第92回_江戸英雄_朝の来ない夜はない | 【松下幸之助、創業者、名経営者、政治家に学ぶ】          

第92回_江戸英雄_朝の来ない夜はない

朝の通勤電車に乗ると、本を読んでいる人、新聞を読む人、マンガを読む人、ゲームをする人、寝てる人、何もしてない人と様々だが普段の心がけと勤勉性が大きなチャンスを掴めるかどうかの鍵を握るようだ。




昭和2年(1927年)、東京大学に入学出来たものの、結核を患い学校にもほとんどいけず留年しながらも何とか卒業した江戸英雄は三井合名に入社した。配属されたのは不動産課であった。不動産についての法律を研究するというのが名目であったが実際はコンニャク版をとらされたり書類を整理したりの雑用係だった。江戸は不器用で雑用を手際よく処理する才覚は全くなく女性の事務員にも笑われるようなヘマばかりをしていた。さらに面白くないことに当時毎年一名位しか入社しない東大出ということで、現場からの叩き上げの連中に東大出ても雑用も出来ぬ役立たずと苛められた。これではとてもやっていけないと2ヶ月目で辞表を書いたが先輩に厳しくいさめられる。1年後にもう一度辞表を書くが今度もいさめられた。




二度目の辞意を思いとどまった後、こんどは断然サラリーマンに徹することを江戸は決心する。誰よりも早く出勤し雑用を進んで引き受けた。会社が終わると神田の夜学の簿記学校に通い、簿記とソロバンを身に付けた。英文タイプ、邦文タイプも身に付けた。法律を勉強しようと学校時代の友人と判例研究会を作り、月12回のペースで法律の勉強会をした。入社して約10年間は雑用しかさせてもらえなかったが、ずっと続けていた判例研究会での法律の勉強が大いに役立つ時が来た。




三井家の問題で相続の問題が起きたのだ。年取った弁護士が手続きを間違えて非常に大きな税金がかかるようになった。老大家もお手上げ状態であった。そこで判例研究会のメンバーでこの相続の問題を検討してみたら救済の方法があることを発見できた。早速この対策を上部に進言した。会社では投げていたものだから出来るのならやってみろ、ということになった、策は予定通りの結果となり見事にやり直しに成功した。若者の大手柄であった。江戸は三井合名の社長に呼び出され「ご苦労であった」と分厚い札束を渡された。後で確かめてみると何と3千円の大金であった。当時の3千円というと家の一軒が買えた。今の金額に直すと1億円前後であろうか。




報われる、報われないに関係なしに勉強をしていたことが役だったのだ。それ以来江戸は重要な仕事をどんどん任されるようになり、めきめきと出生していき三井不動産の社長に登りつめる。日本初の超高層ビルであった霞ヶ関ビルやディズニーランド、新宿の三井高層ビルの建設など大きな仕事を成し遂げていった。




晩年、江戸は若者へのアドバイスとして語っている。会社に入ってからも弛まず勉強努力を怠らぬこと。サラリーマンとして最終的に力を発揮するのは、地道な勉強で身に付けた正確な知識と判断である。なんでもいい、一つ自分で好きな道を選んで、それについては誰よりも豊富な知識と知恵を身に付けることだ。そうして身に付けたものが、仕事の上で役立つ日がくるかこないか、それは誰も保障できないが、自己形成に役立つことははっきりしている。とすれば、そのような自己を持つサラリーマンこそ、機会があればすぐにも十分に仕事の上でも力を発揮できる、期待されるサラリーマン像といえはしないか。それに万事に志を遠大にして、社会的なひろがりのなかで前向きに取り組むことだ・・・。 


 

江戸はサインを求められると書く言葉が表題の「朝の来ない夜はない」である。




最後に私が好きなリンカーンの名言を紹介しよう





「私は機会の到来に備えて学び、いつでも仕事にかかれる態勢を整えている」 

アブラハム・リンカーン(アメリカの第16代大統領)




文責 田宮 卓