みな様
龍です。
2003年、再び青山の地に戻ってきた私は、
相次ぐ身内の死に打ちひしがれ、
「もう、一人で生きていたくない。誰か一緒に生きてくれる相棒が欲しい」と、本気で思うようになりました。
その結果、15歳年下の今の夫と出会うことになります。
その辺りの経緯は、「黒のブラジャーを捨てなさいーいくつになってもパートナーに出会える22のルール」という本に詳しく書きましたので、興味のある方はご一読下さい。

青山へ戻った私は、まるで鮭が生まれた川へ戻って来たかのように、意気揚々と過ごしていました。
この頃から、インポートの下着に感じていた危機感が日に日に募って行きました。
「このままでは、インポートのブラジャーだけでは納得行くものを集めることが難しくなる。」と、考えて私は、オリジナルのブラジャーを生産しなければ明日は無いと思うようになりました。
その結果、パートナーとして物作りを一緒に担ってくれる商社や、私の考えを忠実に再現してくれるパタンナーとの出会いを経て、2006年念願のオリジナルブラジャーを世に出すことが出来たのです。
そして、再び転機が訪れました。
2011年3月11日。
東日本大震災を仙台で経験した私は、時代の歯車が大きく動くのを感じました。
それは、人々の価値観の変化であり、自分自身の価値観の変化でもありました。
インバウンドが増え、家賃は高騰し、青山は私が育った頃の青山とは違う街になっていました。
おりしも、青山の店舗の契約更新を控えていた2013年の秋、吉方を便りに私は物件を探し始めました。
その経緯も不思議で、当初は白金台へ移転することになっていたのですが、最後の最後に内覧した、吉祥寺の今の店舗と出逢った瞬間、「ここだったんだ」という、根拠の無い確信と感動に包まれたのをはっきりと覚えています。
人も、物も、物件も同じで、出会いとは本当に不思議なものです。
何の前触れもなく、出会った瞬間にものすごい高揚感、つまりワクワクが湧き出してくるのです。
それがいつしか、「抗えない」感情に変化し、その出会いとひとつになってゆくのです。
こうして私は、生まれてから2回しか行ったことのなかった吉祥寺へ、2013年10月に移ることになりました。
それから12年。
干支が一回まわってしまいました。
あのコロナが去ってから、世界は一変してしまいました。
人々の価値観は大きく変わりました。
自分にとって本当に大切なものは何なのか・・・
自分が本当にやりたかった事は何なのか・・・
その問いを自分自身に突き付けた人達は今、揺れていると思います。
もちろん、私もその一人です。
少しずつ、少しずつ、要らないものを振り落としながら、今を生きていると思います。
続く
