原で農民の長男として生まれた。亡くなるのが1856年(安政3年)になるのでちょうど米国のペリーが黒舟で浦賀に来航する頃まで生きたことになる。ではその間何をしたかといえば農村の復興である。多くの農村や藩の貧困を救ったがその数が600余村に及ぶというから驚きである。金次郎は農民一揆を起こすことはなく、藩や幕府に楯つくことも頼ることもなく次々と自力で農村の復興を手掛けていった。金次郎が行ったのは報徳思想(ほうとくしそう)という道徳思想を説くことであった。経済と道徳の融和を訴え私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されると、それを自ら実行し説いて回った。この二宮金次郎の生き方や、教えが今海外で注目されているという。それも中国で熱心に研究されているらしい。



私が二宮金次郎に興味を持ったのは3年ほど前であるが、まずその経緯から述べてみたい。小田原には二宮神社があり、そこで二宮金次郎の直系のご子息様とその関係者が一同に集まる大祭があり、その大祭に知人を通じて招待され参加したことがきっかけであった。金次郎の直系のご子息様は今7代目、8代目になる。




私は招待してくれた知人から二宮金次郎のことは、今日本人より海外の人の方が良く知っているという情報を聞いていたので、大祭に参加する当日はある一冊の本を鞄に忍ばせた。それは学生時代に読んだ内村鑑三(うちむらかんぞう)の「代表的日本人」(岩波文庫)という本である。この本が予想通り当日大活躍した。




二宮神社の大祭には兄(http://profile.ameba.jp/ktamiya/ )と地元小田原のベンチャー起業家(http://www.strapyanext.com/ )の友達である樋口社長と3人で参加した。午前中の儀式が終わり、昼食の時間になった。会場には丸テーブルが幾つもあったが、この大祭に招待してくれた知人が気を使ってくれて特別に二宮金次郎のご子息様がいるテーブルに座らせてもらうことが出来た。




テーブルに座ると、ご子息様が開口一番に「今、二宮金次郎の教えは日本より海外で注目されています。昔、内村鑑三の代表的日本人という本がありまして、この本に二宮金次郎のことが紹介されています。その本にある肖像画が金次郎の唯一の肖像画です・・・」と話し出した。その瞬間に、私は鞄に忍ばせていた「代表的日本人」の本を取り出し「この本ですね」と見せてみた。




すると、ご子息様は驚いて「あ、これこの本です。この本に金次郎のことが紹介されていて、この肖像画が唯一のものです。あなたどうしてこの本を今日持っているのですか?」と一気に話が盛り上がった。驚いたのはご子息様だけではなく同じテーブルに座っていた兄も樋口社長も同じであった。まるでマジックでも見ているようであったであろう。兄に後で「何であの本持ってたの」と聞かれたが「今日必ず話題になると思ったから」とだけ答えた。お蔭様でご子息様にわれわれは一発で名前を覚えてもらうことが出来、その後も都内の隠れ屋でパーティがある時などは呼んでくれて、お会いした際はご子息にだけ伝わっている金次郎伝を良く聞かせていただいた。


私が内村鑑三の「代表的日本人」の本が当日、何故話題になるか分かったか種を明かすとこうだ。


この本には5人の日本人が紹介されている。西郷隆盛、上杉鷹山(うえすぎようざん・江戸時代の政治家)、二宮金次郎、中江藤樹(なかえとうじゅ・陽明学者)、日蓮上人(仏僧)の5人である。


1961年(昭和36年)、第35代米国大統領に就任したジョン・F・ケネディが、日本記者団から「あなたが、日本で最も尊敬する政治家は誰ですか」と質問を受けた時、「上杉鷹山です」と答えた。しかし日本人記者の中で上杉鷹山を知っている人がいなかったようで、皆、上杉鷹山て誰だ?と顔を見合わせた。上杉鷹山は江戸時代の米沢藩の藩政を建て直した名政治家であったが、何故日本人も知らないような政治家をケネディが知っていたかといえば恐らく内村鑑三の「代表的日本人」を読んでいたからだといわれる。この本は英訳され新渡戸稲造の「武士道」の次に世界中で読まれた本である。




このケネディの話を知っていた私は、知人から二宮金次郎が海外で知られていると聞いた時に、恐らく内村鑑三の「代表的日本人」を読んで知っているのだなと思ったわけで、当然、当日もこの本が話題になるなと予想が出来たわけである。


                                 

以上



次回に続く




偉人列伝【昔の創業者、名経営者、政治家の秘話、エピソード大公開】          -代表的日本人


内村鑑三の「代表的日本人」岩波文庫

右上の肖像画が二宮金次郎の唯一の肖像画である




文責 田宮 卓




参考文献


内村鑑三 「代表的日本人」岩波文庫

童門冬二 「小説二宮金次郎」 人物文庫 学陽書房

船井幸雄 監修「歴史二学ぶ勝つためのセオリー」三笠書房

三戸岡道夫「二宮金次郎から学んだ情熱の経営」栄光出版社


































































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