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2013-09-15 22:20:54

第234回_ 偉人伝を読む価値

テーマ:家電

以前、アメリカの歴代の大統領の語録 http://bit.ly/OKsvi9  をまとめたことがある。第33代大統領にハリー・トルーマンという人物がいる。彼は日本に原爆投下を決めた人物であり、どうしても好きになれない大統領ではあるのだが、彼は人が生きていくうえで大切なことをいくつも言葉に遺してくれている。


その一つが偉人伝を読む意義を簡潔に述べていることである。

「偉人たちの伝記を読むと、彼らが最初に勝利する相手は、自分自身であることがわかる。もっとも大切なのは、自己鍛錬をおいて他にはない」ハリー・トルーマン


トルーマンは農家の家に生まれ、高校卒の学歴で大統領になった人物である。大学にはいかなかったが、きっと幼少の頃から偉人伝を読みふけり、そこから学んだことを糧に奮闘努力して大統領にまで昇り詰めたということが想像できる。


日本にもこんな人物がいる。戦前の話である。小学校4年生頃から、古本の戦国武将伝に熱中し、時には授業中も教科書の内側に武将伝を挟んだままこっそりと読みふけるほどだったという。


彼はその時のことをこのように振り返る

「古本に生き生きと描かれた、戦国時代の武将の生き方を通じて、人間の生き方や、英雄のリーダーシップのあり方を学んでいた。まるで自分の物語のように、血湧き肉踊らせて血肉とした」


「私は学校の勉強には熱心ではなかった。学校の教科書のかわりに、戦国武将伝が『生きた教科書』となった」


そして旧制中学に入学すると、読書の対象は、戦国武将伝から古今東西の起業家の立志伝へと変化していったという。


彼が武将伝や経営者の伝記から学んだことの一つが皆、裸一貫で勝負していること。「自分も同じように勝負したい」と思うようになったという。武将伝や経営者の立志伝を読んでいるうちに、いつしか『夢』『志』が膨らんでいったと語る。


そして、日本は広島と長崎に原爆を投下され、昭和20815日に終戦をむかえた。


この人物はこの時18歳。「敗戦で、日本は焦土と化している。しかし、自分のためにも、日本のためにも、このまま負けるものか。ゼロから商売を立ち上げてやる」という激しい闘志がみなぎってきたという。そして「40歳で5つの会社の社長になる。今に見ておれ」と18歳の時にこう決意する。



彼は、最初は当時日本最大のミシン卸問屋だった東洋ミシンで修業をした後、24歳で独立する。この人物は船井電機(2000年に東証一部上場)の創業者、船井哲良(ふない・てつろう)である。



船井は敗戦で焦土化し日本中が意気消沈していたが、武将伝や経営者の立志伝を読みふけっていたお陰でかえってファイトが湧いたという。


そして船井は「読書が夢をはぐくむ」と語る。人は生まれた環境に関係なく読書によって『夢』『志』を育むことが出来る。偉人伝はその補助としては最たる書物の一つといえよう。


関連サイト

ハリー・トルーマン語録 http://bit.ly/O1oZwb

船井哲良(船井電機創業者)語録 http://bit.ly/15Q8eu4

武藤鍬三郎(東洋ミシン商会創業者)語録 http://bit.ly/15NyGEG

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2011-11-21 20:22:50

第205回_オリンパスと大王製紙から学ぶ教訓

テーマ:家電

大王製紙の会長が連結子会社から100億円を超える巨額の借り入れをしていたことが分かった。使途も不明なまま、そのことによって会長職を先日辞任した。また今度は名門光学メーカーのオリンパスが証券投資の巨額損失を隠していたことが発覚し問題になっている。上場企業の不祥事、それも業界最大手といわれる企業の不祥事が続いている。



大王製紙については同社の特別調査委員会が井川一族の影響力が強く「前会長に逆らったり、異論をとなえられる空気がなかった」という趣旨のことを報告している。またオリンパスでは一部役員で買収価格が高いと指摘した役員はいたみたいだが、結果的には不正に会計処理がされているのを止めることはできなかった。



オリンパスにいたっては日本の資本市場そのものに対する信頼を傷つけたという点で極めて責任は重いと思う。今回、監査法人が何故、不正な経理操作を止められなかったのかということも検証する必要があるだろう。



不祥事が起きるたびにより厳しくチェックする制度が必要だとされ、今まで金融庁主導で度々改善が行われてきた。制度面の改善は必要とは思うが、やはり企業はトップいかんで決まる。どんな制度をつくっても抜け道はいくらでもある。トップたる経営者がより企業は公器な存在であることを自覚して、法令を遵守することを意識しないかぎりこういった不祥事はなくならないであろう。



今回の一連の大企業の不祥事は、種類は違うが社内で誰も止めることが出来なかったという点で共通しているように思う。だからといってもちろん社内の人が悪いわけではない。責任はトップたる経営者に全てあることはいうまでもないが、今回の不祥事で教えられる教訓としては、経営者にとって側近の意見に耳を傾けなくなるということは、自殺行為に等しいということである。側近が悪い情報を社長に上げづらい、進言がしにくい、こういった雰囲気が出来た時点でアウトかもしれない。



大きな会社になればなるほど、経営者はいよいよ謙虚になって側近に限らず人の意見に耳を傾けることが必要になると思う。



一連の不祥事を見ていて思い出されるのが、名門意識からくる奢りから、経営が傾いていた東芝の再建を頼まれ、社長に就任した土光敏夫(どこうとしお)である。



まず土光が社長に就任して行ったことは7時出社である。会社の始業時間は、9時からであるが、朝の7時から始業時間の9時までは「誰でも自由に俺の部屋に入って来い」といって社長室をオープンにした。実際に役職のない平社員でも来れば大真面目に話し合った。風通しが良くなったことは言うまでもない。



そしてその当時(昭和41年)、雑誌「財界」の創業者、三鬼陽之助(みきようのすけ)が「東芝の悲劇」という本を出版しベストセラーになった。無配転落になった東芝の起源から調べ、競合の日立、三菱、松下と比較し、石坂会長・岩下社長の確執がもたらした経営陣の内紛、時機を逸した設備投資、重電、軽電の派閥抗争、甘い販売政策、仕入れ政策、外国技術偏重など名門といわれた東芝の病根となる原因をあらゆる角度から分析した内容の著書である。



私も何度となく読んだが、この本に書かれている東芝の病根となっていた要因は、今の大手企業の大企業病にも十分当てはまるものだと思う。



そして出版社「経済界」の創業者、佐藤正忠(さとうせいちゅう)が土光の鶴見(横浜市)の自宅を訪ねて、この本の感想を聞いたことがある。ちょっと意地悪な質問にも思えるが、土光から返って来た返事はこうだ「うちの連中に、読めといってるんだよ。反省すべきところは、大いに反省しろといっているんだよ・・・」そしてまた「いや、あれだけ調べて書いてくれた三鬼君に、感謝しているんだよ」これが土光の感想であったという。当たり前のことであろうが、弁解したり、損失や都合の悪いことを隠そうなどとは微塵も考えない。むしろ積極的に悪い情報や至らぬ部分を謙虚にあらゆる人から聞いて吸い上げていき改善していく。これこそが経営者が本来とるべき正しい道ではないかと思う。ご承知の通り東芝は土光が経営にあたることにより見事に蘇った。



大きな企業になればなるほど経営者に求められる器量は人の意見に耳を傾ける謙虚さではなかろうか。



この気持ちが無くなるといかに恐ろしい事になるか教えられた気がする。




関連サイト

偉人の名言格言ブログ

井川伊勢吉(大王製紙創業者)語録

http://p.tl/i2oS

大王製紙井川家 家系図(家族・親族)

http://p.tl/qehC

大王製紙から学ぶ教訓

http://p.tl/FkOb

土光敏夫語録集(率先垂範編)

http://bit.ly/qN4vdU

土光敏夫語録集(経営編)

http://bit.ly/reMlal





文責 田宮 卓
































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2011-10-31 04:52:17

第203回_世界を股にかける男

テーマ:家電

「イギリス人は七つの海を制して、大西洋をわが庭としたというが、自分の夢は、さしずめ、太平洋のかなたに向かって、大きな虹の橋をかけることだ」




この言葉は兵隊検査で久しぶりに故郷の淡路島(兵庫県)に帰った三洋電機(平成21年にパナソニックの子会社となる)の創業者、井植歳男(いうえとしお)の20歳の時の感慨である。私はこの井植の世界を股にかけて活躍しようという気概が何よりも好きだ。それも日本が経済大国となるはるか昔に描いた夢である。



井植は松下幸之助の義理の弟であるが、幸之助に関する本は山ほどあるのに対して井植に関する本となるとほとんどない。だが、関東の日立、東芝の重機メーカーに対して、関西は松下、シャープ、三洋が家電一本で事業展開をしてきた関西の家電御三家である。三洋も御三家の一社に名を連ねる。つまり井植歳男も松下幸之助や早川徳治(シャープの創業者)と並ぶ戦後の家電業界を牽引した列記としたパイオニアには違いないのである。



井植は淡路島の生まれで、父親が船乗りであったことから初めは船乗りを志していた。13歳の時に父親が急性腹膜炎で亡くなり、高等小学校を出るとすぐに船に乗った。ところがその船が、たまたま大阪の安倍川で倉庫の爆発に遭い、井植は命からがら陸岸めざして油っぽい海を泳いで命拾いするという経験をする。そんないきさつがあり、こんどは姉の嫁ぎ先である松下幸之助の仕事を手伝うことになった。船乗りになるつもりが、河童(カッパ)が陸に上がった形で電気器具をつくることになったのだ。以来、50数年間、電機産業一筋で突き進むことになる。戦後は義兄の幸之助と別れて三洋電機を創業する。 



三洋を創業した時は、まだ敗戦の傷跡が残り、食糧不足、物不足で日本中が生きることだけで精一杯の時である。井植は松下電器時代からの借金があり、実質的にはゼロからのスタートではなくマイナスからのスタートだったといっていいだろう。わずか20名の出発であったが、その時の井植の社員の前での訓示がふるっている。明確に世界を意識しているのだが、恐らく社員の半分は夢物語にしか思わなかっただろう。



「本日、ここに三洋電機製作所北条工場を創業する。総勢20名で出発する工場であるが、われわれの前途は大きい。ここで製造する発電ランプは、近い将来、200万個売れる。いまや世界の人口は27億人、そのうち自転車常用者は約10億人、その人達の半分にわれわれの発電ランプをつかってもらうつもりだ・・・」



「ええか、敗戦呆けから一刻も早く立ち直ることや。それには島国根性を捨てないかん。三洋は、これから世界一の発電ランプメーカーになるんやという自信をまず持たないかん・・・」



そして世界を股にかけて商売をしようと名前を三洋とネーミングした。三洋とは太平洋、大西洋、インド洋のこと。世界を販路にしようという思いが込められている。



海は世界に繋がっている。海の男というのは小さい頃から自然とそのことを意識しているのだろう。実は淡路島出身の実業家は井植以外にも、もう一人いる。ワールドの創業者、畑崎廣敏である。ワールドという社名もやはり世界的な企業にしようという思いでネーミングしたものである。



3月の東日本大震災で、親が漁師であったので小さい頃から自分も漁師になるつもりだったのが、余儀なく方向転換をした若者や、方向転換を迫られている若者が多くいるときく。



井植も船乗りになるつもりが全く畑違いの電気器具に携わることになった。私はきっと東北の地からも井植のように世界を股にかけて活躍する人材が出てくると確信する。



また、これから少子高齢化、円高と様々な要因から国内だけで商売をしている企業は存続が難しくなるだろう。



野田総理もTPP参加と腹を固めているようだ。恐らく日本もTPPに参加することになるであろう。これからいよいよ農家もビジネスマンも皆、世界に目を向けなければいけない時代となるであろう。






偉人の名言格言ブログ、451語録収録。

一日のアクセス数、多い時で7000超えます。

http://p.tl/6yLR




関連サイト

井植歳男(三洋電機創業者)語録http://bit.ly/qPe1qb

三洋電機誕生秘話 http://amba.to/jy3WnZ

ワールド誕生秘話  http://p.tl/pGw1




文責 田宮 卓































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