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2009-03-30 22:37:08

第32回_安藤百福_創業者の精神②

テーマ:食品

終戦直後一面の焼け野原で見られた光景は、打ち捨てられた餓死者、その横で食べ物を他人から奪いとる気力もなくどろんとうるんだ目をかすかにあけてただ死を待つだけの人々、ちっぽけなパンを盗んで逃げおおせずに、袋叩きにあう小さな浮浪子。


この悲惨な状況に立会った時に、「全ての原点は食の充足にある。空腹ではものを考える気力も、他のどんな欲も起こらない。人間にとって一番大切なのは食である。」と心の底から思う。そして食を生涯の仕事にしようと決意し、その後ラーメンの工業化に成功するのが日清食品の創業者の安藤百福です。現在インスタントラーメンは世界中で最も食べられている食品の一つですが、インスタントラーメンは調理の時間を短縮することで消費者に時間も提供しています。


経営者に世のため人のために尽くそうという強烈な思があり、消費者に必要とされるものを提供できる企業は発展します。逆にどちらか一方でも欠ければ継続的に発展することは出来ないでしょう。


文責 田宮 卓




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2009-03-21 22:30:47

第31回_堤康次郎_回創業者の精神①

テーマ:観光

大正6年、「今は経営者にしても気宇広大な奴がおらん。この軽井沢あたりも君のような若い者が50年ぐらいの計画で開発したらいい」と当時の大物政治家、後藤新平に言われ、軽井沢の沓掛(くつかけ)地区に80万坪の土地を当時の価格3万円で買収したのが、まだ30歳にも満たない青年でした。この青年が後に西武グループを築く堤康次郎です。つまりこの沓掛地区の開発が西武王国を築くルーツとなります。


郵便局、鉄工場、雑誌の経営、真珠の養殖など次々と事業に失敗し最初の成功のきっかけとなったのがこの軽井沢の沓掛地区の開発になりますが、堤は「もうけようと考えたのがいけない。この世の中のために少しでもできるだけのことをしようと奉仕の心だった。そして最初に考えたのが不毛地の開発事業だった。」と当時のことを述懐します。

 

儲かっている会社は必ず事業、サービスを通じて社会貢献をしております。これなくして継続して利益を出すことはできません。そしてトップが必ず私欲ではなく世のため人のために尽くそうという気持ちで事業やサービスを展開しています。利益だけを追求すると目先いいように見えても長続きはしません。

 

しかしそれにしても、当時の3万円は今では何十億、何百億に相当しますがこれだけのキャッシュを30歳にも満たない堤がどうやって用意したのか? このことは私は、日本の経営史の最大の謎の一つと思っております。


文責 田宮 卓






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2009-03-10 22:25:32

第30回_武田國男_創業家の精神

テーマ:製薬

神戸の御影というところは古くからの住宅街で、大阪、神戸の実業家の御屋敷がずらりと並んでいます。夜ともなればどこも石垣に囲まれていてシーンと静まりかえる。その閑静な御影の住宅街に一風変わった英国風の伝統建築様式であるチューダー様式の洋館がそびえ立ています。外観は洋館ですが、中は和室や茶室があるそうです。この英国風の洋館で生まれ幼少期育った人が、後に武田薬品の社長になり大改革を断行する武田國男という人です。つまりこの洋館の主が父親である武田長兵衛で、27歳(昭和7年)の時、祖父が大枚をはたいて建てたそうです。


三男である國男は大学を卒業して武田薬品に入社しますが、後継ぎは長男である彰郎と決まっており長男には早くから帝王学を施し、副社長にまでなっていました。國男は社長の出来の悪い三男ということでどこも押しつけられたくないので、傍流の事業部に預けられ部屋住みのように扱われていました。


しかし、運命とは分からないもので、翌年創業200周年を機に社長に昇格し、7代目武田長兵衛を襲名するはずであった長男の彰郎が46歳で急逝し、間もなく父親も長男の後を追うように亡くなってしまいます。当時國男は一介の課長でしかなくその13年後に社長のお鉢が回ってくるとは夢にも思わなかったそうです。


國男が社長に就任したのは19936月ですが社内外から「あんな何も知らないアホボンで大丈夫なのか?」と言われ、「武田はこれで終わりだ」とマスコミにも書きたてられました。ところが周囲の予想に反し、東洋の小島の一ローカル企業にとまるのではなく、世界競走を勝ち抜ける「グローバルな研究開発型製薬企業」を目指すを合言葉に、本業でない、ビタミン剤、化学、食品、農薬、畜産などの事業は次々に撤収し、本業である医薬品事業に全てを集中させ、次々と改革を断行していきます。


早期退職制度の導入、不要な研究所、不採算な内外の工場の閉鎖、欧米型の実力主義の導入。社内カンパニー制の導入、経営幹部の目標管理制度の導入、社長就任時、「うちの会社は何があっても大丈夫」「武田だけは絶対に潰れない」と従業員が皆思っており、危機感が全くない、いわゆる大企業病が蔓延し業績も停滞していましたが、ものの見事に戦う集団に改革しました。


社長在籍10年の間に製薬業界初の売上高1兆円を達成し累積利益は9057億円。株価は1350円から4430円まで上がりました。


何故、窓際扱いされアホボンと言われた國男がこれだけの成果を上げられたのか要因は色々あるでしょうが、私は一つ國男にとって幸運だったのが、武田家に先祖代々から受継いでいる「クスリの哲学」があったことではないかと思います。多角化経営から本業である医薬に回帰するプロセスも「クスリの哲学の再認識」にあったといいます。

5代武田長兵衛が定めた5ヶ条の社是が「クスリの哲学」と言われるものです。


一 公にひ国に奉ずるを第一義とすること

一 相和らぎ力を協せ互いにさからはざること

一 深く研鑽につとめその業に倦まざること

一 質実を尚び虚飾を慎むこと

一 礼節を守り謙譲を持すること


今の言葉でいえば、「くすりを通じての社会貢献」「切磋琢磨」「本業に徹する」それから「質実」や「礼節・謙譲」ということになります。そして父親や祖父が「運根鈍」「行不由」「陰徳陽報」という言葉を良く書いていたようで、いずれも要約すると、蔭日なくコツコツと努力すれば必ず報われるという意味になりますが、こういう言葉は若い従業員や海外の従業員にはピンとこない。そこでいろいろ考えた結果一番わかり易い言葉が「誠実」という言葉に至ります。


武田が絶対に守り続けなければいけないクスリの哲学は「誠実さ」だ、武田が200年以上存在できたのも「世の中の人々のためになるより良いくすり、画期的な新製品を世界に送り出すこと」に誠実に取り組んだことにあると確信します。


この揺るがない背骨となる精神的な哲学があったからこそ大企業病に侵されていた武田薬品を精神的柱である「誠実さ」をトップダウンで社内外に浸透させることで大改革が断行できたのではないかと思います。


文責 田宮 卓

 











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