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2009-10-24 09:06:55

第63回_ファイザー_企業も個人もチャレンジ精神がなくなると将来性もなくなる

テーマ:製薬

「ファイザー社では、未知の領域を克服することが伝統として受け継がれています。誰も他に取り組む者のいないような難関に何度も挑戦することによって、わが社の姿が形づくられたのです。私たちの進取の精神が偉大な功績を可能にしたのです。」1992年にファイザー社のCEOに就任したウィリアムC.スティアJrはこのように語った。


確かにファイザー社の歴史は、大胆な決断に満ちた革新と冒険の歴史であったといえるが、それはファイザー社を設立した二人のチャールズ、「チャールズ・ファイザー」と「チャールズ・エアハルト」がパイオニア精神を植え付けたからに他ならない。


スティアは一に研究、二に研究、三に研究と主要製薬会社のほとんどがジェネリック(後発医薬品)会社の販売網を合併・買収にやっきになっている時にこう主張し続けた。


スティアが会長に就任すると社員達はジェネリック(特許の切れた医薬品である後発医薬品を製造する会社)を買収するべきだと主張したが、わが社はジェネリックではなく研究開発型の企業であり、知的所有権こそわが社の命綱であることを主張し研究開発に経営資源を集中させた。このスティア会長の決断と実行が結果的にファイザー社を世界一位の製薬会社になることに貢献することになった。


日本でも1958年(昭和33年)「週刊朝日」誌上に、当時の人気評論家である大宅壮一が「ソニーはモルモットである」という趣旨の文章を掲載し話題を呼んだ。この文章は東芝をテーマにしたものだが、その中で大宅は「トランジスタではソニーがトップメーカーであったが、現在ではここも東芝がトップに立ち、生産高はソニーの2倍半近くに達している。つまり、儲かるとわかれば必要な資金を投じられるところに東芝の強みがあるわけで、なんのことはない、ソニーは東芝のためのモルモット的な役割を果たしたことになる」と書いたのである。この文章を読んだソニーの創業者の井深と盛田は、初めは憤慨したが「ひとつひとつ開拓して商品にしていくのがモルモット精神だとすると、モルモット精神も良いではないか」とモルモットという皮肉を先駆者と置き換え「ソニー・モルモット論」を逆に展開した。この開拓者魂がソニーを世界的な大企業にまで発展させた要因ともいえよう。 


また発展する企業には必ず健全な赤字部門があると言われます。すなわち将来の発展の原動力となる新しい事業の芽を探す部門があるということである。逆に新しいことにチャレンジしていく精神やそのための投資をしなくなった瞬間にその企業の将来性もなくなるともいえるかもしれない。


このことはビジネスパーソンも同じで、新しい仕事にどんどんチャレンジしていく気持ちや自己研鑽の気持がなくなりなり守りに入った瞬間にその人の将来性もなくなるといえるかもしれない。



文責 田宮 卓                         








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2009-10-17 09:04:10

第62回_ファイザー_シナジー効果は意外なところで生まれる。

テーマ:製薬

1848年、冒険心あふれる二人のチェールズがドイツのルドヴィグスブルクからビックチャンスを夢見てアメリカに渡った。二人のチャールズは28歳と24歳の青年で従兄弟同士であった。それまで片方は薬剤師の助手として化学を学び、片方は菓子作りや販売を経験していた。彼らはアメリカに渡った最初の年に化学会社を設立しニューヨークのブリックリンに本店を構えた。


当時のアメリカの人々の生活は医学的に見て危険なことがいっぱいであった。例えば冷蔵設備がないため、肉やジャガイモを食べるだけでも寄生虫の危険にさらされた。アメリカで消化器関連疾患のよくある原因の一つが寄生虫であったが、当時この寄生虫を取り除く駆虫剤は中東産の直物シナヨモギから抽出されたサントニンというものであったが非常に苦く誰もこれを飲みたがらなかった。彼らはここに目をつけ一番最始めの製品を輸入品に勝てる駆虫剤サントニンにしようと決めた。


彼らが発明した駆虫剤サント二ンは何世紀も使われていた恐ろしくまずい駆虫剤サント二ンの薬を一変させるものであった。香りのいいアーモンドフィーとブレンドし、キャンディコーンの形にした駆虫剤サント二ンの薬はとても美味しく大当たりした。この二人のチャールズがニューヨークに設立したこの会社が後に世界最大の製薬メーカーとなる現在のファイザー社のである。


二人は原料の買い付けにしばしば大西洋を渡ったが、ある出張の途中でチャールズ・エアハルト・ファイザーはチャールズ・ファイザーの妹ファニーと求婚し、1856年二人は仕事のパートナーであり、従兄弟であることに加え義理の兄弟となった。


しかし世界のトップ企業となる会社の始まりが化学者と菓子職人との二つの才能の合作であったことが何とも面白い。


職場には一人や二人、合わない人や自分と価値観が全く違うと思える人がいるかもしれないが、そういう人とこそ協力関係で仕事をしてみると意外と二人のチャールズのように思わぬシナジー効果が生まれるかもしれない。一度トライしてみてはどうであろうか。



文責 田宮 卓                         







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2009-10-10 09:01:25

第61回_イーライ・リリー_逆境はその人に与えられた尊い試練

テーマ:製薬

1854年のある夏の日、アメリカのインディアナ州ラファイエットの賑やかな広場を農村から職を探しに出てきた16歳の少年は、きょろきょろ見物しながら歩いていた。開拓民の町の田舎のなかの馬や四輪車のあいだから、彼はある店の看板をちらりと見る。「THE GOOD SAMARITAN DRUG STORE」(真の友人薬局)と書いてあった。彼の人生を決定づけた瞬間であった。


この少年は瞬間的にこの薬局で見習いとして働こうと決めた。厳格そうな店主にここで働かせて欲しいと言うとそれを直ぐに受け入れてくれて見習いとして仕事に就けてくれた。 


彼に最初に与えられた仕事は掃除、火の世話、ビン洗い、使い走り、棚の補充など、それから店が暇なときは店主の馬の世話等させられ、最初の年は薬を混ぜる乳棒や乳鉢に手に触ることすら許されなかった。しかしこの少年は仕事が終わった深夜にロウソクの火で「合衆国薬局方」(薬の配合にかんする数少ない本)、「アメリカ薬局雑誌」を読み独学で勉強をしていった。


この少年が後に世界的な巨大バイオ企業を創業するイーライ・リリー氏である。製薬業界で素晴らしい発明を成し遂げる彼のキャリアはこうして始まった。 


その後のリリーは国家が南北戦争に向かっていた時代、インディアナ州軍に参加するが南部連合軍に捕まり捕虜となる。捕虜交換で釈放され一命をとりとめる。戦争が終わると自分と家族の将来を考えて、ミシシッピー州ポートギブソンの近くに小さなプランテーションを買い、妻と幼い息子を呼び寄せる。しかし事業はうまくいかなかった。干ばつで綿花の収穫は台無しになり、パートナーには運転資金を持ち逃げされた。妻は重い病気になり結局亡くなり息子はマリアナにかかってしまった。借金をかかえてどん底まで落ちた。


しかしリリーは決して挫けなかった。諦めることを知らない男であったのだ。州都インディアナポリスに移り居を構えると、三人の従業員(薬の調合人、ビン詰仕上げ人、14歳の息子)と売れ残りの植物エキスで商売をスタートした。1876510日のことである。看板には「イーライ・リリー 化学屋」とだけ書き、今までの悲しみと失敗に発奮しこの仕事に打ち込んだ。このビジネスは直ぐに上手くいき順調に発展し現在のイーライリリー・アンド・カンパニー社となっている。


創業者をみていくと誰にも言えない悲しみや、失敗談がかならずあるものです。しかしその他多勢の人と違うところがその悲しみや失敗をはね退けるバイタリティ、精神力があることである。逆境はその人に与えられた尊い試練であり、この境涯にきたられてきた人はまことに強靭であり、だからこそ大きな成功を掴むことができるのであろう。




文責 田宮 卓

                    








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